「護法尊パルデン・ラモ2 祈願文」2020年10月31日の投稿
※この記事は以前に書いていたブログのコピペ(一部訂正など有り)です。
前回は護法尊パルデン・ラモの概要について紹介しましたが、今回は短い祈願文を紹介します。
護法尊への祈願
本格的なパルデン・ラモの実践には無上瑜伽タントラ(特にヤマーンタカ)の灌頂とパルデン・ラモの許可灌頂を受けなければなりませんが、ここで紹介する簡単な祈願や真言の読誦はそれらを受けていなくても実践することができます。
仏教を学んでいる方のなかには「護法尊への祈願なんて仏教とは関係ない」と思われる方もいるかもしれませんが、それは確かに部分的には間違いではありません。護法尊への祈願は仏道のメインとなる実践ではありません。しかし一般生活でも修行でも十全に行うには、ある程度は身体が健康で、当面の衣食住に困らず、煩わしいことがないなどの状態が必要です。これらは主に自身の行動によって整える必要がありますが、どうしても不十分な点・手が回らない点などが出てくるのも事実でしょう。それを補助してくれるのが護法尊への祈願です。
とはいえ仏菩薩・出世間の(完全な覚りを得ている)護法尊は願い事をなんでも叶えてくれる存在ではありません。また物語に登場する悪魔や世俗的な神のように供物や儀式の代償として願いを叶えてくれるわけでもありません。
ではなぜ祈願するのかといえば、祈願や供養をした自分自身の善業によってよい作用がもたらされるからです。それには善い動機が必要です。善い動機とは自己研鑽や他者を助ける行為につがなるものです。例えば病気平癒は万全の状態で勉強や仕事に励むため、商売繁盛はそれによって多くの人を喜ばせるため、仏教の修行者であればそれぞれ行学に励むため、布施行をするためなどです。
自分だけの一時的な楽というのは人生においてときには必要だとは思いますが、それのみを求めての祈願はあまり効果を発揮しませんし、仮に効果があったとしてもそれは長続きせず失われて苦しみに転じる性質をもっています。
そして原因のないところに結果がもたらされることはありません。何かを達成しようとするならば、そのために適切な行動・努力をしなければなりません。全く勉強をせず文殊菩薩の真言を唱えるだけでは難関大学の合格が難しいことは想像に難くないでしょう。護法尊への祈願は主に「縁(条件)」を整える作用をします。仏菩薩が力を与えてくださることを「加持」といいますが、これは「重ね合わせる」という言葉が元になっています。自身の行動に仏菩薩の力を重ね合わせるというのをイメージしてください。自身の行動という土台(原因)がなければ、どんなに素晴らしい物もそこに置くことはできません。
また、これによって世俗の利益がもたらされても、それは「幻の如く」といわれるように本質的な楽ではありません。永続しませんし、前述のように苦に変化する性質を持っています。現世利益の楽を感受することは否定されるものではありませんが、それに執着したり、手に入らないとき激しい怒りや悲しみに苛まれてしまうと苦の原因になってしまいます。ですから現世利益がもたらされても執着せず、手に入らなくても「まぁいいや」と心が平穏でいられる状態を作ることが最上です。
下記に掲載したパルデン・ラモへの四事業祈願には「勝義」「幻として」「自性なく」「顕現のみ」などと説かれています。これは上記の心の状態を作るのにも役立ちます。むしろ本質はこちらであるといえるでしょう。祈願文を通して「無常」「無我」「空性」などを心になじませることによって、たとえ現世利益が成就しなくても苦しみが生じない心を育むことが可能です。先に「祈願はメインの実践ではない」と書きましたがそれは現世利益に関してのことであり、少欲知足の心を育むことは仏教のメインの実践と共通するものです。とはいえ祈願文は極短く、これだけで無我や空性などを十分に理解するのは困難ですのでやはりメインの行学を補助するものであると言えるでしょう。
