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エッセイ)おとんの話

私はおとんが好きではない。
数年前なら、ハッキリと嫌いだと言っていた。自分もそこそこ歳を取って、人生は色々あると理解してきたのか、おとんが年老いていく姿を目の当たりにして、情の様なものが湧いてきたのか“嫌い”から“好きではない”と思えるようになった。

おとんはギャンブル好きで女癖が悪く、何度も借金を作ったり浮気をしたりで、オカンともよく揉めていた。そんなんだから、離婚をして家を出て行った事もある。
しかし、家を出て1ヶ月もしないうちに帰ってきて、そのまま何食わぬ顔で一緒に暮らして、家出をなかった事にした。そして、ズルズルと時が過ぎて、10年程前にオカンと再婚をした。
オカンもよく許せたと思うが、オカンがいいならと止める事も出来ず…。今は、そこそこ上手い事やっているらしい。

おとんはヤンチャが過ぎて、高校を中退させられた人だ。その後は、整備工や半グレの様な生活をしていたそうだ。
そんな、おとんを見るに見かねて、祖父が強引に大阪の料亭へ丁稚奉公に出して、そのまま調理師になった。

私が小さかった頃、おとんは、地元で有名な大きな料亭で働いていた。
有名人が三重県に来たら、接待などで、そこを利用する事もあって、アイルトンセナやジャンボ尾崎にも寿司を握った事があると言っていた。ただし、真相は定かではない。

幼少期の自分にとって、おとんは自慢であり、憧れでもあった。

おとんは、自分をたまに職場へ連れて行ってくれた。本来は休みの日なのだが、予約の関係などで、午前だけ仕事をする事があって、その時に子守がてら一緒に連れて行ってくれた。
普段とは違う真剣な顔で、シュシュと魚を捌いて、綺麗な寿司を握っていくおとんは格好良かった。
寿司を握っては、次々と桶に入れていく。
目の前には、沢山の寿司がキラキラと光っていた。
我慢できず、勝手に桶から寿司を拝借して食べたら、叩かれはしたが、かわりに自分用の寿司を握ってくれた。
店のカウンターの中という特別な空間で、目の前で握って貰う寿司は格別だった。
おとんの同僚も、自分を可愛がってくれた。
たまにヤンチャなお兄ちゃんに、『オーブンの中に入れるぞ』と脅されたりして、少し怖い思いもしたが、基本的には凄く楽しかった。
店の社長は、優しくて、自分の事もおとんの事も何かと褒めてくれた。
『お父さんは、いつも一生懸命働いてくれて、助かってるよ。ありがとう』と言って毎回、お菓子をくれるので大好きだった。
社交辞令なんて言葉を知らない子供にとって、おとんを褒められる事は、まるで自分が褒められたように、凄く嬉しかった。
自分も大きくなったら、おとんの様な調理師になりたいと思っていた。
しかし、その後、おとんとも色々あって、結局、私は調理師になる事を辞めた。

今年でおとんも69歳になる。
頭の白髪も増えて、入れ歯になったけど、
今でも寿司を握っている。
おとんの事は好きではないが、おとんが握った寿司は旨い。

やれ緊急事態宣言だ、蔓防だと色々な逆風が吹いていて、飲食店は、どこでも厳しい状態が続いている。
おとんが働いている店も売り上げが4割減になったと嘆いていた。
どこでも大変だと思うが、何とか持ち堪えて欲しいと願っている。自分に出来る事は、持ち帰りを利用するなど、たかだか知れている。それでも、少しでも売り上げに貢献出来たらと、コロナ前と変わらない頻度で飲食店を利用している。

取り敢えず、こんな話を書いていたら、おとんの寿司を食べたくなったので、明日あたりに買いに行こうかと思う。

おわり

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