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「護法尊パルデン・ラモ1 概要」2020年10月19日の投稿

※この記事は以前に書いていたブログのコピペ(一部訂正など有り)です。

2020年10月現在COVID-19の流行が収まる気配はいまだ見えていません。この感染症の流行以来、チベット仏教の寺院では収束を願って薬師如来、ターラー、パルナシャヴァリー、獅子吼観音、今回紹介するパルデン・ラモなどの病気平癒に強い力があるとされる本尊への祈願や儀式が盛んに行われています。

パルデン・ラモは護法尊と呼ばれるグループに属する神です。護法尊は主に生活や修行のための障害を取り除く力に長けていて、仏道修行における主な実践ではないもののメインの修行と合わせて行うことによってさまざまな困難から守ってくれるといわれています。

本来なら護法尊の前に仏菩薩の紹介するのが筋だとは思うのですが、最近私が自分の行のためにパルデン・ラモへの祈願などを調べて整理、翻訳をしていたところで、折角なのでシェアしようと思った次第です。

パルデン・ラモとは何か

チベット語でパルデン・ラモདཔལ་ལྡན་ལྷ་མོ་(日本語では表記が難しい発音でパルデン/パンデン/ペルデン/ペンデン、ラモ/ハモなどの表記があります。)、サンスクリットではシュリーデーヴィーśrīdevīと呼ばれ、字義どおりに訳すと吉祥天女となりますが一般的に知られる吉祥天や、シュリーデーヴィーとも呼ばれるインドの女神ラクシュミーとは別の女神です。(ただし下記のドゥソル・ドゥカン・ワンチュクマのみラクシュミーの化身とされる)

またパルデン・ラモとは個別の女神を指す言葉ではなく、似た形態をもつ21あるいは数十ともいわれる忿怒形の女神たちの総称です。そのため単にパルデン・ラモと呼称されていても宗派・流派によってそれぞれ違う女神を指している場合があります。そのうち、比較的よく目にするものには

・ドルジェ・ラブデンマ
  身色赤黒または黒、二臂で剣とマングースを持つ。

・ドゥソル・ドゥカン・ワンチュクマ
  身色青黒、四臂で剣・髑髏杯・金剛橛(または槍)・三叉戟を持つ。
  ラクシュミー女神の化身。

・マクソル・ギャルモ
  身色青黒、二臂で金剛杖と髑髏杯を持つ。詳しくは下記参照。

の3種です。このなかで、今回は私の所属宗派ゲルク派に縁の深いマクソル・ギャルモについて解説します。

パルデン・ラモの物語

昔、スリランカに悪逆無道なる王がいました。王は多くの国民や家臣を虐殺し、僧侶をも殺害し仏教の弾圧を行っていました。その王のもとに嫁いだ王妃は清らかな心の持ち主で、密かに「私が王の悪行を止め仏教に帰依させよう、もしそれが達成できなければ王家を断絶させよう」という誓いを立てました。

それから時は流れましたが、王妃の長年の努力もむなしく王は一向に悪行をやめることはありませんでした。しかも彼らの息子もまた父王の性質を受け継ぎ悪行と仏教弾圧に意欲を見せるようになりました。

王妃はもはや彼らを改心させることを諦め、かつての誓いのとおりに王家を断絶させるべく夜叉女となりました。そしてある日、王が狩りに出かけている隙に息子を殺害。頭蓋骨を盃にして血を飲み肉を喰らい、生皮を鞍にしてラバに乗って王宮を後にしました。

狩りから帰ってきた王は惨状を見て激怒、王妃が去った方向に向かって呪いの毒矢を放ちます。その矢は王妃のラバのお尻に刺さってしまいましたが、王妃はその矢を抜き「この傷が国々を見守る目となりますように。そして私は必ずや悪逆なる王朝を断滅させましょう」と祈願と誓願をするとラバの傷は癒え傷口は大きな目となりました。

その後、彼女はインドへ渡りさらに中国やモンゴルを渡り歩き最後はロシアにまで至ったと言われています。彼女こそが護法尊パルデン・ラモなのです。


この壮絶な王妃パルデン・ラモの行動は現代日本に生きる私達には少し理解しがたいかもしれません。しかし、一般的に他者の悪行を止めるという行為には被害者の救済はもとより、加害者にも悪業を積ませないという功徳があるというのはご理解いただけると思います。古代インドでは多数の殺生をしようとする者を殺してでも止めるというのは善悪両方の業になるが、概ね善業のほうが強いと見做されていたようです。しかしいくら善業のほうが強いとはいえ1人を殺害するという悪業は消えないので、それによって来世はほぼ地獄行きです。自身が地獄に堕ちることも顧みず被害者の救済のみならず加害者がこれ以上悪業を積まないようにするというのは慈悲と勇気に満ちた行いなのです。

