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日本の伝統文化を守り、伝える仕事から研究の現場へ。中央アジアの伝統音楽などを追究
2024年4月に開設する国際日本学科に所属する(予定)教員にお話を伺う「先生インタビュー」。研究の内容はもちろん、先生の学生時代や趣味の話まで、幅広いお話を伺います。
第5回は、京都府埋蔵文化財調査研究センターや京都府教育委員会事務局文化財保護課での実務経験を持ち、主に文化史学、文化財学などがご専門の鵜島三壽教授です。
鵜島三壽教授プロフィール
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鵜島 三壽(Ushima Mitsuhisa)教授
立命館大学文学部史学科東洋史専攻卒業。同大学大学院文学研究科史学専攻東洋史専修博士課程前期修了(文学修士)。京都府埋蔵文化財調査研究センター調査員、京都府教育委員会事務局文化財保護課技師(無形文化財、民俗文化財担当)、京都府教育委員会事務局文化財保護課主任(記念物担当)を歴任し、2008年に関西外国語大学へ。国際言語学部(現・英語国際学部)准教授、同学部教授を経て、2024年4月より外国語学部国際日本学科学教授に就任予定。
大学では東洋史を専攻
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鵜島先生は福岡県豊前市出身で、近くに求菩提(くぼて)資料館という修験道関連の遺品を展示する資料館があった。
歴史が好きだった鵜島少年は、「あまり人の来ない田舎の資料館で、時間に追われることなく、自分の好きなことに取り組めれば」と漠然と自分の将来の姿を思い描く。
大学は、学芸員の資格が取れるところを志望し、立命館大学文学部史学科で東洋史を専攻する。
学芸員とは
学芸員は,博物館資料の収集,保管,展示及び調査研究その他これと関連する事業を行う「博物館法」に定められた,博物館におかれる専門的職員です。学芸員補は学芸員の職務を補助する役割を担います。
学芸員になるための資格は,1.大学・短大で単位を履修することや,2.文部科学省で行う資格認定に合格すれば得ることができます。なお,学芸員や学芸員補として活躍するには,博物館等で任用される必要があります
大学・大学院では東洋史を専攻
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――日本史ではなく東洋史を専攻されています。
鵜島先生:東洋史のクラスは40人いて、大半は当時ブームだったシルクロードについて研究していました。一方で、私が興味があったのは中国王朝の国都があった長安や洛陽の文化です。例えば、遣唐使が持ち帰った正倉院の文物などについて調べました。史跡の調査にも興味があり、本場の史跡や遺跡を見てみようと、2年次の夏休みに仲間と中国にも行きました。
――中国は大学のカリキュラムとは別に現地に行かれた?
鵜島先生:はい。最初、北京に飛んで、西安、洛陽、上海を約2週間かけて回りました。当時、まだ発掘調査中だった兵馬俑にも行き、「こういった世界を勉強したい!」と興味の幅が広がりました。
中国古代の鎮墓獣について研究
▲西晋時代・3~4世紀の鎮墓獣
卒業論文では、南北朝時代の墓に埋葬されている鎮墓獣(ちんぼじゅう)について調べた。
鎮墓獣とは
墓の中に邪悪な悪霊が入ってい来ないように、その魔除けとして副葬された獣形・人面獣身などの木像・陶像のこと。唐代に流行するが、春秋時代にはすでに見られた。
――鎮墓獣の現物は日本にもあるのですか?
