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無限の思考力 007
〜「無限の思考力 001」からお読み下さい〜
「考える」ことを楽しんでいるだろうか?
「考える」ことは、大量にエネルギーを使うため疲れる。しかし、面白いという側面もある。
子供の頃、テレビゲームにのめり込む方ではなかったが、戦略シミュレーションゲームは好きだった。
30年も前の話ではあるが、好きなゲームがいくつかあった。自分で考えて攻略する面白さがある。よって、ゲームの攻略本は買った事がない。
ところで、
「考える」という行為を、大きく2つに分類してみた。
1つ目考えるは「過去の事柄を知識として理解しようとする行為」だ。自分以外の誰かの体験を本などを通して得ることになる。私はこれを好むタイプではないが、必要であることは理解している。
2つ目考えるは「未知の部分に対して、仮説を立てて推定する行為」だ。過去の経験や他人から得た知識を元にして、ストーリーを組み立てることになる。私はこちら方を好む。
あくまで、「1つ目の考える」は、「2つ目の考える」を楽しむための準備として実効している。
もし私の寿命が1000年あるなら、1つ目の探究も自分自身でやってみたい。しかし、2つ目を楽しむ時間が少なくなるため、ほどほどでやめておく。
話をゲームに戻そう。
戦略シミュレーションゲームいうのは、2つ目の考え方を駆使して戦う。別に思考力を鍛えようとしてゲームをしていたわけではない。只々、面白かっただけだ。
ただし、いつの時代も「ゲームに興じている子供」に大人はいい顔をしない。
しかし、面白いことに、
これが「将棋」となると、別格の扱いになる。
何故だろう?
子供のころ、「将棋もテレビゲームも、大した違いはないじゃないか」と、よく思っていた。
大昔は「また、将棋ばっかりして遊んで!ちょっとは勉強しなさい!」などと、子供は親に叱られていたのかもしれない。
100年後にはテレビゲームも、その様な位置付けになるのだろうか?
少し話が外れてしまった。言いたかった事は、
「考える事を楽しめる体験をする」
ことが重要だということだ。
それは、「ゲーム」「将棋」「チェス」など、何でもよいのではないだろうか。
「1つ目の考える」しかしない人と、「2つ目の考える」までする人では、何をやるにしても大きな差がでる。
「無限の思考力 008」へ続く。