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noteで自己分析
何だか、何もしないうちに一日終わってしまって、せっかくの休日をムダにしてしまった…。
と、以前なら考えてしまっていたと思うのですが、最近は「休日だから休むのだ」と割り切れるようになってきました。
もちろん、気力や体力があるのなら、自己成長の時間にしてもいいでしょうし、コッソリ週明けの仕事の前準備をしてもいいでしょう。
大切なのは、どのように時間を使っても、振り返っても、後悔しないということではないでしょうか?
もし、今日という日をムダにしたと感じているのなら、明日をどう生きるのか考えればいいのだと思います。
そして、明日の生き方を考えている時点で、今日という日に意味はあるのだと思うのです。
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noteでの投稿活動に、どのような意味を持たせるのかは人それぞれです。
毎日投稿する義務はないし、文字数も規定があるわけではないし、誰に向けて発信するのかも人それぞれです。
まあ、公共の福祉に反さず、一般的なSNSのマナーにさえ気をつけていれば自由だということです。
そもそも、インターネットの世界は「ベストエフォート(最大限の努力)」が原則なのですから、マナーなどについては、お互いにミスを許容し、改善していけたらいいと考えています。
明かなマナー違反は看過できませんが。
さて、タイトルの「noteで自己分析」ですが、おそらくは、あなたもすでに意識的にか無意識的かに関わらず行っているモノと思います。
多くの人が記事に採り上げているように、投稿することはアウトプットであり、アウトプットすることで他者だけでなく、自らもフィードバック(評価)をすることができます。
このフィードバックは、面白いもので、その日の自分の状態で同じ記事でも評価が変化することがあります。
否定的な評価をする日もあれば、肯定的な評価をする日もあります。
つまり、人間は変化する生き物だという絶対的な原則だけは、全ての人が納得される法則だということです。
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自己分析の必要性については、すでに多くの情報が存在しているので今さら確認することもないでしょうが、個人的に肝要だと感じているのは「当たり前を再定義すること」だと考えています。
例えば、自分の中で許せないと感じる行為について、それが行為そのものなのか、特定の誰かが行っているからなのかは、その場で判断がつかないことがあります。
そうした事象をアウトプットすることで、自分がどんな価値観なのか、どんな判断基準なのかを評価する機会が必要であり、その一翼をnoteが担っているのだと思います。
内観や内省は、セルフコントロールの基礎です。
私はよく「自己一致」という言葉を使いますが、自分がどんな状態になるのかを自覚することと、それが客観的にどのように見えているのかを把握することで、私たちの社会性は担保されているのだと感じます。
「怒る」という「感情」は、人である以上、一生消えることのない「業(ごう)」です
ですが、「怒る」という「行為」は、コントロールすることができるはずです。
「自分は今、怒りの感情を持っている」と自覚し、客観的にどのように見えているのかを把握することが「自己一致」であり、アンガーマネジメントにもつながる概念です。
内観・内省・自己一致・セルフコントロール・セルフマネジメント…。
数多の言葉が存在しますが、それらが必要なのは、そういった行為が私たち自身の心身を守り、引いては「周囲の環境=社会」の中の自分の存在を守ることになります。
誰かのためではなく、自分のために。
…少なくとも私は、自分のためにnoteを活用しています。
その結果、こうしてあなたと繋がっているのだけれど、それは偶然の産物です。
この記事が、あなたにとって、どのような意味を持つのかは分かりませんが、私にとっては自分を知るツール(道具)であり、これからの自分をより良くするためのルーツ(起源)となるものなのです。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
…あ、余談ですが、ここのところ、私の記事であったり、私自身を紹介してくださる方がおり、心より感謝しています。
なかなかコメントなどを残せず申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いします。
m(__)m。