短編小説「水羊羹」第1稿
息を止めシャッターを切る。まるで海へ潜るように。光景の一瞬を切り取る。そのとき僕は海女になる。
雑誌の仕事をはじめて20年。写真を撮るときの儀式は変わらない。ところが、九州ツアーの最終目的地で異変があった。熊本で取材を終えた時、編集長からどんよりした電話。「再来月で雑誌、休刊になるぞ」。ほかにも話があったのかもしれない。しかし、僕の記憶にはその断片しか残らなかった。このまま東京へ帰りたくない。鹿児島、福岡、小倉、大分、そして熊本。1週間も出張していたのに。何かが欠けている気がしたのだ。三月の下旬。ホテルをチェックアウトすると熊本城が変わらずそこにあった。青のジャケットだけだと肌寒い。黒のフリースのベストをリュックから引っ張り出した。さて、どこへ行こうか。ベストをとり出すとき、小倉城のパンフレットが目に入った。そうだ、宮本武蔵。小倉城で武蔵と小次郎の決闘シーンを撮影した。銅像の二人。アングルに苦労しながら巌流島に思いを馳せた。たしか熊本にも武蔵ゆかりの地があったはず。霊厳洞。あの五輪書を書いたという洞窟。スマホの地図で位置を確認してみる。熊本の中心部から西の方。どうやらバス便があるみたい。ホテルからバスターミナルまでは徒歩5分。武蔵の集大成がどんな風に生まれたのか。これは行くしかない。バスに揺られること30分。岩戸観音入口で下車して徒歩20分。五百羅漢のある雲厳禅寺に着く。寺まではほぼ坂道。歩くものはほかにない。自分のペースで登ってきたものの息が切れていた。暴飲暴食、運動もほぼしない。そんな暮らしが続いてきた。寺に一歩入ると景色が一変した。長年の風雪に耐えた仏像。一体一体の向きや姿、その表情も違う。苔むした五百羅漢。そのうちの一体がまるで観音様のような微笑み。しばしその前に佇む。息を止めシャッターを切った。霊厳洞はその少し奥、階段を昇った高台に座していた。洞窟は胎内のようだ。前々からそう思っていた。何かに守られている安心感。宙ぶらりんな自分にはピッタリだ。武蔵はここで何を考えたのだろうか。人生の晩年。剣の達人として自分の経験を振り返る。武蔵の斬った一人ひとり。僕の撮った一枚一枚。五百羅漢の仏様。僕の写真は後世に残るものではないだろう。ただ一人でいいから「これが大好き」と認めてもらいたい。気がついたら昼を過ぎていた。またスマホをとり出す。近くにカフェはないかな。一気に東洋から西洋へ。移り気とは僕のためにある言葉に思える。評価の高いカフェが見つかった。寺から歩いてすぐ。朝から何も口にしていなかった。ダメージを受けた身体を浄めるランチが食べたい。寺の階段を駆け足で降りた。そのカフェは庭の中に建っていた。テラスのある木造。英国風の庭はこれからくる春を待ち焦がれている。腹が減った。背筋を伸ばして店内に入る。「いらっしゃいませ」と女性が迎えてくれた。
「おひとりさまですか」
「はい」
「お好きな所へどうぞ」
「じゃここで」
入り口とキッチン、キッチンと奥の部屋への交差点。そんな席を選んだ。迎えてくれた女性が僕に近づき、まじまじと顔を眺めながらこう言った。
「前にお会いしたことありますよね?」
「いえ多分、ただもしかすると前世で」
彼女はそのカフェのオーナーだった。ご主人はイギリス人の大工さん。二人でこの空間をつくってきたそうだ。みんなが安らぎを感じて笑顔になってもらうこと。心身ともに健康でいること。決してお仕着せではない自分らしさ。会話の端々でそう感じた。注文することを忘れておしゃべり。彼女がさっきの観音様に見えた。仕事を訊かれて「旅人ですよ」と応えている僕がいた。2時間ぐらい経っただろうか。飛行機の時間が迫っていた。そんな僕の事情を察してか「あら、バスターミナルまで車で送るわよ」と申し出てくれた。車の中でもおしゃべりは続く。バスでは長かった道のりもあっという間。車から降りてどちらかともなくハグした。思っていたより小柄な身体。やわらかくハーブのような香りがした。東京に戻って4週間。最後の取材地、北海道ツアーの準備をしていた。北海道ツアーは帯広、釧路、北見、そして旭川を巡る旅。熊本の出来事がまだ余韻たなびいていた。特にこころに残っているキヨミさんの言葉があった。話題が最近観た映画だったと思う。僕が山崎樹一郎監督の「やまぶき」を語ったときのことだ。彼女は山吹が好きということと熊本にはその名のついた水源があると教えてくれた。山吹水源。阿蘇の産山村という地にあるらしい。阿蘇はお気に入りの土地だが、産山村には足を向けたことがない。新たな目的地をスマホの地図に旗立てて、次の旅の準備を再開した。
