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GOOD VIBRATIONS 80's。ボクにとっての「寿五郎ショウ」


聴いててキモチのいい音楽ってあるじゃないですか。
ジャンルは人それぞれなんだろうけど、それがボクにとってのシティ・ポップ。そしてマンガでいうところの江口寿史さんの絵だ。

今年(すでに発表になってるけど)「A LONG VACATION」コラボで描かれた江口さんのイラストの秀逸さ。あの女の子と浜辺の距離感が絶妙。誰も指摘してない気がしますが、あの距離感こそがロンバケを永遠の名盤、色褪せないポップ・ミュージックとして多くの人々に聴き継がれている理由だと思うんですよ。あの距離感に誰もがそれぞれの物語を思い浮かべる。薄く切ったオレンジを浮かべたアイスティーも、つんと尖らせた唇も、そんな舞台装置のひとつに過ぎないっていうか。


前に江口さんの「ひのまる劇場」について延々書かせていただいたけど、今回どうしても書いておきたいのが「寿五郎ショウ」と題された短編集だ。
アフター「ひばりくん」後に描かれた短編を中心に(時期によっては被ってるのも)まとめたものだけど、どの作品も読んでてキモチがいい。豪華装丁(音楽でいうところのリマスタリング)で2021年版を出して欲しいぐらい。5000円、いや、8000円でもボクは買う(値付け根拠なし)。

この本が出版された頃、大型判型のマンガって実にトンガったイメージがあり、かつて中一時代の音楽ページで大瀧詠一を称し「高感度人間なら大瀧」ってたとえがありましたが、まさにそれ。ちょいとアンテナ感度高めな連中が読むものとして、東北の田舎の高校生だったボクはなかなか手が出しづらかった。
それを後押ししてくれたのが(本人覚えてるかどうかわからないが)高2の時に同じクラスになった金山という男である。かつてオリジナルラブの田島貴男、ヒックスビルの木暮晋也も在籍した文芸部に所属するこの男。実は柳沢きみおを読むきっかけをくれたのも金山だし、当時注目されつつあった相原コージ(「コージ苑」前)、大友克洋も金山が教えてくれた。あ、そういや「ぎゃぐまげどん」と「文化人類ぎゃぐ」、「童夢」はおそらく30年以上借りっぱなしだ(笑)ごめん!と謝っておく(この場を借りて)。柳沢きみおの短編集「Bのアルバム」と「愛人」1&2巻は返却済だよね?「妻をめとらば」、「瑠璃色ゼネレーション」は自分で買ったから大丈夫だよ。

さて「寿五郎ショウ」。これを買ったのは1987年で、この年の秋に「きまぐれオレンジロード」が連載終了、マンガ読みとして途方に暮れていた時期だった。
ボクが読み始めた頃、スピリッツの「パパリンコ物語」はすでに載ってない時期で、それでもボクは読んだこともない作品のミスタードーナッツとのコラボグッズ、「パパリンコ」グラスを収集するため、ミスドを買いまくった。結局完コレまで1個、のところでキャンペーンは終了。だからこの時期の自分の写真を見ると少々晩年のエルヴィス・プレスリーな印象があるのは考えすぎなのかもしれない。うん、そうしておこう。

10代の頃、つまりこの時期。まだ自分としては(初めて白状する)漫画家への夢を諦めていなかった。よくある話だが、思うだけは自由。バンドもやりたい、マンガも描きたい、村上春樹の「風の歌を聴け」「1972年のピンボール」的な生活もしたい。「ノルウェイの森」みたいな独り暮らししたいとかろくなことを考えてなかった。温泉旅館に泊まり込みでバイトしてエレキギターは買ったけど(4万円だった)本気でバンドは組まなかった。マンガ家になりたいとジャンプのフレッシュジャンプ賞や手塚賞、赤塚賞はチェックするだけ。実際にはほとんど描いてない、ってこの時点でなれるわけがないって話なんですけどね(笑)ああ、ダサい。そしてそんなダサい自分が妙に愛おしい。

