水流に生かされている
水の滞留でメダカが死ぬ。
空気の滞留で僕が死ぬ。
マルチタスクが肥大化していくと、
いつしか精神は方向性を失う。
方向性を失うことは、
流動性を失うことに等しい。
精神の滞留で僕が死ぬ。
死んだ僕はベッドに横たわる。
ベッドのある室内は、
空気が滞留している。
空気の滞留が僕を殺す。
乾燥肌が空気の流れを求めて叫ぶ。
その叫びは、
泣き声のように、
赤ん坊のように、
鬱陶しく、
ヒリヒリと、
僕を求める。
僕は、
憂鬱だが、
その子を、愛しているので、
仕方なく身体が動き出して、
ごめんね、
と謝りながら、
その子のお世話を再開する。
その子が、
僕の精神を再び流動させる。
流れのままに、外に出る。
再び大気と接続する。
空気の流れを思い出す。
空気の抵抗力を思い出す。
それは水圧かのように錯覚させる。
空高くまで満たされた水の中を泳ぐ。
水流が、嬉しい。
嬉しいと、身体が言っている。
嬉しいと、肌が言っている。
太陽光と接続する。
大気の流れと相まって、
熱の流れを思い出す。
熱流が、嬉しい。
嬉しいと、身体が言っている。
嬉しいと、肌が言っている。
大気、自然、精神、身体、
万物の流動が僕を生き返らせる。
大切なのは、滞留させないこと。
流動を自ら作り出すこと。
流動の中に自ら身を置くこと。
方向性を持つこと。