道化な私
ジョーカーを見た。
その前に人間失格を読んだ。
人間というものは、なにかしらお面をかぶっていきている人種が存在する。
それは、普通という照準に合わせたもの。
普通の恐怖
人に普通を求めない方がいいと思った。
あてはめようとして、ぎゅうぎゅうと詰めれば詰めるほど、
反動がとても大きくなる。
普通になろうとすればするほど、
普通になれなかったときに逸脱してしまう。
それが普通の恐怖
私は、それに気が付くことができるタイミングがいくつかあった。
どうして周りと同じようにできないのかを苦しんだ時があり、
それが続いてしまえば、映画や本の中の人達のようになってしまうと
ありがたいことに気が付けたのだ。
普通じゃないのは、頭がおかしいことなのかと言われたら
そうじゃない。
この人は、納豆が好きで、私は嫌いなだけ。
血のつながりがたまたま醜く思うだけ。
ただそれだけ。
と、少なからず思えてしまったから、
今逸脱せずにぎゅうぎゅうと押し込むことをやめることができたのだと思う。
自分にとっての普通は?
人と自分の普通の違いについて理解ができたのは、
犯罪心理学に興味を持っていたからという理由が大きい。
この人は、たまたまこうだっただけ。
私は、こういうときはこうするのに。
という思考をすることが容易にできたから。
私の普通は自分で作っていいものだと、考えることができたのは、友人にそういう思考の人間が多かったからだとも思う。
とても感謝している。
大学の友人は、相手の思考自体を否定しない。
ひとはそれぞれ、違う考えをもっているという前提で話をするから。
もちろんそれは、自分も同じではあるが、
人を傷つける行為でない以外にわたしはあなたを否定するつもりはないという信頼がそこにはある。
否定しないことがあったとして、
自分と同じ意見を持っているときには、肯定される。
でも、否定しないという環境自体が私にとって初めての感覚であった。
そして、それがありがたくも、私にとって普通になった。
道化でいるとき
私が一番道化でいる時間は何時だと思う?
家族と過ごす時間。
家族に求められる普通を過ごす時間。
私が壊れていく時間。
道化でいると、自分がどんどんわからなくなっていく。
この仮面が本当の私だと錯覚してしまう。
だから、精神的に追い込まれる。
本当にしたいこともわからなくなれば、家族に求められる人格だけが顔を出してくる。
そのうち、お面が顔に張り付いてはがれなくなる。
へらへらと笑う自分。
どうかみんなはそうじゃない人生を。
自分もお面をかぶらなくても生きていける勇気が蓄えられたら
逃げるという選択肢を。
普通でなくても、逸脱していても
誰かを傷つけているわけではないということに
気が付いてほしい。
良き人生を歩んでほしい。
そう道化な私は願っています。