チャンスを手にするには先行投資。
二部構成ということで、昨日は抽象的な表現メインで「チャンスの神様」について投稿しました。
分かりにくい文章だったと思うので、先に前回の結論から書いておきます。
「チャンスの神様」や「セレンディピティ」というのは、望めば叶うというモノではなく、「自分を信仰する=自信」が具現化した事象であるというのが、私の考えです。
つまり、チャンスや幸運の類は、「自信」を触媒とし、周囲の環境に作用するということです。
今回は、私の事例から、「人に幸運が訪れる」とはどういったことなのかについて書いていこうと思います。最後までお付き合いいただけると幸いです。
ちなみに前回の記事は下記参照。
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人生は甘くなかった(笑)。
もう何度も書いていることですが、私はあと2ヶ月ほどで現在の職場を退社します。
理由は自分の社会的責任を果たすためには、今の職業では不十分だからです。
ですが、41歳のおっさんが、未経験から別の職種に移行する際、拾ってくれる企業はありません。
ですから、個人で事業を行おうと、準備を進めてきました。
「キャリアコンサルタント」という資格を取得し、資格保有者の団体に加入すると、仕事の斡旋があるということで、初期段階では、こちらを活用しつつやっていこう…などと考えていました。
いざ登録してみると、「自分の希望する仕事」ではなく「自分が提供できる仕事」を記載する事項しかなく、私のような実績のない人間は、団体の信用を損ねる存在でしかないことを痛感しました。
これに関しては、クライアント目線で考えれば当然の措置で、資格だけ持っている素人にお金を払う余裕のある企業はそうそうありません。
「クライアント・ファースト」であることで、団体の信用を担保する姿勢に、納得はしたものの、アテが一つ消えたもの事実。
収益を得るための新たな方策を練る…というか、「実績ゼロ」の烙印はどこに行ってもあるんだなーと、軽く心が折れかけてしまったのでした( ̄▽ ̄;)。
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「やるしかない」しかない
幸いなことに「考えを改める」や「後戻りする」という発想は、結構前にゴミと一緒に捨ててしまったので(笑)、「よし、これでホントにゼロからだし、開き直って進もう‼」と切り替えることにしました。
私が「チャンスの神様」や「セレンディピティ」といった類に遭遇するのは、上記のように気持ちを切り替えた翌日の事でした。
とある経営者の友人と会う機会があり、雑談を交わしているうちに、お互いのビジネスに対するビジョンについて話すようになりました。
「…うちで働いてみない?」
ホントにビックリなのですが、私の考えていたキャリアパスと、友人の探していた人財が、まさかのマッチング。
…いやーん☆まいっちんぐ( *´艸`)(爆)。
あまりに話がトントン拍子だったので、返事は保留として、その場は別れました。
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「ウマい話には裏がある」
過去の人に騙された記憶がチラついたりもしましたが、「共同経営するから出資しろ」という話でもなく、私を騙すメリットもないはず…。
…あ、基本的に人間不信なので(笑)、これくらいは考えます( ̄▽ ̄;)。
私を誘う理由も分かるのです。
自分で言うのも何ですが、今の私は社交的で行動力もリーダーシップもあり、人に嫌われる要素があまりありません。
…石を投げないでくださ~い(;´・ω・)。
「実績ゼロ」が、とてつもなく経歴の足を引っ張っているだけなのです、多分(笑)。
とにかく、そんな「まさかの幸運」に遭遇して、テンパって、パ二クって、昨日の記事となったわけです(笑)。
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「理(ことわり)」の法則性
「人に幸運が訪れる」には、一つの法則性があると、私は考えています。
それは、「積み上げてきたもの」には、力があるということです。
そのまま「因果応報」なのですが、ある行動を起点として、物事は変化していきます。
食器を落として割ってしまった場合、落とした食器が元に戻ることはありませんが、副次的にさまざまな事象が同時に起こります。
食器に対する思い入れに気づくかもしれませんし、割ってしまった緊張感から他の食器を割らずに済むかもしれませんし、気分が沈んで包丁で怪我をするかもしれません。
そして、新しい食器を探して選んだときから、その新たな食器の将来はある程度確定するのです。
この確定した将来というのは、過去の選択から、各過程での所作一つまで、すべての積み上げた結果だと思います。
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まとめ
ぜんっぜんまとまっていないのですが(笑)、「人に幸運が訪れる」ということは、過去に幸運が訪れるための要素を、あなた自身が選択したことを意味します。
そのときは、特に何かを求めて、あるいは先を見越して選択したわけではなくても、「選択・行動」が起点となって、幸運は訪れるように出来ていると、私は思います。
ですから、もし、「チャンスの神様」といった存在を欲したり、「セレンディピティ」を望むことがあったのなら、今行っている「選択・行動」に「自信」をもって取り組んでみましょう。
「自分を信仰する力」がなければ、自分自身も周囲の環境にも変化はないままです。
「自信」を「積み上げる」ためには、「絶えず研鑽を重ねる」しかないです。
「やるしかない」しかないのです。
開き直って、生きてみましょう(≧▽≦)。
ということで、駄文で自己嫌悪ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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