旭川も人が少なかった。旭山動物園が休館時期だったからかもしれない。旭川で最後の取材を終えてもう一泊する予定にしていた。4月下旬。日本列島の桜前線も終盤を迎えていた。旭川に着く前日に桜が開花したと聞く。北の大地で一番遅い花見も悪くない。足寄の街に流れていた松山千春の歌声がリフレインする。自分の道、自分の足。どうやら北海度に来た理由もあったようだ。そのとき春の朝が光を僕に差し入れてくれた。水源。この2文字が鮮明に浮かぶ。そうだ、近くの水源に行ってみよう。行きたかった白銀青い池。幸いなことに近くに水源があるようだ。旭川の中心部は石狩川と美瑛川の交差する場所にある。その岬の先端、買物公園近くのホテルにルームキーを預け、レンタカー屋に急ぐ。目的地は大雪旭岳源水公園。雪解け水が滾々と湧き出している時期ではないか。そんな期待をしながら車のナビに向かう。忠別川に沿った道道を南東へ。1時間足らずで公園に着く。駐車場は人であふれていた。手に手にペットボトルやポリタンク。投げ銭を入れる箱はあったが、お金を入れているのか定かではない。僕はその光景から身を翻した。その水源のより上流に向かってみる。公園は整地されていて歩きやすい。5分ほど坂道を上ると僕のイメージした水源があった。そこは自然に水が湧き出ていた。水は上から下へ向かっていた。しかし、さっき見たのは水源ではなく水道だった。人工的な水道に群がる人々。山から涼しい風が吹く。ふいにアイン・ランドの「水源」を思い出した。
1922年の春、大学で建築学を専攻していたハワード・ロークは、慣例に固執する教授たちに従うことを拒否し、退学処分を受ける。建物の形は、場所・素材・目的に最も適合するように、かつ気品および効率が最大化するように決めるべきだと、ロークは信じている。ロークを批判する者たちは、歴史ある様式に従うことが決定的に重要だと主張する。ロークは、彼が尊敬する建築家で、今は落ちぶれているヘンリー・キャメロンの下で働くため、ニューヨークに行く。大学でのロークの同級生で、世間受けは良いが中身のない人物であるピーター・キーティングは、優秀な成績で大学を卒業し、ニューヨークの名声ある建築事務所、フランコン&ハイアーに就職する。キーティングは、就職先の経営者、ガイ・フランコンに取り入り、フランコンのお気に入りになる。ロークとキャメロンは天才的な設計をし続けるが、ほとんど認められない。一方でへつらい上手のキーティングは、駆け足で出世していく。キーティングは権力者への道を急ぐため、社内での競争相手を次々に排除する。
フランコンの共同経営者になったキーティングは、キャメロンが引退した後、フランコンにロークを雇わせる。しかしフランコンは、自分の命令に従わなかったロークをただちに解雇する。ロークは別の建築事務所に短期間勤めた後、自分自身の事務所を設立する。しかしクライアントを見つけるのに苦労し、事務所を閉じて、フランコンが所有する花崗岩採石場で石切人夫として働き始める。キーティングは、フランコンの美しく気まぐれで理想主義的な娘、ドミニクに興味を持ち始める。ドミニクは、イエロー・ペーパー「ニューヨーク・バナー」にコラムニストとして勤務している。ロークはドミニクに魅了されたものの、新しいビルの設計を依頼するクライアントからの手紙を受け取り、ドミニクに名前を知られぬまま、ニューヨークに戻る。
キーティングは、多くの建築家が切望する公営集合住宅コートランド住宅の設計の仕事を獲得するため、ロークに設計を手伝ってくれるように依頼する。ロークは、自分が設計したことを決して明かさないことと、完全に自分の設計どおり建てられることを条件に、キーティングの依頼を引き受ける。ロークが長期の旅行から帰ってみると、キーティングとの約束に反し、コートランド住宅は変更された設計で建てられていた。
ロークは、出来上がったばかりのコートランド住宅を爆破する。コートランド住宅爆破事件の裁判で、ロークは陪審員や傍聴人たちの感情をかき立てる演説を行い、無罪になる。
