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【感想】それはまるで劇場のようで【鉄ミュ5〜鉄路にラブソングを〜】

『ミュージカル「青春-AOHARU-鉄道」5〜鉄路にラブソングを〜』を見たので感想を書きます。

円盤を買いました。CDが欲しいので初回限定のやつだ!まぁ今皆様が見ているのは地下ミュの円盤だし、もう6の話をしてるでしょうが……今見たんだから今書くんだ……面白かったんだもん……5……

鉄ミュの総括的な話は既にしたので、今回は単品の話をしたいですね……


幹ミュの感想の方で、「一つ一つのコントを選んで並べて文脈をつくっているのが面白い」というような話をしたけれど、5もかなりそういう作りをしていた。むしろ幹ミュよりそのつながりはわかりやすく強固だったかもしれない。

とりたてて明確な主人公を置いていない鉄ミュであり青春鉄道だけれど、5は信越の物語だったな……と感じた。あらゆる短編が、信越が抱えた複雑な問題を考えるための、様々な角度からの例題のようだと思った。

ということは逆に言えば、信越の問題を考えることというのは青春鉄道という作品の「うまみ」みたいなものとかなりイコールなのでは?とも感じた。こんなにほろ苦い「うまみ」があっていいんですか?とも思うのだけれど、私を含めてそういうのを延々としがんでいるのが好きな人がファンをやっているのだと思うのでそれでいいのだと思う(暴言)

自分の話をしてしまい申し訳ないが、私の故郷は信越の沿線である。車で30分以上かかる駅を最寄り駅と言っていいのかは微妙だが、最も親しみがある在来線というのは間違いない。北陸本線は1度しか使ったことがないのだが、「北陸新幹線がやってくる!」ということへの新潟県内のパニックも肌感として記憶にある。私にとってはかなり「当人ごと」(東海道本線風)の物語なのだ。そのため、そういう愛着のフィルターをのぞいた話をすることはかなり難しくなっている。そのあたりはご容赦ください。

今回の問題のありかは、北陸新幹線開業間近の新潟在来のおしゃべりで早々に提示される。

続くのは、東北新幹線と東北本線、上越新幹線と上越線の、先輩後輩部下上官関係。いろいろを乗り越えて、「あのころはこうだった」と振り返った話ができる人々の話。乗り越えきっているのかと言うとそれはそれで疑問なのだが、少なくとも嵐が過ぎ去ったとは言えそうな人々が語る、それぞれの温度感。

渦中の北陸本線と酒を酌み交わすのは、同じく現在進行形の問題を抱えた函館本線。東海道新幹線と東海道本線はそのパラダイムシフトを60年ほど前に迎えているけれど、リニア計画がある以上、転換期は今もすぐそばにある。

「先輩なのに部下、部下だけど先輩」の彼らと上官たちはそれぞれ事情も条件も性格も違うので、関係性もそれぞれ違う。正解は分からないけれど、共感するところと理想の姿はどこかにあるような気がして、皆がそれを手探りしながら生きている。5はそんな悲喜交々を断片的に追っていく物語だ。

西武新宿と安比奈の話も、この並びで見ると、「人間の形をした人間ではない彼ら」「人間に振り回される道具である彼ら」「そして自分勝手に振り回してくる人間たち」ということを強く印象付けてくる。総武と中央の悩みも、西九州のどうにもならなさも、東海道が暇を持て余すのも、全てが人間の都合で、彼ら自身にはどうすることもできない。信越の問題もそうで、できることはその中でどうにかお互い折り合いをつけること、けじめを自分の中でつけることぐらいしかない。

今回しみじみと考えてしまったのは、青春鉄道には舞台作品として構成するにあたって大きすぎる問題があるということ。この物語には明確な「おしまい」がないのだ。

舞台はフィクションで、幕引きが必要だ。続きものの物語を舞台化する場合でも、大抵は「〇〇編」というような、ある程度のまとまり、山場とオチを用意すると思う。この作品はそのあたりをはっきりさせるのが非常に難しい形をしている。連載中の作品である、ということ以上に、この世界観には倒すべき悪があるわけでもなく、成し遂げるべきはっきりとした目標があるわけでもない。そのうえで、彼らは現在進行形で走り続けていて、過去の話をしたとしても現在と地続きになっている。

