詩 血統書(2018年)
ヘモグロビンは酸素を二酸化炭素に変える赤色、
葉緑素は光を酸素に変換する緑色、
かつて原始的な細胞が真核生物になり、
35億年以上昔に、植物細胞と動物細胞に分かれたころから、
二つの種族は共生関係にあったのだと本で読んだ。
樹木はわたしの遠い祖先が生きていくための必要条件をくれた、
より遠い太古には、同じ祖先だった、そういう種族の末裔だと。
そして植物は最初に陸地に上がり、
空の上にオゾン層を作った。
わたしが朝の植物に奇妙ななつかしさを感じるのは、
海から上陸したばかりの超古代の奇妙な緑色をした生物に感じるのは、
そのせいなのだろうか。
わたしが、
というよりわたしの種族が、
今まさにこのような種族であるために必要不可欠な条件は、
あまりにも多すぎる。
宇宙に偏在する暗黒物質の量や、
重力と宇宙の膨張速度のバランスや、
太陽と地球との間の今の距離感や、
植物が地球の大気の組成を大幅に変えてしまうことがなければ、
カンブリア紀における爆発的な生物種の多様化がなければ、
氷河期や白亜紀の恐竜の大量絶滅がなければ、
そのほかの様々な気候変動がなければ、
人という種族はこのようにこの星にはいなかったし、
人工知能を作ることも、
遺伝子操作をすることも、
月やほかの星に行くこともなかった。
そしてこういうことを考えることさえなかった。
かぐや姫が月につれていかれたり
李白が月と一緒に酒を飲むこともなく、
シェーンベルクが月に憑かれたピエロを作ることも、
ヴェルレーヌが月光の下で踊る彫像の詩を書いて、
ドビュッシーやフォーレがそれに音楽をつけることもなかった。
釈迦が沙羅の樹の下で悟りをひらくこともなく、
天武天皇が古事記や日本書紀をまとめるように
命令することもなく、
秦の阿房宮やアケメネス朝のペルセポリスが略奪され打ち壊されることもなく、
フランス革命からIT革命にいたるまでのあらゆる革命もなかった。
あらゆる科学や思想も、意識も、抽象思考もなく、
絵も地図も定規も、戦争も平和もなかった、
概念がないのだから。
宇宙が冷えることがなければ重力はなく、
恒星がなければ炭素がなかった、
より古い星が崩壊して超新星爆発を起こすことがなければ、
太陽も地球も月もなかった、
ということはあらゆる占星術も、天文学もなかった。
奴隷制も、ユダヤ人の虐殺も、あらゆる貧富の差も、
あらゆる病もなく、差別もなかった。
憎しみも喜びも、肉体の享楽も肉体の牢獄も、
あらゆる理性も、ニューロンのネットワークも、
IPアドレスのネットワークも、
免疫系も、トポロジーも、
量子力学の概念も時空概念も虚数時間の概念もなかった。
空気がなければ、この水もなければ、
虹もなかった、
音階がなければ色彩もなかった、
目の前で揺れている夏草も、
夏草をモチーフにした詩もなかっただろう。
だけれどこう考えることもできる、
今わたしが述べてきたもののすべてがなければ、
この宇宙はなかったのだと。
というのはわたしたちの存在することに、
あまりにも多くの偶然が必然的に介在しすぎていて、
それを少しでも曲げることは
宇宙における物理法則を変えてしまうことで、
そうしたらこの宇宙の歴史はなしくずし的に逆流して
崩壊してしまうから、
わたしたちはまさに今このようでなくてはいけなかった。
いつか、
量子テレポーテーションや量子トンネル効果が、
次元が5次元以上存在するという仮説が、
様々な超能力や超常現象を解明する時がくるのかもしれない、
量子コンピュータのテクノロジーやバイオテクノロジーや
AIテクノロジーが結びついて、
人類やAIの進化速度をインフレ的に増大させるかもしれない、
人類よりも複雑な抽象性と感情と身体を持った人工知性が、
太陽系や銀河系にコロニーを作るのかもしれない、
だけれど、
それもこの物理法則の一部であり、
いわば無数の出来事の自然淘汰のすえにあらわれた、
宇宙のはじまりとわたしたちの存在の間に引かれた、
ある時空間の連続性の線分、外側からは、必然と呼ばれる線分の、
延長線上にしか、
あらわれはしない。
奇妙なことではある。
わたしは記憶を通して想像された過去と未来を旅する。
しかもそれは書かれることによって、
仮想的な時間旅行を、他人にもさせるのだから。
わたしがこの文章を書いたことも、
あなたがそれを読むことも、
非人間的で人間的な、
無数の必要条件がそこになければ、
ありえなかったのだから。
(2018年)