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大森靖子は女の子たちの友情である(青春の80年代に「ネクラ」と摘発された過去を持つオッサン二人が語り合ったことなど)

超歌手 大森靖子さん生誕ライブのこの日、毎年出演する「水中、それは苦しい」のジョニー大蔵大臣さんが、付き合いが長くなるにつれ「聞きにくいことも増えてくる」みたいなことを言った(大森さんとの関係を自己紹介しつつ笑かすオチでね)

この凄絶な (壊れ)『VOID』に至るまでの、今年に入ってからの出来事を思うと、わたしの心もバーストしてしまった ( 何かあった時の大森靖子は間違いなく良い…しかし今回はその極北と言うか )



先週の水曜日、休暇を頂いて大森靖子さんの生誕ライブに行ってきた。ツイッター ( 現X )の大森ファン仲間、名前は、まだ無い。さんはこのところずっと御一緒して頂いている。

いつもは池袋集合だとココ池さん、新宿だったらディスクユニオンさんでレコード漁りをして、その後は喫茶店☕️で釣果を見せ合いながら開演までの時間を過ごすのですが…

「読書会をしましょう」というわたしの突然の思いつきに律儀に乗っかってくださったマジメな名前はさんなので…


『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史
サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』
富永京子(晶文社)

今回はこの機会にそれを完結させるべく「共同討議」の時間に充てることになりました。

記念すべき第一回に選んだ本というのは、富永京子『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史 サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社) というもの。

この本をわたしが選んだ理由としましては、今回の都知事選でもやはりそうでしたが SNS が政治モードになったとき、若いころ大ファンだった糸井重里さんの ( 過去のも含めた )「怒るな」的なつぶやきが、一般大衆の政治への怒りや盛り上がりに「水を差す」発言であると、リベラルの側から猛反発を喰らう現象がここ何年も続いていまして。

そうは思えないし、わたしが見てきた糸井さんがネトウヨであるはずはないので、その現象についての考察を深めるため、つまり糸井さんが目の敵にされる現象を紐解く何らかのヒントが得られるのではないか? といった直感からでした。

(というふうに細かく書いていくと長くなってしまうので、極力省略していきますね)

以下は「名前は、まだ無い。」さんの感想。



「学術論文」そのものだったので ( 読む前のイメージと違って ) 難しかったが、がんばって読んでみた。

 著者の富永京子さんは1986年生まれで、私らより20も若く、当事者ではないのにここまで当時の雰囲気を再現できているのがすごい。

( 世間が ) 政治に無関心になったのは、学生運動の失敗や挫折からなどとも言われるが、私は当時からそういった社会運動のこと自体を知らなかった。

ただし漠然とだが、政治とか宗教とか、上から押し付けられそうなものへの抵抗感はあった。

( なぜ政治的無関心が続いたと思いますか? )

マスコミに「そうさせられ」てしまった。メディア自体が取り上げないから、知らないところで政治自体が複雑化していき、普通の人には「わからなく」なると同時に、社会問題に関心を持たないようにされてしまった。

( 情報の送り手が主導ということ? )

マスコミもメディア ( 番組 ) も「やらされてる ( いた ) 」のかも知れないが、受け手の無意識 ( 元々の無関心 ) との相互作用の結果とも言える。つまり補完関係、結果的に共犯関係にもなった。

わたくし kenzi の感想としましては…

富永京子さんが最後の方で見事にまとめられた部分にあるように、

「彼らは女性の自立や反戦・反核という価値観を支持する一方で、先行世代の社会運動や政治参加に内在する規範や教条主義を忌避・回避する。その結果、彼らはあえて政治への無関心を標榜し、マイノリティへの『差別』的言動をある種の遊戯として行うこともある」(10-1 本書の知見がもつ普遍性 P293 より) 

富永さんが早い段階でそれに気づかれていることに驚きますが、わたし世代ですら忘れかけていた「規範」や「教条主義」それを押し付けられることへの忌避、回避、そして反発 ( ツッパリ! )、といった、その当時の空気や実際の言動、つまり行動原理となっていたものをありありと思い出すことができました。

そしてそれは わたしたち世代だけに突如降りかかってきた現象ではなく、考えてみれば当然のことながら、先行世代の影響であり、戦後30年という時代の流れ、カルチャーあるいはサブカルチャーの連続性の中にあったものだと気づくことができました。


薄い本なのによくまとまっている

糸井さんのことはよく知らないと言う、名前は無いさんがすかさずポチった、

『古賀史健がまとめた 糸井重里のこと。』
                                                  ( ほぼ日文庫 ) 

わたしも読んで糸井さんと出会い直し ( ファンとか言って未読でした😓 ) 

いまの人たちからすると全共闘世代の若者はみんな学生運動に参加していたような印象があるかもしれないけれど、ぜんぜん違うんです。学生運動で勝ったの負けたのと騒いでいたのは、ほんのひと握りの大学生だけ ( 中略 ) それでもメディアは「若者の反乱」を煽る ( キャロルの衝撃とはなんだったのか  P69  )