祈願文の読誦の仕方
最も簡単な方法としては御真言を唱えるのみでもかまいませんが、できればその前に帰依、後には回向をお唱えすると尚よろしい。真言は数を決めて唱える場合は一般的に7返、21返、108返(便宜上「100返」とか「数珠一繰」といいますが実際には108返あるいは111返)唱えます。数を決めず集中力が持つ時間だけ、あるいは5分間などと時間を決めて唱える方法もあります。
祈願文などの読誦(読経)をする場合には下記に掲載した順に
(1)帰依文 (2)七支分 (3)四事業祈願文 (4)御真言
(5)回向文
とお唱えするとよいでしょう。時間の都合などで全部お唱えするのが難しい場合は(2)のみでもよいかと思います。
お唱えするのはチベット語でも日本語でもかまいませんが、今回の翻訳は読誦用に音数などを整えているわけではありません。かといって全く意味がわからず呪文のようにチベット語で読むというのもあまりおすすめできませんので、少し面倒ですが意味を確認しながらチベット語で唱えることに慣れるというのがよいのではないかと思います。
また、帰依文と回向文は下記に紹介したものではなく、他の一般的なチベット語のものでも漢訳のものでもかまいません。
パルデン・ラモへの祈願文
チベット語には日本語にない発音が多く、つづりや規則どおりに読まない場合や人や地方によって発音が違ってたりするのでカタカナは参考程度にしてください。カタカナ表記の・は読誦の区切りであって意味の区切りではありません。
パルデン・ラモの種字(本尊を象徴する文字)བྷྱོཿは現代サンスクリット発音だとビョーですが、チベット語ではジョーと発音しますのでそれに従いました。
〔〕は意味を補う語で読誦してもしなくてもかまいません。()は補足ですので読誦しません。
(1)帰依文
སྐུ་གསུམ་ལྷུན་གྲུབ་ཐུགས་རྗེ་མཐར་ཕྱིན་ཀྱང་། །སྲིད་གསུམ་གདུག་པ་འདུལ་ཕྱིར་ཁྱོས་པའི་སྐུ། །
དུས་གསུམ་རྒྱལ་བའི་བསྟན་སྲུང་ཆེན་མོ་ལ། །སྒོ་གསུམ་གུས་པ་ཆེན་མོས་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །
クスム・フントゥプ・トゥクジェ・タルチン・キャン、
スィースム・ドゥクパ・ドゥルチル・キューペー・ク、
トゥースム・ギェルウェー・テンスン・チェンモ・ラ、ゴスム・クーパ・チェンムー・チャクツェル・ロ。
自然成就の三身と円満なる悲心、三世間の悪を制さんがための忿怒身
三世の勝者の教えを護る大母尊に、三門(身口意)の大恭敬をもって礼拝いたします。
(2)七支分
(帰依)
བྷྱོཿ དཔལ་ལྡན་ལྷ་མོ་དཔག་པར་དཀའ་བ་ཁྱོད། །ཐབས་ཀྱི་ཆོ་འཕྲུལ་ནམ་མཁའི་མཐའ་ལ་སྤྱོད། །
བྱང་ཆུབ་སེམས་དཔའི་སྤྲུལ་པ་ཁྱོད་ཉིད་ལ། །ལུས་ངག་ཡིད་གསུམ་གུས་པས་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །
ジョー・ペルデン・ラモ・パクパル・カーワ・キュー、
タプキ・チョトゥル・ナムケー・ターラ・チュー、
チャンチュプ・セムペー・トゥルパ・キューニー・ラ、
ルーガク・イースム・クーペー・チャクツェル・ロ。
ビョー、不可思議なる御身パルデン・ラモ、
方便たる神変は虚空辺際に満ちる。
菩薩の応化たるあなたに、
身口意の三〔門〕の恭敬をもって礼拝いたします。
(供養)
ཁྱོད་ནི་བདག་གི་མཆོད་པས་མ་བསྒྲིབས་ཀྱང་། །དཔལ་ལྡན་དངོས་གྲུབ་དམ་པ་ཐོབ་བྱའི་ཕྱིར། །
