江戸時代の京都/今の京都 第7回 お花見 江戸時代のお寺と今のお寺
2024年4月1日です。
3月29日に二条城にあるソメイヨシノの標本木の開花が確認され、京都の桜の開花が告げられました。この数日、天気も良く暖かい日が続きそうですので、あちらこちで多くの方々が2024年の京都の桜を楽しまれることと思います。
さて、第6回で宝暦七年三月三日(1757年4月20日)、宣長が、東山の高台寺にお花見に出かけた記事を取り上げました。実は前年にも同じように高台寺でお花見をしています。日記をみてみましょう。
桜の花を見て、和歌を詠み、酒を飲んで、東山でのお花見を存分に楽しんだ様子がわかります。
桜の時期ではありませんが、高台寺は萩でも有名だったようで、次の図会が残されています。
桜に萩と、当時の高台寺では季節ごとにお花見が楽しめたようです。
さて今の様子はどうでしょうか。
東山界隈でのお花見については、拙著『本居宣長が見た江戸時代の京都』でも取り上げる予定でしたので、2021年の桜の季節に現地確認に出かけました。
次の写真はその時の春光院です。
瀟洒な佇まいのお寺ですが、一般の方に公開はしておられないようです。宣長の日記には「春光院で、一日中、食事をし、酒を飲んだりしながら花見を楽しんだ」とありますが、もちろん境内で花見の宴会などできそうにありません。
さて高台寺もお見せしたいのですが、写真がありません。何故か、というと、高台寺は門から中へ入れて頂けなかったのです。
理由は「ファーストフードのハンバーガーの袋を持っている」というものでした。「中で食べるつもりはありません」と申し上げましたが、取り付く島もなく、高台寺だからでしょうか、高いところから「ダメ」と言われました。荷物を預かって、というような提案もなく、追い返されました。
改行して改めて申し上げますが、その対応には、
「仏様のお慈悲の心のかけらも感じませんでした」
というわけで高台寺の写真はありません。
さて、私の個人的な体験はさておき、話を進めましょう。
お花見の行事というものは、宣長の日記や図会から感じられますように、江戸時代と今で、大きく変わるところがないと思います。花を眺め、食事をし、お酒を飲み、興が乗ったら歌を詠んだり歌ったり、と、ほぼ似通ったお花見の宴会です。
一方で、江戸時代のお寺と今のお寺では、随分大きな違いがあることが分かります。
宣長は春光院で「酒を飲んだりしながら花見を楽しんだ」といい、第6回で取り上げました宝暦七年の日記には「天神社の前の水茶屋の床几が、所狭しとならんで、花見客が沢山休んで、酒を飲み、肴などを食べて花見をしている」とあります。
しかし、今はお寺の中へは飲食物の持ち込みすらできず、高台寺の天神社のあたりにお酒の飲める床几が並んだりもしていません。
こうした違いは東山界隈に限ったことではないようです。次の図会をご覧ください。
紅葉の時期の東福寺通天橋の絵です。
そここに床几が並び、紅葉狩りの宴会が催されていますが、今の東福寺では考えられないことです。
宣長の言うところを聞いてみましょう。
三味線まで持ち込んで、盛大な宴会を行うものまであったようで、流石に宣長は眉をしかめていますが、そうしたことが許されていたのです。
境内での宴会が許されていた江戸時代のお寺と、飲食物の持ち込みまで制限される今のお寺。その違いを感じていただけましたら幸いです。
さて、次の写真をご覧ください。
同じ日の八坂神社と、円山公園です。八坂神社界隈には屋台も並び、隣接する円山公園では気楽にお花見が楽しめます。
円山公園の枝垂れ桜は見応えがありますよ。機会がありましたら是非お運びください。