「ラジオ英会話」を半年、割と真剣に聴いたら何が起こるのか
英会話にしっかり取り組んでみようと思った。今年の3月のことだった。
正直言って取り組む対象はなんでもよかった。衛生管理者試験でも電験二種でも企業法務検定でも。その直前に受けた情報セキュリティの資格試験の勉強で身につけた学習習慣を、このままむざむざと失ってしまうのが嫌で、とにかく何かをしたかった。
そこで思いついたのが英会話。実はこの5年くらいの間、何回もトライはしてみたもののなんとなく続かなかった。しかし、学習習慣自体は身についた今だったらもしかすると、と思ったのだった。
また英会話、ひいては英語の勉強についてはずっと心に引っかかっていたことがあった。
僕が中学校に入学した時の担任は、英語教師だった。その人は入学式の後、父兄が教室に居並ぶ中「英語についてはまず、NHKの「基礎英語」を毎日聞くのをお子さんに習慣化させるようにしてください。そのうちに圧倒的な違いが出てきます」と言った。
僕も(というか僕の母親が)感化されて、最初こそ真面目に朝6時に起きて基礎英語1を聴き始めたのだが、非常に残念なことに5月には飽きてしまい、夏頃には聴かないことに対する罪悪感すらもゼロになっていた。つまりあっさり脱落した。
大人になってしばらくして、当時の担任の言葉を思い出して「そういえば、基礎英語を聴き続けてたら、俺は一体どうなっていたんだろう?」という疑問が浮かんだ。その時はその疑問も一瞬で霧散してしまったのだが、それは地味に、燃えさしの薪のように潜在意識のふかくふかーくで燻り続け、2024年春のとあるヒマな朝にもう一度大きく燃え上がり始めるのだった。
そんなわけで、いろいろ検討して基礎英語ではなく「ラジオ英会話」を当面の間聴いてみることにした。そしてうまいことそれが半年続いたので、現時点で自身に何が起こっているのかを振り返ってみる。
そもそもお前の英語力はどれくらいだったのだ
英語の勉強の話をするにあたり、勉強を始める前の自身の英語力に触れないわけにはいかない。恥を忍んで開陳する。
最後に受けたTOEICのスコアは715点だった。中級者の仲間入りとされる700点のハードルを超えてはいるものの、受けたのはもうずっと前のことなので、あくまでも「超えたことがある」程度のものだ。
そもそも現在、仕事で英会話を要求される場面がない。ITに触れる仕事であるため、英語圏の情報を読むこと自体は避けられないが、それも最近はDeepLなどの機械翻訳でなんとかなってしまっている。少し前までは機械翻訳はあくまで下訳として、一旦サクッと内容を把握した上で英語を頑張って読み込んでいたものだったが、近頃は精度が向上して、ワンクッション挟む必要がなくなっていた。さすがにCLIに表示されるエラーメッセージくらいは読んでいたが。
ということで、取り組みを始める直前の英語力は「英文は超頑張ればなんとか読めるがあんまり読む気がしない。英文もたぶん書けるが、自信は全くない。スピーキングとリスニングはもう何もできない」が正直な自己認識だった。
さて、これが半年経ってどうなったのか。
「ラジオ英会話」は思い立った日に始められない
一応補足しておくと「ラジオ英会話」、NHKラジオ第一で月曜〜金曜の朝と夜(再放送)に放送されている英会話講座だ。現在のメイン講師は東洋学園大学の大西泰斗教授。大西教授は2018年から講師を務めているが、講座自体はそれ以前から続いているし、講座の大元のルーツは戦前まで遡ることができるらしい。
NHKの英会話講座のうち、「ラジオ英会話」は中高生向けの「基礎英語」シリーズの次のレベルのもので、CEFRレベルはB1となっている。講座を決めるにあたっては、一応、本屋でNHKのラジオの英語番組のテキストを全部眺めた上で決めた。ご丁寧にも、念には念を入れて「小学生の基礎英語」から順繰り開いていった。
「ラジオ英会話」にした決め手は「読んだら意味は余裕でわかるけど、これを話されても聴き取れる気が全くしない」絶妙のレベル感だと思えたから。超える壁のレベルとしてちょうど良さそうだ。そのようにピンときた直後にテキストを買って帰った。3月中旬のことだった。
しかしテキストを買ったはいいものの、すぐには始められない。なぜなら、3月中旬に売っているテキストは2024年4月号。当然テキストの内容はしばらく放送されないからだ。
それでも、温度感高いうちに英語の勉強自体は始めてしまいましょうということで、ラジオ英会話が始まるまでの期間は、数年前に擦った「英語耳」をもう一回やり直すことにした。(「英語耳」が何を目的としたどんな教材であるかは、ここでは割愛する)
毎日20分くらいかけて、全ての母音と子音+リンキングのプラクティスを大きな声で一通りなぞった。3月はとにかくこれだけをやった。大きな声を出し続けると意外と疲れるものだし、とっかかりにかける時間としてはこんなもんだろう。何事も最初から気合を入れすぎると、途中で減速した時にそのまま折れる。