འདོད་པའི་ཡོན་ཏན་མཁའ་ལ་ཆར་ཕབ་ནས། །མཆོད་པའི་ཚོགས་འདིས་དབང་པོ་རྒྱས་གྱུར་ཅིག །
キューニ・ダクキ・チューペー・マディプ・キャン、
パルデン・グートゥプ・タムパ・トプチェー・チル、
ドゥーペー・ユンテン・カーラ・チャルパプ・ネー、
チューペー・ツォクディー・ワンポ・ギェーキュル・チク。
あなたは私の供養によって曇ることなく、
吉祥なる最勝の成就を得るために
望む功徳を空に雨振らせ、
この供養の集積によって〔六〕根を満たしたまえ。
(懴悔)
དཔལ་ལྡན་ཁྱོད་ནི་དགེ་སྡིག་དཔང་པོ་སྟེ། །བདག་གི་ལུས་ངག་ཡིད་ཀྱི་ཉེས་པའི་ཚོགས། །
ཁྱེད་ཀྱི་ཐད་དུ་འགྱོད་པས་རབ་བཤགས་ན། །ཐུགས་རྗེའི་ཤུགས་ཀྱིས་སྒྲིབ་པ་བྱང་བར་མཛོད། །
パルデン・キューニ・ゲディク・パンポ・テ、
ダクキ・ルーガク・イーキ・ニェーペー・ツォク、
キューキ・テートゥ・ギューペー・ラプシャク・ナ、
トゥクジェー・シュクキー・ディプパ・チャンワル・ズー。
吉祥なるあなたは善悪の裁定者にて、
私の身口意の罪過の集積を、
あなたの面前にて悔いて懴悔したならば、
悲の力により罪障を浄化したまえ。
(随喜)
ཁྱོད་ཀྱི་ཁྱད་པར་ཡོངས་སུ་འཕགས་པ་ནི། །འགྲོ་བའི་དོན་མཛད་བདག་དོན་ཕུན་སུམ་ཚོགས། །
དགའ་མཐུན་ཕྲག་དོག་མེད་པའི་སྤྲོ་བ་ནི། །རྗེས་སུ་ཡི་རང་ཁྱོད་ཀྱི་རྒྱུད་ལ་འབུལ། །
キューキ・キェーパル・ヨンス・パクパ・ニ、
ドウェー・トゥンゼー・ダクトゥン・プンスム・ツォク、
ガートゥン・タクトク・メーペー・トワ・ニ、
ジェース・イラン・キューキ・ギューラ・ブル。
あなたの特質は円満なる聖者であり、
有情を利益し自利を円満する、
嫉妬なき相互の幸福の歓喜を、
随喜してあなたの相続に捧げます。
(勧請)
ཡང་དག་ཡོན་ཏན་ལྡན་པའི་སྐུ་མཆོག་ནི། །ནག་དང་བཟང་མོ་འཇིག་པའི་ཆ་བྱད་ཅན། །
ཕྱོགས་བཅུ་དུས་གསུམ་ཀུན་ཏུ་འགྲོ་དོན་ལ། །སྒྱུ་འཕྲུལ་དྲ་བའི་ཚུལ་སྟོན་བསྟན་དུ་གསོལ། །
ヤンダク・ユンテン・デンペー・クチョク・ニ、
ナクタン・サンモ・ジクペー・チャチェー・チェン、
チョクチュ・トゥースム・クントゥ・ドトゥン・ラ、
ギュトゥル・タウェー・ツルトゥン・テントゥ・スル。
真なる功徳を具足した最勝の身は、
黒き怖畏母の姿をとり、
十方三世すべての有情の利益のために、
幻化網の妙手(各々に最適の手段)を示現したまえ。
(祈願)
དེ་ལྟར་ཡང་དག་ལྡན་པའི་སྐུ་མཆོག་ནི། །འགྲོ་བའི་དོན་དང་བསྟན་པ་བསྲུང་བྱའི་ཕྱིར། །
ནམ་མཁའ་ཟད་པར་མ་གྱུར་བར་དུ་ཡང་། །མྱ་ངན་མི་འདའ་རྟག་པར་བཞུགས་སུ་གསོལ། །
テータル・ヤンダク・デンペー・クチョク・ニ、
ドウェー・トゥンタン・テンパ・スンチェー・チル、
ナムカー・セーパル・マキュル・ワルトゥ・ヤン、
ニャゲン・ミダー・タクパル・シュクス・スル。
このように真正なる最勝の身は、有情利益と護教のために、
虚空が尽きぬうちには、涅槃に入ることなく常に〔この世に〕住したまえ。
དེ་ལྟར་ཕྱག་འཚལ་མཆོད་ཅིང་བཤགས་པ་དང་། །རྗེས་སུ་ཡི་རང་བསྐུལ་ཞིང་གསོལ་བ་ཡི། །