鵜島先生:博物館に行けばありますし、図鑑などで写真がたくさん公開されています。資料はたくさん手に入るので、それらを元に研究を進めました。
――「獣形」「人面獣身」ということですが、架空の動物というこでしょうか。
鵜島先生:そうですね。いろいろな形があって、時代によっても形態が変遷します。起源がどこから来ているのか諸説あり、卒業論文ではそのあたりのことをまとめ、修士論文ではそこから仮説を立て、深掘りをし、論を展開しました。
学部生時代から遺跡発掘の現場へ
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学芸員になることが目標だった鵜島先生は、資格取得をめざすのはもちろん、同資格の養成課程の先生に「どうすれば学芸員になれますか」と、その道に進むための具体的なアドバイスを求めた。
相談したのは京都国立博物館から出向されていた講師の方で、先生いわく、
発掘調査ができる
お祭や風習などの民俗調査ができる
古文書が読める
これらのスキルが必要とのこと。その中でも速効性があるのは?と訊ねると「まずは、発掘調査ができるようになることかな」「じゃ、発掘調査ができるアルバイト先も紹介してください」と先生に直談判し、京都府埋蔵文化財調査研究センターで働くことになる。
――何年次から発掘調査のアルバイトをされていたのですか?
鵜島先生:時間割が比較的落ち着いた3年次からで、大学院でも続けました。長岡京や城陽市にある古墳などで作業を行い、建築物の跡や土器、鏡など、いろいろなものが出土しました。もともと興味のあった世界なので、その現場に立ち会えるのがうれしかったし、作業自体も楽しかったですね。
――その中で「発掘調査」のスキルも磨かれた。
鵜島先生:大学3年、4年のときは授業もあまりなかったので毎日のように現場に行って、夏休みには地域の民俗調査なども手がけました。その後、大学院を修了するとなった際に、京都府埋蔵文化財調査研究センターの職員の方から「うちに来ない?」とお誘いを受け、そのまま入職することになりました。
京都の文化財の調査・保護の仕事に携わる
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入職後は、京都府埋蔵文化財調査研究センターの調査員として、南丹地域の発掘調査(平安時代の役所跡の調査)に携わった。
――職員として、どのような作業をされるのですか。
鵜島先生:自分でも発掘作業をするのに加え、作業に当たってくださる地元の皆さんに掘る場所の指定や、何かが出てきたときの対処法などを指示します。出土品があれば、図に起こしたり、写真に撮ったりして、最後に報告書にまとめます。
――もとは学芸員をめざされていたわけですが、そちらへの未練は?
鵜島先生:まったく違う分野の仕事に就くわけではありませんし、発掘調査自体も楽しかったですし、仕事は面白かったですよ。20代はずっとその仕事に従事し、30歳になったときに京都府教育委員会の事務局文化財保護課に異動になりました。
祇園祭の行事や文化財を未来につなぐ
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異動先となった京都府教育委員会事務局文化財保護課では、「無形文化財」「民俗文化財担当」として、
お祭
人間国宝の技
伝統工芸の技
といったものを伝承、保護する仕事に取り組んだ。
例えば、京都の代表的なお祭として「祇園祭」があるが、祇園祭の場合、有形民俗文化財、無形民俗文財の両方の指定が国からかかっており、鵜島先生が担当していた当時で32の保存会が存在していた(2023年現在では34の保存会がある)。
――国から文化財の指定を受けると、修理なども勝手にはできない?
鵜島先生:例えば、山鉾の部材が傷んだからといって、自由に修理したり取り換えたりすることはできません。修理が適切かどうかを監督しなければいけませんし、国からの補助金の枠もあるので、保存会に資金を出せるのかどうかのジャッジや優先順位などの取り決めなど、さまざまな調整を担っていました。
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――祇園祭だけでも保存会が30以上もあるとのことですが、それを一案件ずつ調整していくのは大変そうですね。
鵜島先生:各保存会に常に顔を出し、みなさんのご意見やご要望を聞いて回っていました。また、信頼関係を築くことも大切ですが、特に着任した間もない頃は、こちらに専門性がないと話を聞いてもらえませんので、祇園祭についてもしっかりと勉強しました。
――専門家の方に伺ったりされたのですか。