この作品はリバタリアン(個人の自由を優先する人々)の間でいまもバイブルになっているそうだ。自然と人工。利己と利他。そして、職を失いそうな自分。結局、その水源で一滴も水を汲まず、レンタカーに戻った。白金青い池ではシャッターを切らなかった。もちろん、あの水源でも。もやもやした気分を抱えたまま車を北西へ。旭岳の上流から下流へ。忠別川を下るカヌーのようにハンドルを握っていた。昼時を過ぎていた。でも、腹が空かない。無性に甘いものが食べたくなる。しばらくするとソフトクリームの看板が目に入った。救いの神か。迷わず駐車場に車の鼻先を突っ込む。なんとそこは豆腐屋だった。豆腐のソフトクリーム。こちらも迷わずコーンを選ぶ。カップよりもコーンの方が食べた感が増すから。豆乳ソフトクリーム。甘さが控えめで豆腐、いや大豆そのものの味がした。流行り病が五類へ移行する直前。この渦中で味覚や嗅覚を失わなかったことに感謝している。感覚や認知。それを支える身体。こころとからだ。それを結ぶことば。失いたくないもの、僕が大切にしているものがリストになっていく。災害は避けられないとは思いつつ、人一倍リスクを取って生きてきた。弱者が生き残るためにはリスクを取る。そう思いながらカメラを構える。豆腐屋の店名とソフトクリームの看板に焦点を合わせる。そして、息を止めシャッターを切った。レンタカーを返す頃には夕方になっていた。まだまだ寒さの残る旭川。元気を取り戻すには肉が必要だ。ここはやっぱりジンギスカン。ツアーの道中、すでにステーキやホルモンを平らげていた。羊肉。特にサフォークラム。こいつを食べないと帰れない。おもむろにスマホをとり出す。スマホのガラス面が汚れていた。どうやら豆乳のせいらしい。グレーのパーカーの袖できれいに拭き取る。カメラもスマホも相棒なので割と大切にしているつもりだ。買物公園の三六通り近くに評価の高い店を発見。その店は交差点の角、白い階段を上った二階にあった。第一印象は「狭い」。カウンター2席、4人で座るテーブルが2つ。10人入れば一杯になりそうだ。幸いなことにテーブル席に案内された。男性店員が注文を取りに来る。ここはサッポロビールに限る。ビンが運ばれてまずは手酌で一杯。するとカウンター席の客が帰ろうとしていた。今まで気づかなかったがカウンターの中に女性の店員がいたのだ。客を出口で見送ったその女性が僕の方へやってきた。
「お仕事で旭川へ」
「ええ、そうです。仕事を終えて旭山動物園へ行こうかと。でもあいにく休園期間でした」
愚痴をこぼす。もちろん水源のエピソードも。またまたおしゃべりが先行した。
「そうでしたか。残念でしたね。ところでお肉はどうされますか」
「ごめんなさい。士別のサフォークラムはありますか」
金髪の彼女の顔が少し曇った。だが、瞬きする瞬間。表情に精気が漲る。
「なんとかします」
彼女は男性店員に何かのサインを送る。男性店員の「えっ、いいんですか」という心の声が聞こえた。しばらくすると目の前にお目当ての羊肉が並んだ。
「もしよければわたしが焼きましょうか」
「それはうれしい!お願いします」
彼女が肉を焼き、僕がそれを食べる。生まれる前からそう決まっていたかのように。ところが、おしゃべりが過ぎてしまい、ジンギスカン鍋に肉が山盛りになっていた。話題が旭川出身の芸能人に移った頃、店内には玉置浩二の歌が流れていた。おもむろに松山千春の曲をリクエストしてみる。彼女はそれを快く受けてくれる。気がつくと客は僕一人になっていた。男性店員の姿も見えない。なぜだろう。彼女は僕のことを「先生」と呼んでいた。そして鍋の肉を皿に移してくれた。彼女の腕に目が留まる。鍋の鉄器に負けないたくましい腕。これまでの人生に想いを馳せる。シャッターを切りたい。いまこの心の動きを切り取りたい。そう思ったが、カメラはリュックから出てくることはなかった。
「わたしバレーボールやってたんですよ。旭川の代表選手にもなったんだから」
僕の視線を感じたのだろうか。彼女の方からそう告げてくれた。別れ際に彼女が一枚のメモを手渡した。おしゃべりに登場してきた旭川のおすすめスポットが一覧になっていた。僕はその思いをリュックのポケットに折り曲げずにしまった。
「最後にお願いがあるの、一緒に写真撮ってもらってもいい」
「ええ、もちろん喜んで」
人生は長いようで短い。その一瞬にもドラマがある。ドラマになる。白い階段で段違いに並び二人で写真を撮る。僕のカメラではなく彼女のスマホで。もう息を止める必要はない。そして、わたしは尼になっていた。
水羊羹。熊本の水、そして旭川の羊。羊羹はこじつけだが、羹は煮凝りのこと。液体が固体になる瞬間。まさにわたしの気相の変化を表している。パズルのピースが揃ったようだった。どうやら雑誌の仕事にも一区切りがつきそうだ。ひとつに束ねていた長い髪をほどく。ふーと長い息を吐く。ささやかなお祝いのつもりでコンビニスィーツを買う。それから買物公園をそぞろ歩いた。目の前に水溜まり。酔った勢いで飛んでみる。だが、着地に失敗。お気に入りのパンプスが泥だらけ。「帰ったら髪切ってスニーカー買って水羊羹食べるぞ」。そうお月様に誓った。
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