そして段々と「ことば」が重くなってくるんです。
おおきな、重たいことばばかりが、まわりを飛び交うようになる。
なぜかというと、「命」が軽いからですよ。人は「命」を軽く扱おうとするとき、それをごまかすために「ことば」を重くするんです ( 学生運動に幻滅するまで  P44 )

学生運動との関わりについて、ここまでまとめて語られていたことに驚くと同時に、それでもわたしが糸井さんから受けとっていた、例えば「ことばとは『おそろしいもの』だ」( P22 ) のようなメッセージに対する印象は、若いころと変わらないものでした。

ぼくが永ちゃんに教わったのは「時流に乗らないこと」の大切さ。時流に乗ってヒットしたバンドは、時流とともに消えていくんです。むしろ「そんなの時代遅れだよ」と笑われるくらいに愚直なほうが、しぶとく生き残る ( 時流に乗らないことの大切さ P71 )


わたしが糸井さんに本格的に興味をもちだしたのは雑誌でいえば『広告批評』の糸井重里だったと思います。

『ビックリハウス』の読者にはなれなかったし、さらにそれ以前の仕事についてなど、知らなかった部分を自覚することができ、糸井重里という人物に対する視野を広げることができました ( 下に貼った以前のツイートがより府に落ちたといいますか )


ただ、私たちが何気なくやっている、他人からは子どもじみて見えるかもしれない共同体でのおちょくりや論評といった営為が、文化の受容を豊かにしたり、ときに政治にコミットする装置として機能しうることもあれば、「からかい」や「イジり」として何らかの価値を毀損しうる、そういう可能性について書きたかったのだ ( おわりに P307 )

『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史…』とにかく凄い本でした。

この圧倒的な社会学的定量分析に対してわたしら劣等生 ( とドロップアウト ) ができるのったら、当時を生きていた者として記憶のディテールを掘り起こして証言を残すことしかないじゃないですか。

無口だったり笑わなかったり会話に加わらなかったり、文字通り暗いのはまぁ確かに異質ではあったろうし問題ではあるけれど、その反対に、明るく楽しく、そして「笑う」ことが絶対的な価値であり、控えめに言ってもデフォルトとされた時代が確かにあったわけですよ。

日常会話で「人生」とか言うのが、まずあり得なかった。NGワードだった。普通に言える今、それだけでもいい時代だよねって名前はさんは言う。本当にそう思う。

そして改めて、あれは何だったんだろう?
 という話しになっていくわけだが…

場所を変えたアフタートークで 🚬 また若いころの話をしていると、いつもそうなるように「ネクラ」( 頻出ワード ) の話になり、そういえばこの研究ではどうなっているだろうかと、巻末にある付録の『ビックリハウス』頻出語リストの1980年あたりから1985年まで探してみたところ…見当たりませんでした。

いつもは漠然と語っているけど、これは富永さん本の影響なのだろう、実際どうだったんだろう、それは80年代のことで、90代はどうだったろう?  ( いつもと違い、掘り下げモードに )

わたしたちの中学・高校生時代は1978年 ( 昭和53年 ) から1983年 ( 昭和58年 ) にあたり、ここで記憶と照らし合わせてみると、「ネクラとラベリングされる風潮、中学時代はまだなかった」( 名前はさん )

そこはわたしも一致する。そして高校を3日でドロップアウトする名前はさんは社会に出て、ネアカ世間の風潮を浴びて屈折を深めていくことになるわけだが、学年ベースなわたしの記憶では、高校3年間 ( の右肩上がり ) がピークだったように思う。

ちなみに先の本でふれた「規範」や「常識」とかっていうタテマエの、大人や教師からの押し付けに対する反発は、漫才ブームでのツービート ( 毒ガス、は中坊の代弁者だった )、オールナイトニッポンでのビートたけし ( 悪ガキが録音してまで熱狂的に聴いてた ) で爆発したということだし、規範や常識がいかに抑圧的だったかが、わかる。

それとかわたしはたまたまデビュー直後の尾崎豊と出会ってしまい、その後の数年間、つまり無名の段階からブレイクするまでを追っていたので、一部の熱狂から気づけばあっという間に ( ただしネアカの世間は知らぬ間に ) 大阪スタジアム級のキャパを埋めるようになり…といった当時の若者のある層 ( 尾崎ファン、つまりネクラ ) の当事者として、またはそれをサンプルとして世間 ( つまりネアカ )が 80年代後半から90年代前半まで、どのように変遷していったか、「おたく」が市民権をえていく流れとともにネクラが消えていったかを ( ハッキリとは言えないけれど ) たしかに覚えている。