鵜島先生:まずは自分で関連書籍を読んで勉強しました。専門家の方にも伺いましたが、質問をするにも基礎的な知識がないと、まともなやりとりができませんから。ただ、もともと歴史や文化財のことが好きなので、勉強すること自体は苦にはなりませんし、逆にそうした姿勢がないと文化財技師の仕事は務まらないと思います。
――興味、関心を持って、自ら学ぶ姿勢が求められる。
鵜島先生:そうですね、例えば祇園祭でいうと全国に影響を受けている祭が数多くあるので、休暇を利用してそれらの見学に行っていました。近隣の大津祭、長浜祭をはじめ、博多祇園山笠、秩父祭、高山祭など、大きな祭だけでもすぐに名前がいくつか挙がりますが、それらを見ていないと話にならないわけです。
――足を運ぶことで得られた知見などもあるわけですね。
鵜島先生:今の時代のようにインターネットで簡単に見ることができないので大変でしたが、学ぶことは多かったですね。例えば、静岡県西部にある森町で行われている「山名神社祇園祭のお舞」では、舞台の上で舞を踊るのですが、舞台の中央に建物の構造上、必要がない柱が建っています。
▲14:13あたりから演者が中央の柱に上る
鵜島先生:現地で祭を見学し、なぜ中央の柱が備え付けられているのだろうと思ったのですが、「龍の舞」という踊りの最中にくだんの柱に上り、足を巻き付けて、逆さ吊りのようなパフォーマンスを行うのを観て納得がいきました。
今では京都祇園祭では見られなくなりましたが、かつては山鉾の上で同じような動きを行っており、それを模した名残として森町の祭の舞台に柱が建てられていたわけです。さまざまな現場に行くことは、京都祇園祭の文化的な意味を考える上では不可欠で、実際に体験することで文化財技師としての知見も深められたように思います。
人間国宝の方々との交流も
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同じ時期、伝統工芸の担い手である作家や人間国宝の方々とも仕事を通じて面識を得た。
――日々の交流を通じて、いろいろな学びがありそうです。
鵜島先生:おっしゃる通りで、専門分野の知識を深めるということはもちろん、人間的に多くのことを学べました。例えば、一人の人間として日々の生活にいかに彩(いろどり)をつけ、楽しみ、人生を豊かなものにしていくかなど、含蓄のある言葉やその方の暮らしぶりなどからたくさんのヒントをいただきました。
祇園祭の関係者の方をはじめ、工芸作家の方々との関係は今も続いていますが、そのつながりは私の大きな財産になっています。
――文化財に関わる仕事の魅力は?
鵜島先生:私は京都を拠点に仕事をしていましたが、京都は祇園祭に限らず、伝統工芸などの分野においても日本文化のコアのような場所です。その中核に関わり、「伝統文化をどう守り、どのように伝えていくのか」を考え、現場の方々といっしょに手がけていけたことが何よりのやりがいになっていました。
それを実現するには、祇園祭のところでも述べましたが、京都だけを見ていてはダメで、全国の文化に目を向ける必要があります。大変ですが、それがこの仕事の面白さ、魅力にもなっています。
京都府の職員から関西外大へ
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その後、文化財保護課の主任となり、天橋立(京都府宮津市)の世界文化遺産に関わる事業などに携わった。ただ、現場に出る機会が減り、「最前線で仕事がしたい」という思いが強くなる。
鵜島先生:そんな折、本学で「日本文化」に関する教員を募集していることを知り、手を挙げました。准教授として迎え入れられ、それが2008年のことです。
――学生に教えるということともに、研究活動にも取り組みたいという思いがあった?
鵜島先生:そうですね。京都府の民俗芸能の調査を協力してくださった埼玉大学の先生が、新疆ウイグル自治区の芸能文化も研究されていて。それが国の科学研究費助成事業に採択されて、「いっしょにやりませんか」とお声かけいただいたんですよ。
京都府教育委員会に在職中だった2006年からスタートし、夏休みを利用して現地調査にも出かけました。ユネスコの無形文化遺産に登録されているムカームという伝統音楽の研究で、科研費の研究として、本学に来た最初の年までの3年間取り組みました。
新疆ウイグル自治区の伝統音楽「ムカーム」を追究
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ムカーム(マカーム)とは
ウイグル族の伝統音楽で、さまざまな楽曲によって構成される歌と踊りの総称である。音楽の舞踏の形態、使用楽器の多様性が特徴で、楽器は弦鳴楽器(撥弦、打弦、擦弦)、気鳴楽器、体鳴楽器など十数種に及ぶ。体系化された「十二ムカーム」以外に、地域色豊かな「ドラン・ムカール」「コルム(ハミ)・ムカーカ」「トルファン・ムカーム」などがある。
――ムカームに興味を持たれたきっかけは?
