【カニ記】似て非なる標準語と共通語
生まれてからずっと関西在住だけれど、母は東京出身。家庭内では共通語を話し、一歩家を出れば関西弁を話すバイリンガルです。
共通語も話すものの、自分は方言ユーザーでもあるという認識なので、久しぶりに「標準語」という言葉を聞いたときに少し、おやっ?と思った。
思い出すのが、中学の国語の先生が言っていたこと。「『標準語』、と言うとその他の方言が標準でなく、それ以下という意味になってしまいます」
当時はそれもそうだと思い、さらには自分の使う愛すべき関西弁が標準以下なわけはない!と鼻息荒くしていた。(余談ですが、敬語の「〜なさる」のかわりに関西で使う「〜してはる」というのは利便性の高いオールマイティな尊敬語だと思っている)
そのため、できるだけ「共通語」という言い方をするようにしていた。
思い返してみれば、この先生はPC(Politically Correct)な表現に気を使っていた人だった。
「両親の国籍が異なる人をさすときには、ハーフと言わずにダブルと言いましょう」と教えていたのもこの先生だったと記憶している。
私が中学生だったころなんて、ウン十年前の話なので、ハーフという言葉を使う人のほうが多かったし、「外国にもルーツのある人」というような表現もまだ浸透していなかった。
ただそう国語の先生に言われたとて、結局私の周りでは当事者も含めてハーフを使っていたし、ダブルという言い方はあまり定着しなかった。
しかし、この先生のおかげで、人を傷つけないような表現を選ぼうとちょっとだけ心がけるようにはなったかもしれない。
NHKのアナウンサーが話す言葉も、今では標準語ではなく共通語と言う。
この「標準」と「共通」という言葉から連想したのが、外国語教育、特に英語教育だ。
ひと昔前まで、ネイティブスピーカーの「標準」な英語に近づこう、近づけようという方針だったように思う。
キレイな発音、キレイな英語を話すことが目的で、日本語なまりの英語など話せば馬鹿にされるぞ。といった空気があった。
そして、その高すぎる目標に届かず脱落していく人がいることも、英語に苦手を感じている人が多い理由なんじゃないだろうか。
ただ、無理だよね。
ネイティブスピーカー並みに喋ろうなんて。
だから、共通語としての英語という考え方に個人的には賛成だし、日本語なまりだろうがインドなまりだろうがロシアなまりだろうが、英語は英語だ。
「共通」の英語、という理解をしていればもっと気負いすることなく喋れるようになるのに。
例えば「へ〜、日本じゃそうやって英語使ってるんだ。うちの国ではこうだよ」ぐらい気軽に。
大学入学共通テストで、非ネイティブの英語話者音声から出題されるようになったのは、いい流れ。
世界にはネイティブ英語話者よりも、非ネイティブ英語話者の方が圧倒的に多いのだから、当然のこととして非ネイティブの英語に触れる機会も多いんだし。
ただ、大学入試改革をしても、その成果が反映されるのはずっと先の話だろう。
それまでどんどん日本における英語への苦手意識は高まっていくような気がする。
それもこれも、あってないような「標準」を目指してしまっていたから。
いつか、胸を張って言える日が来るといい。「日本語(共通語)と関西弁と日本語なまり英語のマルチリンガルですっ!」と。