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教師五者たれ③

「学者」知りたい気持ち

小さいころ「どうして?なんで?」っていう気持ちがいっぱいあった気がする。今みたいにネットなんかないから、子どもカラー百科と図鑑ばかり見ていた。物事って、知れば知るほど、その先の知らないことが見える。すべてがわかった、って気持ちにはなれない。そこが面白い。
小学校、中学校と学年が進むごとに世界は広がるけど、知らないことも増えてくる。そして、自分がもっと知りたいと思えるものが「自然」と「生物」なのだと気づく。人の営みにはほぼ引っかからなかった。

高校に入り、生物の授業で、かなり衝撃を受けた。
生物の設計図がたった4種類の塩基の配列で書かれ、3つずつ読み取ってタンパク質をつくっていけば生物ができるって??えーーー??
その他、好気呼吸や光合成を生化学的に学んだりして、生命のシステムも化学反応の羅列?って知った時、がぜん生物学に興味がわいた。生物の先生がけっこうな年配の、いわゆるおじいちゃん先生で、生徒が聞いていようといまいと(実際かなりの割合で、周囲は睡眠時間にあてていたが)、ひとり本当に楽しそうに語っていて、そっか、そんなに楽しいのか、と思った記憶がある。

知る楽しさを広めたい、なんて・・・

大学でも生物を専攻したが、最初から教師を目指したわけではなく、自分自身が探究者でありたい、という気持ちから研究職にすすんだ。
しかし、なんだか、すぐに「企業を儲けさせる研究」をするのは無理だ、と思えてしまい、研究の道が色あせてしまった。そのころ、住む場所を変える必要があり、ついでに教員に転職をした。自然科学に携わる仕事ならいいや、という軽い気持ちだった。おそろしいことに。

自分が面白いと思うことを相手に教える、っていい仕事なのでは?って思っていたら、ちょっと違った。そう、相手は人間なのだ。自分があまり興味がなかった分野だ。もちろん、自分が好きなものの魅力を伝えることは好きじゃないとできないし、そちらはある程度イケるとは思う。しかし、相手は人間だ。人間のことを知らなくては。

教師とは

最初に中学の担任からスタートしてこともあって、思春期の心理状態、ものの見方、家庭の影響、教師としてのかかわり方のウェイ大きく、今まで生徒側からしか見なかった「学校」のありかたなど、全く未知の世界に足を踏み入れたことに気づく。同じことを言っても受け取られ方はさまざま、こちらのつもりと相手の受け止めが違う、など様々な試行錯誤を繰り返し、数年して気づいた。教師とは「人間関係のプロなんだ」と。そのころは来る日も来る日も人と人の関わりのことばかり考えていて、思いついたことはすぐメモし、自分なりの理論を組み立てていた。「自然科学へいかにいざなうか?」と「人をどのように育てるか?」は、今でも自分の両輪だ。

そういう意味ではずっと「学者」をやっているのかもしれない。

自分も道を求める姿を見せ続けたい

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