いよいよ「ラジオ英会話」と向き合う
4月になった。It's finally time for ラジオ英会話。
基礎英語を聴いていた時分の薄い記憶から、普通に聴くだけだとおそらくほぼ聴き流しになってしまう危惧があった。せっかくなので、今回はなるべく能動的に聴く工夫をしていく。能動的に聴く、というのは自分が声を出す機会をなるべく多く設けていくという意味だ。
ラジオ英会話はざっくり以下のような流れで番組が構成される。(月〜木曜日)
ぼーっと聴いていたら、4と5しか喋るチャンスがない。しかも5は演習なので、たぶん毎回出来はボロボロで終わる。だから、喋るチャンスを自分で積極的に設けていく必要があるのだ。
ところで、今時ラジオは飛んでくる電波でなんか聴かず、スマホアプリで聴くものだ。民放なら「radiko」、そしてNHKなら「らじるらじる」だ。NHKの語学講座はリアタイでの放送終了後から1週間、らじるらじるで「聴き逃し」として番組を聴き返すことができる。これを使って、たくさん喋る機会を作り出していく。
「ラジオ英会話」の具体的な使い方
まずは、上述の1〜5に沿って普通に聴く。1のタイミングではあえてテキストを見ず聴き取ってみて、2から文字情報を頭に入れていく。上述の通りダイアログのレベル感としては割と簡単ではあるが、それでも部分部分で完全に忘れていたり、知らなかった表現は現れるので、初見で全部の意味が把握できる回は少ない。そして5もサボらず果敢に挑戦する。しばらくは「あうあうあう」としか言えなかったけど、まずは戦うことが大事なのだ。(後述するが、本当に大事だった)
15分後、番組が終わる。ここからが「俺のターン」である。
まず一旦テキストを閉じ、補助テキストである「ラジオ英会話サブノート」を開く。
このサブノートではその日の重要表現を手で書いた後5回音読させる ✖️ 4セットという、手と口を使ったメカニカルなトレーニングが課される。実際手でフレーズを書き起こして、同じフレーズを読経のように20回繰り返すと、すっかり口に馴染んでしまうから面白い。メカニカルなトレーニングのほかに、「5」のような練習問題もあるので、それもちゃんとやる。
サブノートをこなした後、再度テキストとらじるらじるを開き、その日のアーカイブのダイアログの箇所をシャドーイングする。シャドーイングは10回やる。最初の3回くらいは聴き取れても口が全くついていかないが、8回目くらいになるとだいぶ滑らかに追えるようになってくる。ただし、アプリにダイアログのみを抜き出す機能はないので、一回終えたらまたダイアログのスタート時点まで手で戻す。これがちょっとだけめんどくさい。
シャドーイングが終わったら「5」の演習問題を、日本語の問題文だけ見て英語で言えるかトライしてみる。放送の中で説明されたので朧げながら覚えてはいるが、細かいところは詰めきれないところが多い。答えを見てはテキストを閉じて言ってみて、なんとなく口に馴染むまでやる。
最後に、その日学びを得たフレーズをいくつかピックアップして、スプレッドシートに書き込んでいく。こいつをChatGPTとかに食わせると、「俺専用」のいい感じのドリルを作れるのだ。
この一連のタスクをこなすと、大体40〜50分くらいが経っている。ここ半年、このようにして「ラジオ英会話」を日々擦ってきた。「ラジオ英会話」の裾野の広さを考えると、おそらく上位10%に入るくらいには講座をしゃぶっているんじゃないだろうか。確認する術はないけれど。
そして、その時がきた
4月にやり方を決めて以来、割と愚直にやり続けてきた。夏休みの沖縄旅行にもテキストを持っていき、窓から見える宮古島の青い海を横目に、無理矢理時間を確保して取り組んだりもした。
そんなことをしているうちに、とうとう自身の変化に気づく時が来た。その変化はまず耳からやってきた。これは7月の頭くらいのことだっただろうか。
最初は全然ダメだった「1」の聴き取りの時点で、大体の文意をなんとなく把握できるようになってきたのだ。そのうちにクリアな英文としてちょっとずつ捉えられるようにもなってきた。
次に9月中旬ごろ、今度は口に変化がやってきた。
「5」で「あうあうあう」ではなく、初手で英語っぽいものが口から出てくるようになってきた。しかも10分の1くらいの確率で、特に考えるでもなく、まとまった英語の塊がボロンと口から勝手に出てくる感覚を覚えるようになってきた。
耳と口、この二つの変化が起きたのは、やっぱりシャドーイングが効を奏したのではないかと思う。
まず前者について。例えば「She was watching it for a while」という英文があったとする。これを大抵の日本人は以下のように扁平に読む。
しかしネイティブの発音はこんな感じだ。(僕の耳にはこう聞こえる)
明らかにいろいろ言ってないのに、言ってることになっている。(?)
