【えいごコラム(BN46)】ビーバーさんの英語
以前のコラムで、『ライオンと魔女』のビーバー氏が子どもたちに次のように述べる場面を紹介しました。
これを見て「あれ、このセリフ変じゃない?」と思った人はけっこう英語のできる人です。
この文には文法的な誤りがあります。
“Who is the King of Beasts?” は「けものたちの王は誰ですか」という疑問文です。
しかし上の文では、その疑問文が他の文に組み込まれ、「間接疑問文」の形になっています。
間接疑問文は平叙文と同じ語順をとります。
したがって正しくはこうなるべきです。
ケンブリッジ大学の教授であるC・S・ルイスが文法を間違えた・・・わけじゃありません。
ビーバー氏はここで、文法的に正しくない英語をしゃべるキャラクターとして意図的に描かれているのです。
このことがもっとはっきり示される場面があります。
子どもたちがビーバー夫妻とともにアスランのもとへ向かう途中、洞穴の中で休んでいるとき、橇の鈴の音が聞こえてきます。
魔女が彼らを追ってきたのだと思ったビーバー氏は、様子を見るために洞穴の外へ出ていきます。
間もなく彼は大声で皆に呼びかけます。
ビーバー氏の言う “It isn’t Her!” は「橇に乗っているのは彼女(魔女)じゃない」ということですが、語り手はそれを “bad grammar” 、つまり文法的な間違いだと指摘しています。
何がいけないのでしょう。
この文は It が主語、 isn’t が述語動詞、 Her が補語の「第2文型」です。
第2文型の補語は「主格補語」です。
したがって、代名詞を補語に用いる場合は主格でなくてはいけません。
正しくは “It isn’t She!” なのです。
もっとも口語表現では、次のように、目的格が主格補語の代わりに用いられることもあります。
このとき “It’s I.” と答えるとやや堅い感じになります。
しかしこうやって入れ替わるのはふつう I と me だけで、 she の代わりに her を用いるのはやはり違和感があるのです。
なぜ、ビーバー氏が正しくない英語で話し、しかも語り手がわざわざそれを指摘するような場面があるのでしょうか。
このことはビーバー夫妻のキャラクターとしての描かれ方に深い関わりがあります。
子どもたちが通された彼らの家の様子を見てみましょう。
ここではビーバー夫妻が質素な暮らしをしていることが強調されています。
ベッドの代わりに作りつけの寝棚があり、 gum boots (長靴)や oilskins (雨合羽)、 hatchets (手斧)や shears (植木ばさみ)、 spades (鋤)や trowels (移植ごて)などの道具が壁にかかっています。
これは身体を使う仕事をしている人、たとえば庭師の家にでもありそうな生活空間の描写です。
『ライオンと魔女』の子どもたちは、中産階級(middle class)の、つまりある程度の社会的地位のある家に生まれ、それなりの教養や作法を身につけた子どもたちとして描かれます。
それに対してビーバー夫妻は、肉体労働に従事する労働者階級(working class)の人々のイメージで描かれているのです。
イギリスでは階級によって受けられる教育のレベルが大きく異なり、結果として言葉づかいや語彙も違ってくるといわれます。
イギリス人どうしであれば、相手がひとこと口をきいただけで、どの程度の階級に属しているか分かるそうです。
早い話が、労働者階級に属するキャラクターを描写するのに最も有効な方法は、彼らが文法的に間違った英語を話している場面を描くことなのです。
ビーバー夫妻は終始子どもたちのために尽くしますが、作者C・S・ルイスは両者の間に厳然とした社会的地位の違いを設定し、細かな描写によってそれを示しています。
これをどう評価するかは人それぞれですが、イギリスにおいて「文法的に正しい英語」と社会的地位とが密接に結びついていることは、英語学習者なら知っておいていいかもしれません。
(N. Hishida)
【引用文献】
Lewis, C. S. The Lion, the Witch and the Wardrobe. 1950. New York: HarperCollins, 2000.
(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2014年2月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)