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傾聴だけでは成長には至らない
「対話力」とでも言うのでしょうか。
対人コミュニケーションにおいて、「傾聴」という言葉が浸透し、「聴く」ことの重要性は認知されつつあると思います。
確かに傾聴スキルは重要です。
しかし、そもそもコミュニケーションとは何でしょうか?
「会話・対話=コミュニケーション」と考えている方がいたら、少し考えてみてください。
ほんの少し前の時代では、コミュニケーションスキルとは「伝える力」でした。
そして、昨今の「傾聴」とは「聴き取る力」です。
こうして考えると、コミュニケーションとは自分と相手の意思を通じ合わせるための手段であると考えられます。
そこには、多くの場合、言語が用いられるでしょうが、非言語的なコミュニケーションも私たちは持ち合わせています。
例えば、最近はあまり聞かなくなりましたが「目で語る」や「背中で語る」という言葉があります。
これらは、言語を用いずとも意思疎通を図ることが出来るという示唆であり、「語る」という言葉が示すように「伝える力」の必要性を説いているのだと思います。
そして、これらの言語表現が語っている伝達者の意思には、「見守る」や「成長を促す」という内容も含まれているのではないかと私は考えています。
さて、話を対話の場面に戻します。
コミュニケーションスキルとは、相互の意思疎通を円滑に行うために必要な技術であると考えることが出来る反面、スキルに頼ってしまうと「意思疎通の先に在るもの」が見えなくなってしまうことがあるのではないでしょうか。
例えば、相手からの相談を受ける際、傾聴することで相手の思考整理を手助けし、相談内容の問題点となっていた事象をに手自身が気づくことで解決の糸口が見つかることがあります。
そのような場合、「話して良かった」と感謝されたりすることがあるかもしれません。
しかし、傾聴だけでは霧が晴れても道が見つからないことがあります。
聴き手として「伝える力」を有することで、はじめて相手に届く想いがあるように感じますし、その想いこそが、私たちが相手にとって「相談に値する相手」となる要素ではないかと思うのです。
相手が「話して良かった」と感じるだけでなく、私たちが「聴いて良かった」と感じられるコミュニケーションが成立したとき、お互いの意思疎通は相互成長の機会に変容するのではないでしょうか。
コミュニケーションが相互成長をもたらすのだとしたら、「意思疎通の先に在るもの」がどんなものなのか、実感できるのではないかと私は感じています。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。