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友だちはいらない (崖っ縁の) あなたがいるだけで。
高校時代、漫画も少しは読んでいた。
『タッチ』や『みゆき』の、あだち充さんが流行っていて、恥ずかしながら夢中にさせられていた (『陽あたり良好!』といった過去作までも追い求めるほどに😅)
ラブコメ貸し借りしてるニキビ面の、第二次性徴まっさかりのきったねー男子どもが脳内晒してる様子が…何かすっごい恥ずかしかった (あえてわたしの当時の脳内も晒す😓)
無言の心理劇が上手い、この作家が売れるのはわかる。だけど、だからこそ、恥ずかしいから、密やかなものであってほしかった。
それをいくら自意識過剰と言ったって、恥ずかしいものはどうしようもなく恥ずかしかった。あなたのなかの、無防備なわたしが。
そういう陰キャ (ネクラ) だったし、まだサブカルにも疎く『宝島』にも『ビックリハウス』にも出会えてなかったので、クラスに一人はいたはずの? 友だちにも出会えなかった。
と、ここまで書いて朝食に下りてって、
手にとった『群像』を何気なく見ていたら…
どう見ても楽しんでいるようには見えないのに、どうしてこいつは毎日のように店に来るのだろう。私は長い沈黙のなかで深く考えた。彼も、本当は楽しみたいはずなのだ。彼にはきっと、勇気がないのだろう。まるで高校生だった頃の私のように思えて、私はハットに妙な親しみを覚えた。
ほとんど誰とも話さない (女子) 高校生時代を過ごし、都内の大学に進学すると同時に「人と話す訓練をするため」に恵比寿のガールズバーでバニーガールになって10年という、伊藤亜和さんのエッセイがよかった。
1920年代に入るとマルティン・ブーバーって人が『我と汝』って本でね、「あなたは人にYOU として扱われてますか? それとも IT として扱われていますか? 」って言うんですよね (中略) 要は相手を入れ替え不可能な、道具ではない、目的としてみなす界隈。これが共同体。それに対して相手が手段にしか過ぎない界隈 (中略) この趣味の界隈が共同体になることは、ない。同じ趣味を持つ人たちだと話が早いよね、祭が盛り上がるからっていう…完全に道具性・手段性が優位だからなんです。
深掘TV『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』を深掘りする!より宮台真司さんの発言を引用
以前ここで (還暦近くなってできた友だちと) 読書会をして「そういえば『ネクラ』ってワードが使われてないよね~」と巻末付録の『ビックリハウス頻出語リスト』に無いことに気づいた報告をココやツイッターでしたら編集者の竹田純さんや、著者の富永京子さんまで反応してくださった。
宮台先生の強烈な先制パンチと、その後に続く「表現が批評ではなくなりすべて消費 (道具性優位) になった」ことや、そもそも「分かる奴には分かる」という『諧謔』が前提としてあること、の指摘。
この圧巻というしかない研究に対して痛烈としか言いようがないけど、そこは重要なポイントでもあるし、本当のことだから仕方がない。
彼らはやはり、基本自分がネクラだから、
ネクラって言葉がほとんど使われなかった。
(わたしの考えでは)
ちなみに例の「小山田圭吾さん事件」の発端になったインタビュー記事にあるのも、この諧謔の変化球、誰にも打てない消える魔球! だったと思ってる (アストロ球団⚾️並の)
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ぼくもうがまんできないよ。
そういえば小山田圭吾さんの問題が起きたとき、ラジオで太田光さんが(地元であった)いじめ自殺事件として言及された。
昭和54年、埼玉県、上福岡、市立三中 (現在はふじみ野市立花の木中学校)
毎日その近くを通って通勤している。
そのラジオからは生島ヒロシさんが消えてしまった。生島さんは中2だったその頃 (その年だ!) 『夜はともだち セカンド』を聴き、初めて好きになったディスクジョッキー (当時はそう言った) だった。
そうだそっちは田中裕二さんの方が聴いていて、それでアナウンサーになりたいってなったんですよね。爆笑問題っていろいろ近い。
生島ヒロシさんは毎朝元気だったし、また涙もろくて感動屋で。よく番組中、突然泣き出したりもして。しかしやはり原稿がないだのこういうレポートやってほしいだの「仕事仲間」を叱る様子は聞きたくなかった。だが消費税をなくせとか、政治に対する「批評性」も失った。引き続き出演されてて良かったけれど、紀藤弁護士や残間里江子さん、テロエロ (ってあだ名を勝手に付けられても大人で大物だから笑って許容されてた) 二木啓孝さんらは、なぜ生島ヒロシさんについて一言も語らないの?
批評性はTBSラジオからも無くなった。
ワードはこうして消えていく。
だから出来る限り、自分に強くあろうと思う。まず隣人を愛そうと思う。花を愛でる気持ちと、空を見上げる勇気を、いつも心に秘めていたい。ただそれだけでいい。
(中略)
孤高であること、それこそが誇りであり希望。誰もいなくなって、たったひとりになったとしても。孤独の淵に立つことが、僕らの出来ることすべてであるなら。
The Boy Wonders『地の果てより発つ』より
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高田さんがご丁寧な手紙と共に、
送ってくださった素晴らしいフリーペーパー
界隈塾「夢」の回、配信で途中まで見たけど、宮台先生やはり面白いし勉強になる。ここでもまたマルティン・ブーバー出てきました。N/Nさん! 次の読書会『我と汝』でお願いします(業務連絡です🙇♀️)
中谷友香さんも良いなぁ。夢の有難み、夢をおろそかにしない、夢は「馬」みたいなもの、オウム事件は落馬事故…するどい知見を連発されてた✨
それに触発され、またブーバーや、最新の脳科学を引いて「クソ社会に引っぱられるような解釈はしない方がいい」と展開される宮台先生がまた凄い!
宮台先生が今朝みた夢。以下宮台先生LINEから。
— 宮台真司の界隈塾(次回2/16蟻鱒鳶ルの岡啓輔さん) (@38dai_kaiwai) January 30, 2025
少し前に目が覚めましたが、そのときに夢を見ていました。芸術論の講義をしていました。覚えているうちにと、寝床でスマホにメモしました。以下のとおりです。https://t.co/yyQ4Gkz4K2
もっと早く観ればよかった。
(配信の販売が終わってしまったよう…)
大泉実成さん (『Quick Japan』の頃、よく読んでた) も良かった。作家を志した理由として、大学で学んだウィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」について、ノンフィクションの言語で、語り得るものを集めて、その集積で語り得ぬものを「示す」ことはできるのではないかと思った (とおっしゃっていて)
それはやはり今週聴いた、堀川恵子さんが『透析を止めた日』(講談社)を書かれたことの思いに重ね合わせてしまった (先週の月曜日、荻上チキさんの『セッション』に出演されていた。これもradikoが終わってしまった~🙇 ぜひ本を買って読みましょう)
生島さんに変わり担当されているフリーアナウンサーの片桐千秋さんが(母の藤圭子さんは)心の中にはいつもいる…として作ったという宇多田ヒカルさんのメッセージとともにかけてくれた大好きな曲で終わります。
お忙しいなか読んでいただき、
ありがとうございました!
Y さんありがとう。