ただしこれは古代インドの価値観で語られている物語です。現代社会・倫理観においての是非は議論が必要でしょう。少し話が逸れますが一切智者たる仏陀の説とはいえ、そのときどきの社会状況に応じて説かれています。そこは慎重に考え検討すべきで「仏説だからすべて文字どおり行っていい」とか「仏陀はこんな(現代的には)おかしなことを言ってるから信じるに値しない」などという極端で短絡的な考えをするべきではありません。

パルデンラモ2

パルデン・ラモ・マクソル・ギャルモ

マクソル・ギャルモとは「軍隊を打ち負かす女」という意味で漢訳風にすすならば「勝軍母」とでも訳しましょうか。ゲルク派でパルデン・ラモという場合にはほぼこのマクソル・ギャルモを指します。
(以下、単にパルデン・ラモという場合はマクソル・ギャルモを指します)

パルデン・ラモは歴代ダライ・ラマの守護者であり、チベットの王都ラサの守護者、チベット国・政府の守護者といわれることもあります。

彼女は出世間、すなわち世俗から脱した(=完全な覚りを得ている)護法尊であり、弁才天の化身、忿怒形の弁才天とされています。また弁才天は白ターラーと同一視されることから、忿怒形のターラーともいわれます。

パルデン・ラモは人間の皮を鞍にしてラバに乗り血の海を渡る姿で描かれます。身色は青黒く、一面二臂で三眼、右手で白檀の金剛杖を振り上げ、左手で血で満ちた髑髏盃を持つ。逆立つ赤黄褐色の髪、忿怒の表情を示し、口には牙をあらわにして死体を咥える。頭を5つの髑髏の宝冠で飾り、耳には一方に獅子、もう一方に蛇のついた耳飾りを着ける。虎皮を腰に巻き、生首50個を連ねた瓔珞(首飾り)をはじめ、骨や皮・蛇・宝石などでできたさまざまな装飾を身につける。ヘソを太陽、頭頂を月が飾り、頭上には孔雀の羽根でできた傘蓋が浮かぶ。病魔を封じた革袋や人の未来を予見するサイコロなどを持つ。眷属として磨羯面女と獅子面女、また四事業(息災・増益・敬愛・調伏)を司る4女神、四季の4女神、長寿の女神、猛獣などを従える。


このように非常に恐ろしい姿で四魔(煩悩魔・蘊魔・死魔・天魔)を退けるといわれてます。上述の物語もこれらの恐ろしくて不気味な装飾品もさまざまな徳目を象徴するものです。ですから物語を歴史上の事実であると盲信する必要はありませんし、装飾品や供物を実際の人間や動物を殺して作ったものであると考えるのは誤りです。例えば逆立つ髪は智慧の炎、宝冠の5つの髑髏は代表的な5つの煩悩(貪り・怒り・無知・慢心・嫉妬)を燃やし尽くしていること、50個の生首は分別(誤った思い込み)を断っていることの象徴などです。

パルデン・ラモは護法尊マハーカーラの従者あるいは妃とされたり、上述のドゥソル・ドゥカン・ワンチュクマの従者あるいは妹とされる場合もあります。しかしこれはパルデン・ラモが彼らに劣るということを意味しません。一般社会の感覚では従者のほうが地位や力が低いという感覚がありますが仏教の尊格においては必ずしもそうとはいえません。ある場合には従者とされる尊格が別の場合にはその主尊より重要視されることは多々あります。パルデン・ラモの従者である獅子面女をパルデン・ラモ以上に重要視する流派もあります。

話は逸れますが、仏菩薩、出世間の護法尊などを人格神としてのみ理解するのは誤りです。もちろん人格神として現れることもありますし、そう思ったほうが供養などの実践がしやすいという利点もありますが、それは外面的な仮の姿に過ぎません。彼らの本質は仏陀の特性です。パルデン・ラモであれば仏陀の智慧によって障碍を退けるという働きが護法尊の姿をとったものです。祭り方が悪いとかお供えが少ないなどの理由で機嫌を損ねて災い起こすことなどもありません。とはいえ我々が欲望や怒りや怠惰などの煩悩を伴って間違った行為をした場合には、それをやめさせ良い方向に導くために人格神として怒ったり悲しんだりして見せる場合はあるでしょう。
(※これは仏菩薩、出世間の護法尊の場合であり、世俗の神はこの限りではありません)

この後、パルデン・ラモへの帰依文・祈願文を紹介しようと思ったのですが長くなってしまったので記事を分けることにしました。数日内には投稿いたしますのでお待ち下さい。

パルデンラモ3


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