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哲学だけは残しておいてほしい

こんにちは、みなさん。カオマンガイコダイラです。
私がなにゆえこんな名前を選んだか……は置いといて、みなさんはいま幸せですか?

私は幸せではありません。正確に言うと、世間一般から見ると「幸せでない」ということになるだろうなぁと思っています。内面では、時には幸せを感じる時もあります。資格試験に合格したとき、起き抜けに冷たい水を飲みほしたとき、春の川沿いを歩いたとき。

ただ、私は職場や仕事になじめず何度も休職と転職を繰り返してきましたし、高い家賃とじわじわ上がる社会保険料&年金に押されて貯金は減るばかり、おまけに独身のまま(相手のいないまま)30歳になろうとしています。

一方で、出世や栄転し、次々結婚していくうえ、子どもを産んだり家を買ったりする同期や友人たち。私とは住んでいる世界が違うのでしょうか。持っているものが違うのでしょうか。私は何も持たざる人間なのでしょうか?

……と考えたとき、あった。
こんな私にも、いや、こんな私だからこそ残っているものが。

それは哲学です。

いや、私には「哲学する」ことはできないので、「哲学者たちの哲学書を読む」ということです。

考えてみると、哲学者というのは決して幸せだった人ばかりではない。むしろ外から見れば「悲惨な人生」を歩んだ人の方が多いような気がします。

・処女作が酷評され、「世間に認められたい」と思いながらも、無国籍者となり発狂して死んでしまったドイツのニーチェ【主著:ツァラトゥストラ】
・好きで好きでたまらない婚約者がいたものの、自身の不器用さと孤独癖から自ら婚約破棄し(しかしその後も愛し続けた)、仕事に就くこともなかったデンマークのキルケゴール【主著:死に至る病】
ユダヤ人だったため、親族のほぼ全員がナチスによって虐殺されたことが、「他者の顔」が「なんじ殺すなかれ」と「自分」に語りかけるという独自の哲学の出発点となったリトアニア→フランスのレヴィナス【主著:全体性と無限】
・兄4人のうち3人が自殺し、自分も自殺への誘惑と闘いながら、生涯独身を貫いたオーストリアのヴィトゲンシュタイン【主著:論理哲学論考】
実家が営んでいた大商会が子供の頃になくなり、以後何人もの女性と交際するが結局結婚できず、「幸福」や「読書」「女性」「自殺」について一人で考えを巡らしていたドイツのショーペンハウアー【主著:幸福について】
・マルクス主義への傾倒を示したことから逮捕され、教壇に立つことができなくなり、政府に主義主張を悟られないよう難解な文章をあえて書き続けるも、最後は汚物にまみれて獄死した日本の三木清【主著:人生論ノート】
・「生まれてきたことへの後悔」を標榜し、「人生の中で唯一自分が決定権を握れる行為:自殺」さえも勧める(でも結局自身はしなかった)ルーマニア→フランスのシオラン【主著:生誕の災厄】

どの人もいわゆる「幸せな人生」ではなかったかもしれません。でも、幸いなことに、彼らはその幸せでない人生について論理的な思考を巡らし、「なぜ生きるのか」「幸福とはなにか」を考え、著作に残してくれています。
それは、先人哲学者たちが絶望の淵からすくいあげた「何か」を形にしたものです。きっとその淵までいかないと「人生」や「幸福」については見えてこないものがあると思うのです。(そう考えると『経営哲学』『成功哲学』という言葉の薄っぺらさに震えます)

ですから、哲学者たちの著作を読むことで「今幸せを感じていない私とはなにか、それはなぜか」というテーマを考えるのが、幸せでない者に残っている希望だと私は思います。

そもそも、哲学なんて幸せに生きられれば不要だと思うのです。むしろマイナスに働く可能性すらある。例えば、子どもを作りたいと思っている夫婦はシオランの『生誕の災厄』は読まない方がいいです(生まれてきたのは失敗だった……とずっと語っている本だから)。(外から見たら)幸せに生きることだって結構大変だと思うので、余計なことを考えている暇だってないかもしれませんし。

でも私には、そういうことを考える時間があります。そして先人たちがどんな風に考えたか、追体験してみたいのです。だから私は哲学だけは残しておいてほしい。これからも自分を「幸せだと思わない」人たちのために。

#散文 #駄文 #哲学 #人生 #ニーチェ #キルケゴール #レヴィナス #ヴィトゲンシュタイン #ショーペンハウアー #三木清 #シオラン

※トップ画像は大谷崇「生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想」青海社:表紙より引用。

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