鵜島先生:日本の雅楽は中国の唐からもたらされたものですが、唐には新疆ウイグル自治区などの西域の音楽が数多く流れ込んでいます。その影響関係を調べるのも面白いなと思って。
――新たな気づきはありましたか。
鵜島先生:ムカームがユネスコの無形文化遺産に登録されているということで、改めてその分野についても調べてみたのですが、日本だと能楽、文楽、歌舞伎が選ばれ、民俗芸能の分野では風流踊、祇園祭などの山・鉾・屋台行事などが選出されています。その意味では、これまで実務で培ってきたことともつながります。
雅楽にあるような芸能を因数分解して行くと「中国にこういう要素がある」「中央アジアにこういう要素がある」ということが見え、かつてのこのカタチがここに影響しているのかな、といった影響関係やつながりが見えたときに、この分野の研究の醍醐味を感じます。
三味線の胴の皮にナマズを使う!?
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鵜島先生:日本文化とのつながりでいうと、近年では三味線の研究にも取り組んでいます。三味線の胴は犬や猫の皮を使っていますが、動物愛護管理法が制定されて以降、日本では捕獲できなくなりました。海外からの輸入も減り、代替として殺処分されたカンガルーの皮で作る研究が進められましたが、犬や猫に比べて皮が厚く、やはり動物愛護団体の人たちからの反対運動も起っています。
そこで、中央アジアの弦楽器には何が使われているのかを調べたところ、現地の固有種の大きなナマズの皮を張っていることがわかりました。
――三味線と似たような音色の楽器なんですか?
鵜島先生:弦にスチールを使っているので(三味線は絹)音色は違うのですが、タールやラワップなど、いくつかの楽器があります。それらの楽器に使われているナマズの皮を利用して、三味線に応用できないかという取り組みで、こちらは本学の井口先生にも協力を求め研究を進めています。
※井口先生については、以下の記事をご参照ください
その他の「中央ユーラシアの無形文化遺産」の研究について
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これまでに紹介した以外にも、鵜島先生は「中央ユーラシアの無形文化遺産」についての研究をいくつか展開されている。
以下で、いくつか紹介する。
ウズベキスタン、タジキスタン「シャシュマカーム」
シャシュマカームとは、アラビア語のタジク方言で「6つのマカーム」の意である。ウイグルのマカームと同様、音楽や舞踏の形態、使用楽器の多様性が特徴で、楽器は弦鳴楽器(撥弦、打弦、擦弦)、気鳴楽器、膜鳴楽器、体鳴楽器など、こちらも十数種に及んでいる。歌唱と器楽、旋律とリズム、文学とが融合した音楽で、ウイグルのムカームと類似点が多い。
アゼルバイジャン「アゼルバイジャンのムガーム音楽」
民間と吟遊詩人を起源としたメロディ、リズム、演奏技術を取り入れている。高度に装飾的な旋法は、男性か女性の歌い手と伝統的楽器、特にタール、カマンチャ、ダッフの伴奏により演奏される。固定した形で記譜できないため、芸術的表現の妙技と多様性を守るため、師匠は自らの弟子に対して、洗練された即興技術を訓練するので、多数のバージョンが伝承されている。ペルシャのラディフ、トルコのマカームと芸術的特徴を共有する。
ノウルーズ(ナウルーズ)=春分の日
ノウルーズは新年で、春の始まりとされる3月21日にあたる。儀式や文化的イベントが家族や共同体から政府に至るまで行われる。その内容としては、特別な食事=スマラック(麦かゆ)や伝統的な儀式から遊び、音楽と舞踏、工芸品や絵画の製作など多岐にわたる。
ペルシア語で、ノウ(now)は「新しい」、ルーズ(rūz)は「日」を意味する。太陽が春分点を通過する春分の日に当たり、農事暦上重要であることから、イランを中心に、中央アジア、アゼルバイジャンからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祝日である。国際連合総会は、2010年2月23日にこの日を「ノウルーズ国際デー」として正式に承認した。
プロフ文化と伝統
プロフは日本でいうピラフの基になった米を使った料理で、米を肉や野菜と一緒に煮て作る。中央アジア全域に広まっており、国や地域によって呼び方や作り方などが異なる。ただの食べ物ではなく、作る過程も含めて家族団らんや地域、友人とのコミュニケーションを図る上で重要な位置を占めている。結婚式の前日早朝には「オシェ(ウズベク語ではプロフを「osh」と呼ぶ)パーティー」が開催されるなど、プロフはハレの日にも欠かせない料理である。
趣味はジムでのトレーニングと街道歩き
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インタビューの終わりに、鵜島先生の趣味ついて伺うと、「今でも週に2~3回ジムに通っています」という答えが返ってきた。
――運動不足解消を意識してとかですか?
