
空、見たことか (©️野田秀樹さん) またはいつかざまあみろっていいたい (つまり大森靖子さん)
糖尿病への注意喚起を 個人的に続けている職場の先輩が、健診結果を持ってきた。
HbA1c (ヘモグロビン・エー・ワン・シー)
6パー超えのキワキワを維持してはいるのだが、やはり自分でも心配してるようで。
わたしがする 実は聞きたくもない、面白くもない糖尿トークがストレスでもあるのだろう、先日した若い頃にいじられた思い出ばなしをそれに結びつけて、わたしが壮大な復習をしてるんじゃないのか? などと言い出した (もちろんネタではあるのだけど)
わたしは自分の経験から、糖尿病や生活習慣病というのは基本的になってみきゃわからない、原理的に気づけないものとして…
「このnote のタイトルを『なったらなったで考える糖尿病』としたとおり、また以前に『糖尿病とは発症するまで気づけないシステム』と書いたとおり、なかなか発症するその10年20年前から行動には移れないのです」
( kenzi『なってからでは遅いけど、ならなきゃわからない糖尿病。』note より)
他ならぬわたしがそうだった一般的な中高年男性の感覚、生活人としての立場からこう言いきりたいスタンスなので「まだ完全になってはいないと思っている」先輩みたいな反応は、十分に折り込み済みではあるのです。
「みぽりんが亡くなってしまいましたよ。大ショックで…」
金曜の午後、出先から戻るなり隣席の同僚が教えてくれた。子供の頃から大ファンで、新曲が出るたび録音しては聴いていたという。
土曜日、朝。下に降りるとテレビで過去の VTR を流していた。みぽりん 40代の後半くらい? 何か賞でも貰ったのか感動して「歳をとったせいか涙もろくて…」と言うや感極まって泣いてしまう場面が映し出されて…これわたし的にヤバイやつで😓 (危うくまた謎の号泣😢かましてしまうところだった)
中山美穂さんという人を、初めて本当に好きになってしまった (亡くなってからじゃ遅いんだよ。ゴメンね)
朝 風呂に入りながら思った。お湯に顔が浸かりハッと目覚める。危ねぇなあと思いつつ何度も。酒を飲んでの入浴。みぽりんはきっと、わたしの身代わりになってくれたんだ。
ふてほど。
でもこれフィードフォワード。
ふどわど?
ちなみにクルマの運転においてわたしの守護神は、国道254号 板橋区 常盤台付近で追突死した、実の父である。
最強のふどわど。
たぶん僕らの命はそういう連続性のなかで、かろうじて保たれている。
苫米地英人さんの暗記 (学習法?) に関する動画を観ていたら、例えば宅建の勉強だったらイチから覚えようとしても効果的ではなく、まずは不動産屋に入社してしまい、実際にやってみて具体的な場面や現物にふれてから覚える。あるいは失敗するイメージを先に描いてみて、そこから正しい解を、覚えていく。そのようなことをおっしゃっていて、なるほどなぁと思った (これもふどわど?)
