リアルのリアルさは熱量という情報に収束される
一部の方からは怪訝な顔をされてしまうかもしれませんが、リアルな会食のセッティングをし、開催してきました。
お店の予約をする中で、現段階でも数多くの飲食店が休業状態にあることを知り、現実を軽視していた自分を律しなければ…と感じました。
とは言え、会食は企業間のもの…。
感染対策をいろいろ考えながら、お店側にもさまざまな配慮をしていただき、10余名での会食を行いました。
このようなリアルな人との触れ合いから遠のいていたからこそ、改めてオンラインでは補完しきれないリアルさというものを考える機会となりました。
今回は、人がリアルを求める理由の一端について、個人的な見解ですが書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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事の発端は休日の朝に届いたLINEのメッセージからでした。
「今という時期にしか出来ないかもしれないから、オンラインではなくリアルでの集まりの機会を作ろうと思います」
…上司のこのようなニュアンスの言葉から、休日の数時間を削ってお店探しをすることになりました。
当たり前ですが、世の中はまだまだ自粛ムード。
個人的には消極的な感情もありましたが、私自身、リアルの重要性を実感したいという想いもありましたし、会社としてビジネスパートナーの開拓や関係の再構築の場としての有用性も理解していましたから、会場探しは入念に行いました。
そもそもが、会社として大きな講演を依頼されていて、その流れで参加された方と関係性を深めようということなのですが、飲食店としては時間制限、人数制限、飲食制限などが当然にあります。
そんな中、数店と折り合いが合わずにいましたが、奇跡的に相互に条件を歩み寄ることのできる店舗様があり、来店予約をさせていただく運びとなりました。
実は、今まで幹事という役回りをしたことがなかったのですが、いかに神経をすり減らすものなのかを痛感し、企業での会食のみならず、このようなセッティングをされる方の大変さが身に染みて理解できました。
何事も経験ですね。
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会食では、私個人は半数以上の方が初対面で、ビジネスライクに名刺交換などをさせていただきましたが、ご参加いただいた方々も、あまり言葉には出しませんでしたがこのようなリアルな集まりを心待ちにしていたような顔をされていました。
私のような新人を除いては、ご参加された方々の多くは旧知の中であり、同じ方向に社会を推し進めたい熱量のある方々。
現状から将来についてのさまざまな議論の飛び交う、大変に熱量のある会となりました。
リアルとオンラインの最大の違いは「空気感」だと思います。
zoomなどのリモート会議では、一人が話し、他の方は話を遮らないことが暗黙のルールとして存在していると思います。
その行為によって、議論は粛々と進むのですが、本来ディベートなどのディスカッションは、反論や異論があってこそ、より深いレベルでの話に進んでいくと思われます。
今のオンラインで処理できる情報量では、この空気感を仮想的に感じることが困難であり、リアルという同じ空間にいるからこそ五感で感じられるすべての情報が、私たちがどれだけオンライン慣れしても、リアルに焦がれる理由なのだと感じました。
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私たちは、日々多くの情報や選択を処理しながら生活をしています。
その中で、いかにムダを排除し有益な情報や選択に注力できるかが、生産性向上の観点から求められています。
ですが同時に、より多くの情報を受け取る場を求め、一見ムダな多肢選択をすることになっても、そこに意味を見出し、課題解決や問題提起の糸口を掴み取るという工程を欲しているのではないでしょうか?
どれだけ膨大な情報の渦にその身を晒していようとも、それでも人は情報を浴び続けたい生き物なのかもしれません。
ただの情報では、心身を削られるだけかもしれませんが、そこに熱量を感じることで価値を見出す、そんな生き物が人間なのだとも思います。
リアルのリアルさは熱量という情報に収束される。
現実世界があるからこそ、仮想現実が成立する。
今回の集まりは、そんなことを考えさせられる機会となりました。
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さて、毎度毎度のことですが、noteからのうれしいお知らせをいただきながらも、昨日は掲載忘れてしまったので、下記に貼付します。
スキを推してくださった皆様、ありがとうございました。
また戴けるように投稿していこうと思います。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。