鵜島先生:学生時代はソフトテニス部で、バリバリの体育会系だったんですよ。体を動かすのが好きで、ジムには30歳くらいの頃から通い、一回行くと2時間はじっくりとトレーニングに取り組みます。
それ以外だと、趣味と実益を兼ねて古い街道歩くことですね。40歳くらいから始めて、同好会の仲間と出かけることもあります。
――「実益を兼ねて」とのことですが、文化財の見学などに行ったり?
鵜島先生:歴史的な建造物を見たり、祭に参加したり。直近では、伊賀上野の天神祭り行ってきました。街道を歩いて、近隣の名所やお祭などに顔を出す感じで。東海道とか山陽道とか、これまでにいろいろと足を運んでいます。
さいごに
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国際日本学科では、日本の伝統文化からアニメ、マンガなどのポップカルチャーまで幅広くアプローチし、英語で世界に向けて発信することを学びの軸の一つにしている。
鵜島先生はまさにその「日本の伝統文化」の領域を担うわけだが、高校生の皆さんへのメッセージを求めると、「あまり難しく考えなくても大丈夫です」という言葉が返ってきた。
鵜島先生:例えば、神社に絵馬を書いたことがある人もいると思いますが、絵馬に描かれている絵は、神社によってまちまちなんですよ。飛行機だったり、ウサギが三羽描かれていたり。じゃあ、なぜそうなっているのか、そこにはどういった意味があるのか、そうした身近なことを考えるのも、日本文化の学びにつながっていきます。
――本学がある枚方市は、大阪や京都にも近く、歴史的な寺社仏閣、史跡などへのアクセスもいいので、そういった意味では学べる環境は整っています。
鵜島先生:そうですね。学びの場はたくさんあるので、興味をもったら、まず現場に飛び込んでみてください。そこで何かを感じるはずですし、そのあとで改めて書物を読むと、書いてあることが体に沁み入ってきます。その往還が大切で、書物だけでは理解は深まりません。
――その意味では、鵜島先生は祇園祭のエキスパートでもあるわけですが、フィールドワークなども実践できるといいですね。
鵜島先生:今はPBL(課題解決型学習)の授業で学外に出ていますが、そうした機会があると学生たちにとっても有意義な時間になるでしょう。それと、私は「文化財を守る、伝える」仕事に従事してきましたが、それだけではなく、その「財産」を地域づくりにいかに活用するかということのウェイトも非常に高いことを実感してきました。そうした視点も意識し、時には外国人留学生も巻き込みながら、日本の文化を発信する方法をいっしょに考えていければと思います。
――最後に、期待する学生像をお願いします。
鵜島先生:先ほども言いましたが、興味をもったことに対して、実際に「自分で足を運んでみよう」と思ってくれるような人がいいですね。京都も近く、日本文化を学ぶには最良の環境だと思います。ぜひ、いろいろなところに飛び出し、学びを深めてください。
【国際日本学科・特設サイト】
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