で「寿五郎ショウ」の話。時代錯誤のフォークソング好きな若者たち(byサニーデイサービス)な「意味なし芳一」、漫画家によるライブショウネタの「LIVE`83」バカバカしさが特に好き。「怪獣王国」も最高。かっこいい絵でおかしな話を進めていくって手法、コレが新しいなって思った。筒井康隆とかの無茶苦茶な短編の味わいにも似た手法はボクにとっては最先端、まさに読んでる自分が「高感度人間」ってことを自覚できる瞬間だった。ステレオ・スタジオによる装丁もイカしてた。発行されたのは86年で、おそらく87年の夏頃だったんじゃないかなあ、同じクラスの金山にそそのかされて買ったのは。ちなみに金山という男は70年代のフォークソングをこよなく愛する奴だった。岡林信康の「チューリップのアップリケ」、「それで自由になったのかい」、かぐや姫、伊勢正三、泉谷しげるに初期チューリップ。ああ、なんか思い出してきた。当時チューリップの財津和夫が「Z氏の悪い趣味」ってソロアルバム出してたんだよなあ。懐かしい。あの頃、はっぴいえんど再評価なんて波はまったくなかった時代(少なくても東北では)。東北といえばハウンドドッグな時代だった。「愛がすべてさ」と黒のタンクトップで吠える大友康平。ボウイのブレイク、辻仁成はエコーズで「愛されたいと願っている」と歌う、そんな時代。ボクはといえば毎日自分にとってのキモチいい音楽、マンガ、小説を探していた気がする。角川から出た「なんとかなるデショ!」もアクションに4p連載してた「爆発ディナーショー」も大好きなんだけど(2冊とも装丁最高)「寿五郎ショウ」はもはや少年誌には収まり切らなくなった江口寿史さんの才能爆発って感じがしてボクはこの短編集がとても好きなのである。そうそう、ボクが初めて漫画アクションを手に取ったのも「爆発ディナーショー」を読みたかったからなんだった。そもそもどうやって知ったんだろう。ロッキンオン・ジャパンで連載されていた「THIS IS ROCK!」かな。

同じような読後感なのが小林信彦の「極東セレナーデ」、「僕たちが好きな戦争」、「イエスタディ・ワンス・モア」、「ミート・ザ・ビートルズ」なんだけども後年江口さんの絵で復刊された「極東セレナーデ」は迷わず買ったし、即、自分の本棚で面出しディスプレイ。こういうキモチよさってやつは電子書籍じゃ味わえない。

「ストップ!ひばりくん」について語るひとは多いと思うし、ボクも大好きな作品だけども「ひのまる劇場」と並んで「寿五郎ショウ」って短編集は愛おしすぎてどうにもなんない、そんな一冊なんですよね。もう読みすぎてボロボロだし、装丁も色あせちゃってるけど、ずーっと持っていたい、読んでいたい数少ない1冊。10代の頃に買ったレコードや本、マンガってそういうもんだよなあ。読んでるだけで17歳だった自分がよみがえる。

あ、そういえば。主に当時発行されていた月刊フレッシュジャンプに掲載された短編をまとめたこの作品、思えば「天下一品」ってラーメン屋を初めて知ったのって、ここに収められている短編「正直日記」を読んだからなんですよね。まさかその2年後に自分が京都で生活することになるとは思わなかったけど。天下一品といえばこってり。ボクは京都生活1日目、借りたボロアパート(築40年)近くにあった「ラーメン太郎」で京都ラーメンの洗礼を浴びることになる。こってりもあっさりもわかんなかった自分がオーダーしたのは味噌ラーメン。「あっさりにする?それともこってり?」ボクはあわあわと「こってりで」とオーダーしてしまう。出てきたのは箸が普通に立つようなドロドロのスープ、濃厚なポタージュに麺が絡みつく、暴力的なカルボラーナを彷彿とさせるラーメンだった。あの時代、ネットもなんにもなかったから事前情報を入手するのってほんとに難しかったんですよ。ゆえにしばらく「こってり」を口にすることはなかった。うーんと反応に困りながら第一旭や新福菜館のラーメンを食べていた気がする。天下一品も含めて京都ラーメンの旨さ、有り難さに気がついたのはずいぶんあと、京都を離れてからじゃなかったかなあ。実際に天下一品を食べるようになったのは90年ぐらいで、ボロアパート徒歩圏内に天一が進出したから。今じゃ全国展開してるけど、京都で食べる天一とはやっぱりなにかが違う。京都ラーメンの暴力性、エモさに欠けるというか、、気のせいかもしれないけど。

話が横道にそれてしまったけど、ボクにとって天下一品を教えてくれたのは「寿五郎ショウ」であるってことだけは間違いない。でもそんなことは気にせずに読んでてキモチがいいマンガばっかり収録されたこの短編集。読んだことがないひとはぜひ読んで欲しい。カッコいい絵でおかしな話を描くっていう手法は今でもじゅうぶん通用する話ばっかりだから。イラストや原画展やコラボグッズで初めて知ったようなひとたちにこそ読んで欲しい。キモチよさってこういうことだぜってわかると思うよ。

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鈴木ダイスケ
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