note連続投稿の心得 ~到達地点は自分の心次第~
ぼちぼち固定記事を変えよう…。
そう考えたのは夏頃でしたが、今はすっかり年の瀬。
時間の経過とは、怖ろしいほどに早いものです。
その恐ろしく早いときの流れの中、私たちはnoteというSNSで投稿活動をしているワケです。
仮に、夏至からnoteを始めたとしましょう。
2022年の夏至は6月21日ですから、今日(1月4日)までだと197日間となります。(多分w)
今この投稿をご覧下さっている方の中には、note歴が197日未満の方もいることでしょう。
…ところで、他の方の記事を読み進めながら、多くの人が初期設定値として連続投稿100日を目指しているように見受けられます。
しかし、実測値ではなく個人的な推論になりますが、100日連続投稿を謳って達成できる方は、半数以下のように感じています。
今回のテーマは、この連続投稿できなかった方の要因と、100日を超えて投稿される方に向けて、一緒に継続の心得について考えてみたいと思います。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
少し、私の投稿活動について触れさせてください。
私とnoteとの出会いは、2020年の3月16日です。
当時、在籍していたオンライン大学の友人から勧められたのが始まりでした。
それまで、私はブログだけでなくSNS活動と呼べるようなモノとは無縁な生活をしており、特段、文章を書くという行為について好きでもなければ得意だという認識もありませんでした。
非常に受動的ですが、「勧められたのだから、とりあえずやってみようかな…」くらいにしか考えていませんでした。
何か目的があるわけでもなく、目標があるわけでもなく…。
実は、1,000日以上続けている今でも、明確な目的や目標を定めてはいません。
個人的な意見ですが、長期にわたって投稿する行為において、意味づけをしない方が良いと考えています。
なぜなら、「投稿する」以上の目的や目標があることは、そこに「ゴール」が設定されることになるからです。
分かりやすい例だと、1,000名のフォロワー獲得を目指せば、1,000名に達した日がゴールになります。
何かの情報を発信することが目的だと、情報が枯渇した時点でゴールとなりますし、有益だと考えていた情報が一定規模以上に認知されれば、情報の価値が低くなり、あなた自身のモチベーションが尽きることもあるでしょう。
個人や企業の情報発信ツールとして活用する場合でも、時間的コストと収益性がバランスしなければ、強制的にゴールとなるのではないでしょうか。
ビジネス的な見地で考えれば、目的や目標にはKPIとKGIを設定するのが自然であり、KGIとは「Key Goal Indicator(重要目標達成指標)」の略ですから、定めた時点で終わりがあることを示すことになります。
極論、noteの連続投稿とは「ムダなリソースの消費にどのような価値をつけるのか?」ということなのではないでしょうか。
ここで言う「ムダなリソースの消費」とは、時間に限らず投稿に要する全ての労力を指します。
余談ですが、最近では「消費」に近い用語として「投資」と「浪費」が対比する言葉として用いられていますが、note単体が「投資」となるケースは稀だと思います。
よほどの才能あふれるクリエイターか、天運を持った投稿者でなければ、noteは他のSNS同様に「消費」であることがデフォルトでしょう。
ただ、「投資=価値がある」だけではなく「消費=価値をつくる」という認識の有無は必要かもしれません。
「損して得取れ」はよく聞くと思いますが、「損して”徳”取れ」と考えることもできるのではないでしょうか?
価値とは金銭的な意味合い以外にも、多くの概念が存在します。
私にとっての投稿記事の価値は、自己発信力と他者評価を得ることです。
そこには、当然に私自身のエゴもありますが、感謝と恩送り・恩返しの精神も持つように心掛けています。
自分以外の誰かから「得を取る」のではなく「徳を積ませていただく」ことは、日常では、なかなか難しい行為ではないでしょうか。
連続投稿の心得。
それは、自分の「心構え」だけではなく、読んでくださる他者の「心を得る」ための労を厭わない「奉仕の精神」があってこそなのかもしれません。
…もっとも、「奉仕の精神」は押し付けてはいけないモノですが、ね。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
この記事を固定記事にするかどうかは決めていませんが、今回の投稿は以上です。