「ミュージカルってなんなんだろう」
「ミュージカルの急に歌って踊りだすのよくわかんない(笑)」
わかる。私もそうだった。
セリフも動きもなんか大げさで、登場人物の感情がちっともつかめない。
はるか遠ーいところにあるみたい。
小学生の私は舞台を見に行っても、泣いてる大人を横目にぽかんとしていた記憶がある。
何がいいのかさっぱりわからなかった。
それなのに、ひょんなことから私はミュージカルに足を突っ込むことになる。
それはもうずっと昔のことで、記憶があいまいだけど、たしか小学生高学年の頃だったと思う。
ある日母からカラーのポスターを渡された。
「ミュージカルに参加しませんか?」
私は前にも述べた通り、ちっっっっともミュージカルに興味なかった。
が、母の目はもう揺るぎないものだった。私は心の中で抵抗を諦めた。
そのミュージカルはある劇団の役者(プロ)が主要な役を務め、私たち(12~15歳)は所々の細かい役(商人など)を演じる。
といっても、お遊戯会なんて甘いものではない。
お金を払ってお客様が見に来る、立派な”ミュージカル”。
こどもたちもセリフを与えられ、ダンスを踊る、立派な”役者”となる。
そのためにもちろん、面接があった。
私は面接があることを知らずに引き受けたので、その存在を知って泣いた。向かう途中の車の中でも泣いた。
おそらく、そこで生半可なものじゃだめだと気づいて怖気づいたんだと思う。
なのに面接、受かっちゃった。町の大道芸人の一人として。(一輪車が乗れること、声がでかかったことがよかったらしい)
受かっちゃったよー!?
驚く私を置いて、キチキチのスケジュールでレッスンの日々が始まる。
ああ、もうやるしかない!
始めはマスターしなければならないディアボロ(中国駒)と一輪車の練習から。
毎日毎日スタジオで練習。学校でも意識は常にミュージカルにあって、席に座っていながら私の中身はステージの上にいた。
本番まであと2週間。
ここで私の心が折れる出来事が起きた。
「私を一輪車のチームから外す」と告げられた。なぜか、その場で回る技が私だけできなかったから。
自慢の特技、だったはずなのに人様に見せられるものではなかったんだ。
その日大好きだった一輪車を返して、悔しさを持ち帰った。車で枯れるほど泣いた。
でもその反動で、それからの練習への熱意は(自分で言うが)半端じゃなかった。
誰よりも声を出した。
ディアボロをボンボン回しまくった。学校でも家でも、ディアボロと一緒でもはやペットだった。いや、ペットでも学校までは一緒じゃない。ペット以上だ。
本番3日前、いよいよ舞台での練習が始まった。みんなで合わせるシーンの練習が中心になっていく。
残された日数が少ないためか、常に張りつめた空気が流れており、主演女優でさえめちゃめちゃ怒られる。
私たちももちろんめちゃめちゃ本気で怒られる。
何度も何度も同じセリフを、動きを、全力でぶつける。本気には本気で返す。
照明が汗で濡れた床を光らせる。床を見ながら、私は「でもまだわからない」と思った。
「覚えたことをこなすのはお遊戯と違うの?」
そのまま本番の日がやってきた。作品の名前はアレンジされた「赤い靴」。
まずはリハーサル。ここでも全力でやる。お客さんを想像しながら。
そのとき、いつもやっているシーン(町の人が主人公に駆け寄る)で、私は謎の違和感に襲われた。
原因はわからない。なんだか、私だけ周りに合っていない異物感。
うまく笑えない。声が小さくなる。なぜだ。
焦っていても幕は上がってしまう。周りは本番に向けてドタドタ準備が始まっている。
焦る心に知らんぷりをして、とりあえず衣装に着替えてメイクをしてもらう。どうしようと不安な気持ちで椅子に座り、ふと鏡に映った私を見たとき、声が出た。「あ」
そこには”私”じゃなく、19世紀を生きる”イギリスのこども大道芸人”が座っていた。
それを見て、内側の”私”と”曲芸師”という外側にずれがあると気づいた。緊張し激しく脈打つ心臓が私を現実に引きずりおろしてしまう。
だから、急に恥ずかしい気持ちになって、どうでもいいことが気になってしまうようになったんだと今になってわかったが、当時はわけがわからなかった。
それでも、次第に落ち着くことができて、お客さんの視線に圧倒されながらも、本番は無事に幕を下ろした。
あのリハーサルと本番で気づいたことがある。
役者なんて言えないけど、舞台の上で確かに私は19世紀の人と生きていて、東欧の噴水の広場、一輪車パフォーマーの横でディアボロを回していた。
不思議なことにシーンが来れば、悲しくても怒っていてもその感情にもっていかれる。あのとき異世界にタイムスリップしたみたいに感じ、ヒリヒリする感覚があったことを覚えている。
もしかして染み込んだセリフやダンスは人のパーソナリティーをも変えるのかも。「だから舞台の上の人は心から笑っているし、泣いているんだ。」と幼心に感じた。
ミュージカルは突然歌いだして踊りだす。それは一瞬の感情を引き延ばすから。そのとき歌っている人踊っている人、見ている人もは同じ気持ちを共有している。
歌が続いている間はその共感の中にいられるんだと思う。それが最高に幸せだった。
何年も前のことだけど、あの感覚は忘れられない。
機会があればまたやりたい。とはあまり思えないなあ。
P.S. #note酒場 ありがとうございました。素晴らしい空間に関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。仕事のお話をみなさんしてくださって嬉しかったです。会えなかった方にはまたの機会にお会いできたらと思っています!