![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/68102772/rectangle_large_type_2_bbf1490a7819fe9f7428f05d8a8550b0.jpg?width=1200)
思い通りに行かないときの「しょうがない」。僕はそれが嫌いだ。現状を肯定しているようで…
例えば、何かにチャレンジして失敗したとき、自分に言い聞かすように「しょうがない」という言葉を使う。
僕はその感覚が嫌いだ。
なぜかというと、それを使うと今の自分の状況を肯定しているように思うからだ。
自分の心を労るという意味では良いことだが、「自分はこうなりたい。これを達成したい」と強く思っていた場合、「しょうがない」で終わらせると失敗したことを肯定することになる。
現状を肯定していたら目標は達成できない。
現状に満足していないから目標を達成しようと思うのだ。
「自分がこうなりたい」という目標がある。しかし、現状は全然違う。このギャップに対して「なんで違うんだ」とモヤモヤする。
だからこそ、その目標に届くために行動する。
しかし、現状を肯定していたら、心のどこかで「ま、いっか」の気持ちが生まれて行動力が鈍る。
現状が目標に届いていないからモヤモヤするのに「しょうがない」で終わらしたらなんにもならない。
「あらゆる物は変えられる」と僕は思う。
だから、変えたいと思うものは行動して変えたい。
だから、変えたいと思う今の状況を肯定したくない。
「しょうがない」を言ってしまうと、いまの状況に留まってしまう。
「しょうがない」という言葉は、運命を他者に委ねることになる。
それでは他者に導かれるがままの人生になる。
僕は運命は自分で変えられる、と思っている。
僕は運命は自分で築いていく、と思っている。