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木を見て森を見ず。だけど「木」も「森」も個人差があるよねって話。
人間は、何かに捉われると、何かを見逃してしまうことがあります。
個人的な意見ですが、好き嫌いのある人やこだわりが多い人、そして、「普通」や「常識」という言葉を多用する人は「森」を見ているようで、「そこに森がある」と錯覚していることもあるように感じます。
だからと言って、私自身が正しい「木の形」や「森の姿」を理解しているわけではないので、自戒を含めて書いてみようと思います。
ビジネスに限りませんが、「木=ミクロ」「森=マクロ」という視点ですよね。
会社で、どれだけ人材が大切だと言っても、一人ひとりの権利の全てを個人の自由にしてしまうと、会社は破綻してしまいます。
だからこそ、会社などの社会的集団には規則やルールといった義務が存在しているのです。
有給休暇を取得するとなったとき、社員全員が同じ日に休暇を取ることは不可能です。
誰かが、義務を果たしながら、一方で別の権利を与えられることで、平等性を担保するのが「木」と「森」の両方を見る際の基本的な考え方だと思います。
先日、社内でシフト作成について現場からクレームがありました。
「現場の意見も聞いてください」というモノです。
会社運営のために個人を犠牲にしないでほしいという、個人の権利を守るための大切な主張です。
一方で、管理者に対して「シフト管理者が一番大変なシフトに入るべきだ」という声がありました。
…これは、どうなのでしょうか?
現場が疲弊している状況で、この手の話題はどこの会社でも噴出する問題だと思います。
「私たちの大変さを上の人間は分かっていない」
…個人的な意見ですが、このジレンマに正解は無いように感じています。
一般的には、「上の人間も経験した道なのではないか?」や「会社には役割が決められているのだから全員が同じ役割を担うことがない」や「反対に現場は経営層の大変さを理解できない」といった正論があります。
ですが、「木」と「森」を、どう捉えているのかで、答えは変わってきます。
大切なのは二点です。
一点目は、焦点となっている「木」を、ちゃんと「森」の中に置いている話なのか。
もう一点は、「木」と「森」の定義付けを行ったのか、です。
会社という組織では、「個人=私人」のほかに「法人」という概念が存在します。
さて、「法人」とは「木」と「森」のどちらに存在すると思いますか?
ミクロとマクロの両視点で、意見が割れる問いだと思いますが、最初に「どの視点から、どのように見たときに、どこに存在するのか」を定義付けすれば、ズレは小さくて済みます。
「木」も「森」も見たところで、目線を合わさなければ、同じものを見ているとは思えないのではないでしょうか。
何をどう見るのかという問いは、どんな場面でも必要なので、意識してみるといいかもしれませんね。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。