དགེ་བ་འདི་ཡིས་ངན་སོང་སྟོངས་གྱུར་ནས། །ཐམས་ཅད་བདག་གིས་བྱང་ཆུབ་ཕྱིར་བསྔོའོ། །
テタル・チャクツェル・チューチン・シャクパ・タン、
ジェース・イラン・クルシン・スルワ・イ、
ゲワ・ディイー・ゲンソン・トンキュル・ネー、
タムチェー・ダクキー・チャンチュプ・チルゴ・オ。
このように帰依・供養・懴悔、
随喜・勧請・祈願した
この善によって悪趣はなくなり、
〔これら〕すべてを私は菩提のために回向します。
(3)四事業祈願
(息災)
བྷྱོཿསེམས་ཉིད་འཕྲིན་ལས་རྣམ་བཞིའི་ཁྱད་པར་ནི། །སེམས་ཉིད་གུད་ན་མེད་ཅིང་སེམས་ཀྱང་མེད། །
དོན་དམ་དབྱེར་མེད་ཁ་དོག་གཟུགས་ཀྱང་མེད། །རྫུ་འཕྲུལ་སྒྱུ་མ་ཙམ་དུ་རང་གི་སེམས། །
ジョー・セムニー・ティンレー・ナムシー・キェーパルニ、
セムニー・クーナ・メーチン・セムキャン・メー、
トゥンタム・イェルメー・カトク・スクキャン・メー、
ズトゥル・ギュマ・ツァムトゥ・ランキ・セム。
ビョー、心性は四種の事業の特質である〔が〕、
〔勝義には〕心性は不可分にして思考もない。
勝義は無別であり色・形もない。
神変は単に幻として私の心に応じて示される。
མཐུན་པར་བསྟན་པ་ཞི་བའི་དཔལ་ལྷ་མོ། །ཞི་མཛད་ཞི་འགྱུར་ཞི་བའི་ངང་ཚུལ་ཅན། །
ཞི་བའི་འཁོར་གྱིས་བསྐོར་པའི་གཙོ་མོ་ནི། །རྟགས་ཀྱི་སྐུ་མདོག་དཀར་མོ་ཤིན་ཏུ་དྭངས། །
ཀུན་ཏུ་ཞི་མཛད་མ་ལ་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །བདག་གི་ནད་གདོན་བར་ཆད་ཞི་བར་མཛོད། །
トゥンパル・テンパ・シウェー・ペルラ・モ、
シゼー・シギュル・シウェー・ガンツル・チェン、
シウェー・コルキー・コルペー・ツォモ・ニ、
タクキ・クドク・カルモ・シントゥ・タン、
クントゥ・シゼー・マラ・チャクツェル・ロ、
ダクキ・ネードゥン・パルチェー・シワル・ズー。
〔心に〕相応して現れる息災のパルデン・ラモ、
息災を為し、息災〔そのもの〕であり、息災の状態にあり、
息災の眷属に囲繞されし尊母、
〔息災の〕印たる身色は甚だ清澄なる白、
すべてを息災にする尊母に帰依します。
私の病、悪霊、障碍を鎮めたまえ。
(増益)
བྷྱོཿསེམས་ཉིད་འཕྲིན་ལས་རྣམ་བཞིའི་ཁྱད་པར་ནི། །སེམས་ཉིད་གུད་ན་མེད་ཅིང་སེམས་ཀྱང་མེད། །
དོན་དམ་དབྱེར་མེད་ཁ་དོག་གཟུགས་ཀྱང་མེད། །རྫུ་འཕྲུལ་སྒྱུ་མ་ཙམ་དུ་རང་གི་སེམས། །
ジョー・セムニー・ティンレー・ナムシー・キェーパル・ニ、
セムニー・クーナ・メーチン・セムキャン・メー、
トゥンタム・イェルメー・カトク・スクキャンメー、
ズトゥル・ギュマ・ツァムトゥ・ランキ・セム。
ビョー、心性は四種の事業の特質である〔が〕、
〔勝義には〕心性は不可分にして思考もない。
勝義は無別であり色・形もない。
神変は単に幻として私の心に応じて示される。
མཐུན་པར་བསྟན་པ་རྒྱས་བའི་དཔལ་ལྷ་མོ། །རྒྱས་མཛད་རྒྱས་འགྱུར་རྒྱས་བའི་ངང་ཚུལ་ཅན། །
རྒྱས་བའི་འཁོར་གྱིས་བསྐོར་པའི་གཙོ་མོ་ནི། །རྟགས་ཀྱི་སྐུ་མདོག་སེར་མོ་ཤིན་ཏུ་བརྗིད། །