こうやって書物を媒介に、友人と対話しながら、過去を振り返って人々、というか大衆の気分を想像してみたりすることは有意義だ。

結論。今だろうが昔だろうが政治関心とか社会運動とか基本いつだって余裕のない市民にはハードルが高いものってことですかねぇ。

そして今、目の前で起きている現実をそこに重ねて、凡庸である一市民としての理性や感情をもとに考える自分の仮説は、やはり「革命とその挫折」がもたらす語り切れぬ思い、語り得ない感情、そして歴史としては潜伏せざるを得なくなる「消えちゃう全て」( ©️大森靖子 ) の後に与える影響の存在感だった。

なにか志を抱えて頑張ってきた人間ではないけれど、これだけ生きてきて、そういう人を一定期間、見つめつ続ける経験を得て、そんなことを思ったりした。


この3連休、大森靖子さんの最新作、
『THIS IS  JAPANESE GIRL』の発売に合わせたリリースイベントの初日と2日目に出かけた。

21日、土曜日、錦糸町パルコ、
『さみしいおさんぽ』が演奏され、
『CUTTING EDGE』が演奏された。

22日、日曜日、タワーレコード渋谷店、
この日も、
『さみしいおさんぽ』が演奏され、
『CUTTING EDGE』が演奏された。

最近は以前にも増して若い女の子が目立つようになり ( 何かムーブメントが起きてる? )、そもそもこんなジイサン「 N (G)」 とも思うのだが、生きてる間に現れたこの天才ミュージシャンを間近に見られる欲望に、そんな自意識はどうでもよくなってしまう。

大森靖子のライブやイベントで若い子を見るといつも羨ましく思う。大森さんを末長く見られるねって。その大森さんも、メジャーデビューから10年が経ってしまった。

「受け入れるのに必要な時間が10年ぐらいあるんじゃないですかね」

大森靖子インタビュー『THIS IS JAPANESE GIRL』に刻み込んだ生き様 「読み解かれていくのは、またどうせ10年後」(宗像明将)より

音源への評価についてはもはやこのように達観されてる大森さんだけど。

前回取り上げた本、戸谷洋志さんの『生きることは頼ること 自己責任から弱い責任へ』( 講談社現代新書 )を読み進めていたら、とても興味深い記述があった。



自己と対話する、ということは、「私」が自分自身と何らかの形で関係する、ということを意味する。ではその「関係」は一体何だろうか。興味深いことに、古代ギリシャにおいて、それは友情として説明されていた。つまり、物事を多様な角度から吟味する思考は、友達と対話するときのように、「私」が自分自身と対話することで成し遂げられるのである ( 思考するとはどういうことか P66より )

思考は友情を基礎としている。そうである以上、友情が奪われるとき、思考もまた私たちから奪われる。それは、私たちが物事を複数の視点から眺める能力の喪失、つまり「複数性の破壊」を意味する。複数性を奪われた人々は孤独な感情に苛まれる。彼女 ( ハンナ・アーレント ※引用者注 ) によれば、それは自分が人々から「見捨てられた」という気分に他ならない ( 友情の剥奪 P70より )



大森靖子はすべての女の子の友達になろうとしている

表に出にくいことだが、大森靖子はすでに何万何十万の、壊れそうな心を救っている。可視化されにくいことだが、偉業だ。

では救うって何だ ?

それは  戸谷洋志さんの言葉を借りれば 、
( 結果的にでも ) 自己との対話ができるように促すことで 「物事を多様な角度から吟味する思考」ができるようにしてあげること、かも知れない。

「今まで持っていたものがすべて崩れたっていうか」

「まあ自分で捨てたとは思ってないんですけどね」

(大森靖子『MUSICA』2024年10月号 参照)

捨てたくなかったものを捨てざるをえなかった大森さんに、凡庸なわたしなど、挫折の文字を浮かべてしまう。凡庸に。

「離婚して『俺たちの大森靖子が帰ってきた』みたいなことを言う人もいるし、クソくだらないじゃないですか。だから思考し続けようぜっていうことですよね。政治と一緒ですよね(笑)」

アッパレ、ですよ。

大森靖子『THIS IS JAPANESE GIRL』に刻み込んだ生き様 「読み解かれていくのは、またどうせ10年後」(宗像明将)より

凡人とは全然ちがう。

リリイベにいるとき、
時間や時代をを生きているわけではなく、
音楽そのものを生きてる。

心から感動した。昨日もおとといも。
運命に委ねず、進化し続けている。
まだ音になってない何かが、
大森さんの中で発生し続ける限り。

SNSで今のいま、大森靖子、調べればわかるだろうが出てくる回数ダントツだろう。
それ以前に、この10年間わたしの頭の中の頻出ワードNo.1は、ぶっちぎりで大森靖子だ。

天才が進歩し続けている。

読んでいただき、
ありがとうございました🐱


田中あいさん、
肉野菜さん、
リンク貼らせていただきました。
(ありがとうございます🙇‍♀️)



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