会社の業務でも過渡期、転換期というのが当然あって そういう時の対応策として、気圧配置がこうだから、いついつに雨が降るでしょうという天気予報をするのではなく、こういう配置をするからには、乾燥地帯が発生するので人工的に雨を降らせましょう (とやらなければいけないのでしょう。自戒を込めての「ふどわど」です)
ちなみに…
人工降雨はある程度発達した雨雲がある場合に有効であり、かつ成功するもので、雲の無い所に雨雲を作って雨を降らせるのは現在の技術では不可能である (人口降雨-Wikipediaより)
「ヴィロード」のライブで、小山田圭吾さんが『やがて鐘が鳴る』のフレーズを弾いてる映像が流れてきた。
でもこれに発狂した…のは10年前までの自分だ。今はノスタルジーに中指立て (る。方を選んでく)
わたしは1989年1月、原宿クロコダイルで、その日初めて見た、どこの誰かもわからないアマチュアバンドが鳴らす『やがて鐘が鳴る』に独りで発狂してたのだ。初めて見た日から、わたしの頭の中でずっと鳴ってる。
ピクニックは早すぎた。
昨日は『下北沢ニテ』という毎年やってる下北沢のライブハウス中で行われる、サーキットイベントに行ってきた。
中村一義さんも出てた。そりゃ見たかった、会いたかったさ。でもそっち行ったら大森靖子を近くで見れなくなる。
これはわたしにとっての「ふどわど」だ。
今はこう考えるようにしている。
2024年12月7日(14時50分)
下北沢シャングリラで大森靖子。
「下北沢に本物の音楽を届けにきました」
「お笑い芸人さんに温っためてもらってからやる音楽って何だよ」
という挑発 (ではない、本当のこと) をかましつつ、もしかしたら返礼? かも知れぬ靖子の「ヤスコ読み」に対しても、大自然さんのネタをソッコー拾って和ませる (ローリエー)
馴れ合わずとも目配りを欠かさず。やれることは全部やる人なのだ。
いつものようにリハーサルの時間を本番に使ってくれたのち (この日の完成度の高さの核となった) 新旧とり交ぜた、後に完ぺきと思うに至るライブが始まった。
途中の曲間 MCで 二項対立=分断する世界のことに触れていたが、お笑い vs 音楽 のことも伏線 (どちらが本筋かに意味はないが) だったようにも聞こえたし (当然ながら) 具体的な出来事とは無関係…ゆえに、いつもの歌詞がこちらの胸を刺してくる。
隣のババアは暇で
風呂ばっか入ってるから浴槽で死んだ
私は歌をうたっている
どういうことかわかるだろ
(音楽を捨てよ、そして音楽へ)
新しい総理大臣の
かなりやばい性癖暴露記事
本当に好きだった彼の悪口
わたしからさようなら
(さようなら)
新旧とり交ぜたセトリが特に効いていた。
言うまでもないが大森靖子さんの数ある楽曲、歌は一般的な…例えば映画のクライマックス的なエモを切りとってコラージュしたものなどでは決してない。それがよくわかるという意味でも、昨日のライブは本当に完成度が高かった。
たとえば歌詞のシンクロ。その時代、その世代によってはズレが生じるものの、くりかえされる現実を歌っているので かならず甦る。
そう、普遍なのである。
大森靖子の正当な評価が遅すぎる
2014年に大森靖子を知ってすぐ、これはロッキング・オンとかが食い付くべき、巨大な才能だと確信した、その時から (進化を続ける大森さんとは対称的に) 音楽ジャーナリズムの時間はずっと止まっている。
タナソウさんの万引きツイートでよくわかったけど、諧謔すなわち批評、すなわちロッキング・オンなんかとっくに終わってる時代になってたのだ。
コンテンツ過剰、みんな違うものを観るようになったから、国民レベルで優れたものさえ埋もれてしまう時代になってしまった。
言っておきたいのは他のたくさんの優れたミュージシャンとの比較ではないこと (数多いる、そんなことは重々知っている)
好き嫌いの話でもない。
今年は (ふだん接触のない) 会社の重役との懇親会🍺があり、クラシックバレエがお好きだというので、きっかけをお訊ねしてみると、とある漫画を読み興味をもち (その後調べたが山岸凉子さんの『テレプシコーラ』か)
クラシックバレエを観たら「そこにすべてがあると感じた」から、だとおっしゃった。
わたしにとってのそれが大森靖子 (かなぁ?)
あの広いキャパ (ライブハウスとしては) が入場規制かかった? (つまりそんなレベルの人ではない)、その狭い (ふつうに狭い) スペースに、大森靖子を追い続けている音楽評論家は何人いただろう。
特別な音楽ファンでもない普通の若者はたくさんいる。現代日本最高レベルのステージを目の当たりにできる。そんな素晴らしい偶然が起きる良い時代になったということなのかも知れません。おわり (また大森さんの迷惑にしかならないことを書いてしまった😓)
2024.12/7 下北沢Shangri-La
— ちゅんたホーテ (@chunta_tkp0227) December 7, 2024
さようなら
#下北沢にて pic.twitter.com/JPM1y5zlK0
ちゅんたホーテさん動画をお借りしました🙇♀️
(でもナマで観ないと伝わらないんですよね)
読んでいただきありがとうございました。