ཀུན་ཏུ་རྒྱས་མཛད་མ་ལ་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །བདག་གི་ཚེ་དང་བསོད་ནམས་རྒྱས་པར་མཛོད། །
トゥンパル・テンパ・ギェーペー・ペルラ・モ、
ギェーゼー・ゲーギュル・ギェーペ・ガンツル・チェン、
ギェーペー・コルキー・コルペー・ツォモ・ニ、
タクキ・クドク・セルモ・シントゥ・ジー、
クントゥ・ギェーゼー・マラ・チャクツェル・ロ、
ダクキ・ツェタン・スーナム・ギェーパル・ズー。
〔心に〕相応して現れる増益のパルデン・ラモ、
増益を為し、増益〔そのもの〕であり、増益の状態にあり、
増益の眷属に囲繞されし尊母、
〔増益の〕印たる身色は大いに輝く黄色、
すべてを増益する尊母に帰依します。
私の寿命と福徳を増益したまえ。
(敬愛)
བྷྱོཿསེམས་ཉིད་འཕྲིན་ལས་རྣམ་བཞིའི་ཁྱད་པར་ནི། །སེམས་ཉིད་གུད་ན་མེད་ཅིང་སེམས་ཀྱང་མེད། །
དོན་དམ་དབྱེར་མེད་ཁ་དོག་གཟུགས་ཀྱང་མེད། །རྫུ་འཕྲུལ་སྒྱུ་མ་ཙམ་དུ་རང་གི་སེམས། །
ジョー・セムニー・ティンレー・ナムシー・キェーパル・ニ、
セムニー・クーナ・メーチン・セムキャン・メー、
トゥンタム・イェルメー・カトク・スクキャンメー、
ズトゥル・ギュマ・ツァムトゥ・ランキ・セム。
ビョー、心性は四種の事業の特質である〔が〕、
〔勝義には〕心性は不可分にして思考もない。
勝義は無別であり色・形もない。
神変は単に幻として私の心に応じて示される。
མཐུན་པར་བསྟན་པ་དབང་གི་དཔལ་ལྷ་མོ། །དབང་མཛད་དབང་འགྱུར་དབང་གི་ངང་ཚུལ་ཅན། །
དབང་གི་འཁོར་གྱིས་བསྐོར་པའི་གཙོ་མོ་ནི། །རྟགས་ཀྱི་སྐུ་མདོག་དམར་མོ་ཤིན་ཏུ་ཆགས། །
ཀུན་ཏུ་དབང་མཛད་མ་ལ་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །ཁམས་གསུམ་སེམས་ཅན་ཐམས་ཅད་དབང་དུ་སྡུས། །
トゥンパル・テンパ・ギェーペー・ペルラ・モ、
ワンゼー・ワンギュル・ワンキ・ガンツル・チェン、
ワンキ・コルキー・コルペー・ツォモ・ニ、
タクキ・クドク・マルモ・シントゥ・チャク、
クントゥ・ワンゼー・マラ・チャクツェル・ロ、
カムスム・セムチャン・タムチェー・ワントゥ・ドゥー。
〔心に〕相応して現れる敬愛のパルデン・ラモ、
敬愛を為し、敬愛〔そのもの〕であり、敬愛の状態にあり、
敬愛の眷属に囲繞されし尊母、
〔敬愛の〕印たる身色は甚だ魅力的な赤、
すべてを統御する尊母に帰依します。
三界の一切有情を統御させたまえ。
(調伏)
བྷྱོཿསེམས་ཉིད་འཕྲིན་ལས་རྣམ་བཞིའི་ཁྱད་པར་ནི། །སེམས་ཉིད་གུད་ན་མེད་ཅིང་སེམས་ཀྱང་མེད། །
དོན་དམ་དབྱེར་མེད་ཁ་དོག་གཟུགས་ཀྱང་མེད། །རྫུ་འཕྲུལ་སྒྱུ་མ་ཙམ་དུ་རང་གི་སེམས། །
ジョー・セムニー・ティンレー・ナムシー・キェーパル・ニ、
セムニー・クーナ・メーチン・セムキャン・メー、
トゥンタム・イェルメー・カトク・スクキャンメー、
ズトゥル・ギュマ・ツァムトゥ・ランキ・セム。
ビョー、心性は四種の事業の特質である〔が〕、
〔勝義には〕心性は不可分にして思考もない。
勝義は無別であり色・形もない。
神変は単に幻として私の心に応じて示される。