そのため今回のラストは、北陸兄弟と信越がそれぞれの視点からの今のところの所感を語り、それをそれぞれがそれぞれなりに受け止めて、納得したかというとそれは一旦置いておいて、とりあえずこれからもこの人たちと付き合っていかないといけないし明日と未来はそのうちやって来るし……と思いを馳せたところで、遮断機を下ろして爆上げエンディングソングをぶち込み終了するというような状態になっている。豪腕すぎる。何かが劇的に解決したとか、危機が去ったとか、そういう何かは起きない。なぜなら現実でそういうことが起きていないからだ。全てを大丈夫にするような一手はなく、かといって世界が終わることもなく、そのまま明日は来る。Xデーもいつか来る。

そんなのって……あまりにも“人生”すぎる!!!

そんな曖昧で不確かでドライでシビアな物語の中で、じゃあ確かなものって何なのかと言えば、「今の私、そして当時の私が君と過ごした事実は揺るがない」ということなのだと思う。

どうにも何にもままならない世界だけど、十数年後には全ての尺度が変わっているかもしれない世界だけど、だからこそそのときどきにぶつかったり泣いたり笑いあったりしたこと自体に価値があるのではないかということ。

それはエンディングで幹ミュの「レイルズマンハート」のリプライズにのせて歌われる。並行在来線の話をじっくり見てきた上で聞く新幹線たちのアンセム。「ここで一緒に歌ったことは忘れない」と歌う。これが指している相手は、作中キャラクターの話だけだろうか。この舞台そのもの、この舞台を見に集まった人々、乗客のことも含めているだろう。

そう思うとき、この「現実と地続きすぎる」という作品と舞台との相性の悪さだと思っていたところは、逆にとんでもない相性の良さへとひっくり返るような気もしてくる。舞台という空間は消えてしまう。観客は去り、役者は別の仕事へと向かい、セットは解体される。それでもあの日、同じ空間で歌って笑ったことは事実で、それは揺るがない。

それは、小学生の私が夜行急行「きたぐに」の寝台に寝転がって細長い窓から外を見ていた夜があったことが、北陸本線がそこからいなくなったって消えないということと、同じことなのではあるまいか。

鉄道路線であったり、列車であったり、車両であったり、沿線風景だったり。それらは永遠のようでいて、案外すぐに移り変わる。それって現実で、人生で、舞台なんじゃないだろうか。

円盤で見ながら、そんなことを考えた。会場で見た方が、その「地続き」感は味わえたのかもしれないと感じた。会場で見た人たちが本当に羨ましいと思う。


なんか……全体的にしみじみと面白かった…!という気持ちがある。全ての出演者の皆様、製作陣の皆様、関係者の皆様にありがとうを言いたい。

北陸トライアングル、すごく良かった……!この座組でここの話をやってくれてありがとうございました!と心から思いました。信越、この先の未来もよろしくね。最近ずっと君のことを考えているよ。


勢い余って感極まりに行きました



そのほか、個人的なMVPは総武さんですね。可愛くてかっこよくて最高の総武さん!初披露のつながるの歌詞も千葉がギュッと詰まってて素敵でした。あと天下の東海道本線理論を聞きながら改めて私は鯨井本線の歌が好きだなとしみじみ思ったので、じっくり聴かせるバラードとかくださいと思いました。これはただの欲。

そして夏には6がやってくる!今回は初めての現地鑑賞が可能になるかもしれない!これだけ「現地で見たらより感じられるものがあるでしょう」とか言っててチャレンジしないのは嘘だろと思うので、ハラハラしながら待ちたいと思います。楽しみ!!!

今日はここまで。ありがとうございました。

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