見出し画像

【カニ記】非定型で生きる∶四角い座敷を丸く掃く、四角を丸い型にはめる

自分のことを注意欠陥気味だと認識している。
成人向けのADHD検査をしてみたいとは思っているのだが、これまた注意欠陥による見通しの甘さ、つまり予定のたてられなさ、によってなかなか予約を取れないでいる。困ったことだ。

周囲の人たちにしてみれば、「なぜそんなことをするのか?」と疑問に思われる行動を取ることが多い人生です(現在進行系で)。
自分にしてみればしごく当たり前の行動を取っているだけなので、言われるまで何が駄目なのかわからない。
「四角い座敷を丸く掃く」も実際に祖父から言われた言葉。学生の頃に祖父母宅の掃除をしばらく任されていたのだが、和室の掃除機かけがどうも甘かったらしい。
「隅々まで掃除できていない」と言われても、私にとっては掃除機をかけた時点で『掃除した』のであって、その結果キレイになったかどうかまでは注意を払っていない。なぜなら、掃除機かけに興味を持っていないから。
面白いと感じること、例えば庭の雑草取りとか、だったら何時間でも集中してやっている。ただし、優先順位がやるべき順番でなくて興味順なので、家の中が散らかっていたりホコリだらけだったとしても、それはそのままにして草むしりに没頭する。

そんな優先順位のバランスが悪い日常生活を送っている。衣類の毛玉取りは熱心にするくせに(専用の機械ですると超楽しい)、服のアイロンがけは嫌いなのでシャツ類がいつも皺くちゃ。観葉植物を育てたいと思っていても、水やりが面倒で後回しにしすぎて、結局枯らすとか。

注意欠陥と言っても、何にも注意が払えないわけではなくて、注意力の分配にムラがある状態。さっきの草むしりの例だと日が照っていてどんどん日焼けしていって、最終的に軽くヤケド状態になっても一心不乱に草をむしっていると思う。

でも、こういう周囲が見えずに没頭する。というのも有効なんじゃないかと最近感じる。集中して物事に取り組まないといけないシチュエーションと、私自身の興味の対象が重なったときはもうマリオで言えば無敵モードに入る。
飲まず食わず、というまではいかないものの(食いしん坊だから)、トイレに行くのを忘れるくらい過度に集中する。
よくあるのが、締め切り間近だと過集中のゾーンに入るので、すごいパーフォーマンスがを発揮すること。まぁ、そのせいで物事をギリギリまで放っておくクセが抜けないわけで…。


元同僚にも、非定型かな?と思う人がいる。場の空気を読むとか、型式的儀礼的な言動が苦手な人。悪い人じゃないんだが、コミュニケーションをとるのが難しい。
ただ、そんな元同僚は「普通」とか「礼儀」とかにあまり縛られずに生きているので、一緒にいると気づかされることも多かった。挨拶とか、メールだとかを元同僚はスルーする。私はといえば、いかに普通っぽく振る舞うかということに悩んで気をもみ過ぎる。
「お礼メールとか絶対必要じゃないけど、みんなとりあえず送っているから、そうした方がいいのか?それっぽい文面はどうしたら書けるんだろうか?」
そんなことをぐるぐる考えている時間が惜しい。

だから、元同僚の姿を見るとたまにハッとさせられる。定型に必死に合わせる必要はないのでは?
それはまるで四角いものを丸い型にぎゅうぎゅうに押し込むようなもので、あえてそうしないほうが自分らしくいられる。


こんな話も聞いたことがある。集団で盛り上がっている際に、ひとり冷めてしまうような人も進化の過程で必要なのだと。
ある集団の全員が何かに傾倒すると、それが上手くいかなかった場合、全滅してしまう。種を保存するために、少数派の行動をする人も不可欠らしい。

そう考えると、気が楽になる。
定型の世界で生きていく限り、違和感は拭えないだろうけど、少数派であることになんとなく意味が見いだせるから。



*ちなみに、このTシャツが気に入っている。
診断が出れば着てみたい。


いいなと思ったら応援しよう!