མཐུན་པར་བསྟན་པ་དྲག་པོའི་དཔལ་ལྷ་མོ། །དྲག་མཛད་དྲག་འགྱུར་དྲག་པོའི་ངང་ཚུལ་ཅན། །
དྲག་པོའི་འཁོར་གྱིས་བསྐོར་པའི་གཙོ་མོ་ནི། །རྟགས་ཀྱི་སྐུ་མདོག་ནག་མོ་ཤིན་ཏུ་རྔམ། །
ཀུན་ཏུ་དྲག་མཛད་མ་ལ་ཕྱག་འཚལ་ལོ། །བདག་གི་ནད་གདོན་དགྲ་བགེགས་དྲག་པོས་སྒྲོལ། །
トゥンパル・テンパ・タクプー・ペルラ・モ、
タクゼー・タクギュル・タクキ・ガンツル・チェン、
タクキ・コルキー・コルペー・ツォモ・ニ、
タクキ・クドク・ナクモ・シントゥ・ガム、
クントゥ・タクゼー・マラ・チャクツェル・ロ、
ダクキ・ネードゥン・ダゲク・タクプー・ドゥル。
〔心に〕相応して現れる調伏のパルデン・ラモ、
調伏を為し、調伏〔そのもの〕であり、調伏の状態にあり、
調伏の眷属に囲繞されし尊母、
〔調伏の〕印たる身色は甚だ苛烈なる黒、
すべてを調伏する尊母に帰依します。
私の病・悪霊・怨敵の障碍を忿怒にて調伏したまえ。
(祈願・回向)
བྷྱོཿཁྱོད་ཀྱི་རང་བཞིན་ཅིར་ཡང་མ་གྲུབ་ཀྱང། །འདི་ལྟར་མཚན་ཉིད་ཅིར་ཡང་སྣང་བ་ཡིས། །
འཕྲིན་ལས་རྣམ་བཞིས་འགྲོ་དོན་མཛད་པ་ལ། །བདག་གིས་བསྒྲིམས་ཏེ་རབ་ཏུ་བསྟོད་བགྱིད་ན། །
བདག་ཀྱང་ལས་བཞིའི་རང་བཞིན་ལྷུན་འགྲུབ་སྟེ། །ཁྱོད་ལྟར་འགྲོ་བའི་དོན་ལ་བརྩོན་པར་ཤོག །
ジョー・キューキ・ランシン・チルヤン・マトゥプ・キャン、
ディタル・ツェンニー・チルヤン・ナンワ・イー、
ティンレー・ナムシー・ドトゥン・ゼーパ・ラ、
ダクキー・ディムテー・ラプトゥ・トゥーギー・ナ、
ダクキャン・レーシー・ランシン・フンドゥプ・テー、
キュータル・ドウェー・トゥンラ・ツンパル・ショク。
あなたの自性はいかなるものもなく、
このような性質のすべて顕現〔のみ〕による、
四事業の有情利益の行いに、私が一心に最上の讃嘆を為したなら、
私も四事業の自性を自然成就して、あなたの如く有情利益に励みましょう。
(4)パルデン・ラモの御真言
བྷྱོཿ རཀ་མོ་ བྷྱོ་ རཀ་མོ་ བྷྱོ་ བྷྱོ་ རཀ་མོ་ ཐུན་ བྷྱོ་ ཁ་ལ་རཀ་ཆེན་མོ་ རཀ་མོ་ ཨབྱ་ཏ་བྱ་ཐུན་བྷྱོ་ རུ་ལུ་རུ་ལུ་ ཧཱུྃ་བྷྱོ་ཧཱུྃ། །
ジョー・ラモ・ジョー・ラモ・ジョー・ジョー・ラモ・トゥンジョー・カラ ラチェンモ・ラモ・アジャタジャ・トゥンジョー・ルル・ルル・フーン・
ジョー・フーン。
(※རཀ་མོ་は通常、結合文字で表記されますが表示できないので便宜上のものです)
(5)回向文
བདག་སོགས་དེང་ནས་ཚེ་རབས་ཐམས་ཅད་ཏུ། །གསང་བའི་ལྷ་མོ་ཁྱོད་དང་མི་འབྲལ་ཞིང་། །
བར་ཆད་བགེགས་ཀྱི་མཚན་མ་ཅི་འབྱུང་ཡང་། །དེ་ཀུན་ལྷ་མོ་ཁྱོད་ཀྱིས་བཟློག་པར་མཛོད། །
ダクソク・テンネー・ツェラム・タムチェー・トゥ、
サンウェー・ラモ・キュータン・ミデル・シン、
パルチェー・ゲクキー・ツェンマ・チジュン・ヤン、
テクン・ラモ・キューキー・ドクパル・ズー。
我らは今よりすべての生で、
秘密の女神たるあなたと離れることなく、
いかなる障碍や魔の兆候が現れようとも、
それらすべてが女神たるあなたによって退けられますように。
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