じいちゃんたちと私
私のおじいちゃんを一言で表そうとすれば
小指のない、パンチパーマの優しいおじいちゃんと、いつもYシャツを着てる料理上手なおじいちゃん。
そんな二人との思い出を少し、ここに残させてください。
父方のおじいちゃん
ダンブルドア先生のような、威厳のあるおじいちゃん。
誇り高くて、もうそれはそれはグリフィンドールって感じでした。
そんなおじいちゃんは、私が13歳の夏に亡くなりました。
私が生まれたときに、心臓の手術を受けて、余命宣告をされてから10年以上生きたすごいおじいちゃんです。
毎週末は、そんなおじいちゃんの家でお泊り。
禁止されていたことは、お風呂に一緒に入ること。
手術の痕を見せたくなかったからと、亡くなってから聞きました。
食事処に行くときには、おじいちゃんに一番に料理が運ばれてこないといけなかったなぁ。
カツカレーと硬くあげた麺にあんかけがかかっている料理と、レンコンと鰹節を炊いた煮物、しょうがとメジカ、生姜焼きが好きだった人。
うちの家の包丁が切りづらくなれば、包丁を研ぎに来てました。
トイレの便座を下げてなくて、怒って喧嘩をしたこともありました。
私がおなかが痛いとき、手をお腹に当ててくれて、その手がとても暖かかくて大好きだった。
おうちにカラオケを買って、演歌をよく歌ってるひとでした。
今思うと、プライドがしっかりしていて人生の先輩として
かっこいい生き方だなと思うところがたくさんあります。
父といつも喧嘩ばかりしていたのですが、
孫の前ではそういう雰囲気を一つも出さない人でした。
私はいろんな面で、そんなおじいちゃんが大好きです。
母方のじじ
今、主に介護で関わっているのは、母方の祖父です。
じじと呼んでいます。
料理上手で、船の設計のお仕事をしていて、パチンコのお店で仕事をしていて、耳が遠くなりました。
最近やっと、補聴器を購入し、話をする練習を続けて1年。
私とだけ、会話が成立するように・・・
できることは自分でやってね。といいながら、私もたくさんじじに甘えています。
交通事故をたくさん起こすようになり、運転をするのも危ないという話になり、買い物に行ったり、趣味の卓球に行ったり送り迎えのほとんどをおばあちゃんと私が交代で行っています。
私が、小さい時、熱を出して学校を休んでじじが家にご飯を作りにきてくれることがよくありました。
保育園や、習い事の送り迎えもたくさん来てもらっていました。
だから、受けた恩を返すのに、足りないくらいだと
思いながら、今はじじとの時間を過ごしています。
今年は、ふたりでラーメン屋さんをたくさんめぐって。
夏に何度もかき氷を食べに行って。
初めての経験をたくさんしたんです。
毎日会っていると、たくさん喧嘩にもなるけど、
今は、この時間が私にとってはとても充実した時間でとても心地がいいです。
じじについては、今後もnoteに残していきたいな。
なんてったって書ききれないから(笑)
これからは、じじとどこに行こうかな。
何を食べようかな。
もう、足が上がらなくなってきてるな。
転倒リスクが増えてるからふらつきが見られるな。
美味しいものたくさん一緒に食べたいな。
写真をたくさん残しておきたいな。
そんな思いがいっぱいです。
今後もじじについては、書いていこうと思うので、お時間があるときに見てもらえたら嬉しいです。
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