これは英語が「配置の言語」であるために持つ「何がどこにあるかが重要で、最悪その順番さえ分かればあとは大体でオッケー」という大らかさのせいだったりとか、英語特有の節回し(「英語耳」では「プロソディ(prosody)」として紹介されていた)だったりとか、あとはいわゆるリエゾンだとかリンキングとか呼ばれる現象によるものだったりする(らしい)。
そういった諸々について、毎日ネイティブスピーカーの喋る音にくっついてシャドーイングしたおかげで、少しずつ耳を慣らしていけたのではと思う。そういうわけで(?)今では「しぇわすわっちんぎふぉおぁわい」で「She was watching it for a while」って言ってる!が感覚として掴めている。無論、「ラジオ英会話」の前にワンクッションとして挟んだ「英語耳」の効能もあっただろう。
後者についてはなぜそうなったのかの因果が若干不明だが、これも英語話者の喋りのモノマネをそれなりの期間断続的に繰り返してきたために、「こうきたら、こう」的に体が勝手に反応するようになったのではと思う。「goがきたら多分次はtoとか来るだろ、そしたらthe shopみたいな名詞を置いて、あとはそれを説明する何かを適当に後ろにくっつけときゃいんだろ」みたいなことを発話しながら考えられるようになってきたのを実感している。
あとは負け試合だとわかりつつ毎日果敢に英訳の演習に立ち向かっていたのも、なんとか言葉を捻り出そうとする姿勢作りの一助になっていると思う。「タイパ」とかいう言葉に代表されるスマートさが重視される現代で、こういった千代の国(現・佐ノ山親方)の取り口みたいな姿勢は避けられがちだが、泥臭い執着にも意味はあるのだ。
これが「ラジオ英会話」を半年聴いたところで、僕に起きたことだ。
「ラジオ英会話」はいいぞ
そんなわけで半年続いている「ラジオ英会話」なのだが、とにかく月当たりのコストパフォーマンスが圧倒的だ。
言うまでもなく、まともな英会話教室に通ったら月2万円はくだらないし、オンライン英会話でも月6〜7千円、今をときめくAI英語学習アプリでも月2000円くらいはする(たまに超安売りしてるけど)。
その点「ラジオ英会話」は、音声教材は無料、テキストは660円だ。(サブノートは550円。)長年のノウハウと多様な層からのフィードバックにより、教材の質も折り紙つきだ。
そして毎日違うコンテンツが流れてくるので、新鮮な気分で学習を継続できる。しかも以前習った学習トピックを、周期的にコンテンツに混ぜ込んで自動的に復習させるようなループを形成してくれている。
ダイアログの内容も割と攻めてる日があって面白い。僕が気に入っているエピソードは、ここに宇宙人が来たと言い張ってとあるヴィーガンラーメン屋に凸ってきたおじさんに、帰れと言い放ったラーメン屋の女店主の話だ。あとは飼い猫が人間の言葉を理解していると信じて疑わない夫婦の話だったり、魔性の不動産ブローカー・バーバラに翻弄される男どもの話だったり、妙に濃いピアノ教師ミズ・ストラヴィンスキーの話もいい。
もちろん教材側からのフィードバックはないので、アウトプットの訓練は何か別の方法を組み合わせる必要がある。しかし、アウトプットの訓練をするにもまずは相応のインプットが溜まってからやるべきなので、その第一歩として、誰もが安価に始められる「ラジオ英会話」はベストに近いのではないだろうか。
最後に、今の自己評価
先に述べた通り、僕が取り組みを始める前の英語力の自己認識は以下のようなものだった。
今の正直な自己認識はこんな感じだ。
以前よりも英語に対して前のめりになっている。なんとなくの成長の実感があって、だんだん楽しくなってきたんですよね。楽しくなってきたら、よりやってみたくなる。単純な話だ。今後もしばらくはこれまで通り続けていってみようと思う。