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『繋がりたい子供たち』

Zenlyってアプリを知っていますか?

 中学生や高校生と年がら年中顔を付き合わせていると、彼ら彼女らの文化圏にも触れるわけで、驚かされることもしばしば。今、高校生の間で流行ってるのはこのZenlyという位置情報アプリ。このアプリを共有しておくと、共有した者同士が互いにどこに居るかが分かる代物です。(厳密に言うと東京あたりじゃもう1、2年前に流行ってたらしいです)
 カップルでお互いの居場所を把握しておきたいって気持ちや女子高生同士の友情の証みたいな使い方で、LINE交換と同じようにZenly交換なるものをしているようです。不特定の人たちと繋がる仕様でもあって、少し危なっかしいなって思うこともありますが、大概は友人同士の使用に留まっているみたいです。
 我々のような世代からすれば、夫婦の浮気防止装置みたいな印象を受けてしまい、どちらかと言えば恐ろしいアプリだと受け止めてしまいます。私なんて、そんな束縛されたくありませんし、相手の行状を知りたくもないです。ただ、これは個人差で束縛しあいたい大人もいるでしょうし、高校生たちも皆が皆、このアプリを使っているわけではありません。それは分かっているのですが、Zenlyを使う高校生たちの心理には興味が尽きません。


"どうしてそこまでして繋がりたいの"
 
 とかく今の子たちは人間関係が希薄と言われますが、繋がりたい気持ちを具現化したようなアプリを使用するには、あながち希薄とも言えないのか?と思ってしまいます。相手の行動が知れるどころか自分の行動も他人に筒抜け。こんな深い信頼関係を構築できるわけです。昔気質の私からすれば、殴り合いでもして得た真の友情やな!、なんてつい思ってしまいます。
 子供は、思春期にもなると家族以外の他人に太い絆を求め始めます。それは時代によらず、今も昔も変わらないことです。中学生くらいなら、大概の子供の心の中は友人との関係性に占められます。その為に勉強や将来のことにまで頭が回らない子供も多いです。それが全てと言っても良いくらいです。他人が何を考えてるのか知りたがりますし、自分がどう見られているのかも気にしています。交わした言動の真意を探りたいですし、されたり、してしまった行動についてウジウジ悩んでます。
 そんな時、他人の心の中が透けて見える魔法の鏡が欲しいもの。実は高校生たちはスマホのアプリにその魔法の鏡を求めてるのではないでしょうか?


"現代の魔法の鏡"

 LINEやTwitterは直接的なコミュニケーションツールの役割だけではなく、心情の吐き出し場です。これはInstagramも同様です。24時間で消えゆくストーリーには心のため息がたゆたってます。それらを眺めながら他人の状況を認識しようとし、また自分自身の状況を仄めかします。
 また、ご存知の通りの「いいね」を付けたり付けられたりすることにお互いの繋がりを実感します。TikTokの様に大袈裟なアプリもありますが、それも基本的には大差がないと思います。他人に認知されたい気持ちの差なんでしょう。「いいね」への渇望が強いと言い換えても良いかもしれません。
 先にも述べた通り、他人に強い繋がりを求めることは思春期にはありがちで、特段珍しいことではありません。お互いの間にある溝や壁を乗り越えて関係を作ろうとすることはティーンエイジャーの特権でありバイタリティです。ただ、私が一つ危惧するのは、これだけのツールが身の回りにあると、知り過ぎるということです。他人が何を考えているのかにとどまらず、何をして何を食べて、誰と居て、どんな物を持っているのか。探ろうと思えばいくらでも探れる。そうできるから、より相手のことが知りたくなるのです


"相手が知りたい、その根底にあるもの"
 
 そこで件のZenly。

「Zenlyをなぜ使うのか?」
 
この問いを対して多くは、

相手の行動が分かればLINEが送りやすい、とか、呟きやすい、またはストーリーを上げやすい

なることを言うのです。
 相手が暇にしてたらスマホでの働きかけに対してレスポンスが来やすくなります。どうもそこを見定める為のツールのようです。これ、相手が何をしてるのかを探るのではなく、相手が何もしてないことを判別しようとしているのです。要するに、今この瞬間に相手が自分と同じようにスマホを眺めてるかどうかを確認してる、というわけです。
 相手を把握したい気持ちは分かりますが、そこまでしてでも他者との関係を自分自身のコントロール下に置きたい気持ちの強さを感じてしまいます。とどのつまり、彼ら彼女らは、他者との交わりに失敗したくないのです。
 日本には根回しの文化があります。円滑に物事を進めようと事前に人的な準備をします。その為、いざ事に当たる時点では既にそれが儀式的になってることも多いです。会社の会議、国会なんかはそれの最たるものです。対人関係においても大なり小なり根回しが介在します。現在の高校生たちの相手を把握したい気持ちはこうした文化の反映とも言えます。
 しかし、現実は他人の心情なんか計り知れません。人間が数人集まればサプライズばかり。良きにしろ悪しきにしろ、予期せぬ出会いで人間を学んでいくわけであるし、先の人生のコミュニケーションの下地を作ってくれるものです。
 彼らが全幅の信頼を寄せるアプリにせよ、中身はまやかしに溢れ、権謀術数に右往左往させられているわけです。もちろん彼ら彼女らはその特性を十分に知っていて、それを楽しんでいることも分かります。しかし、本当の自分を分かって欲しいという願望から離れてしまい、こういう風に見られたい欲望だけが増長していくのはあまりいただけないような気もします。
 
 

 高校生のみならず大学生や20代の若者たちには自分自身のコミュニケーション能力に自信が持てない人が増えてます。それはここ数年のトレンドではなく十年単位の傾向でしょうが、どうも増加、加速の度合いは顕著です。その背景には思春期の心理とITツールのマッチングがありそうです、ってことが本日のお話でした。
 ついつい悲観的になってしまう自分がいます。それは杞憂に終わってくれれば良いのですが。さてさて、どうなんでしょうか?
 
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#家庭教師 #子育て #スマホ依存

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