見出し画像

坂本龍一という音の神様、そして自意識の神様は、最後までうつくしく逝った。


初恋の人が死んでしまった。
あれから一年、彼の、まさかの、
死にゆく映像を見ることができた。

『千のナイフ』や、特にこの『ジ・エンド・オブ・エイジア』をステレオの前で目を瞑り、何度も何度も聴いていた。

やがてお父さんが死に、
お母さんも逝き…
死を見慣れていて、良かった。

中島みゆきやアリスや、スターリンにも苦笑し(デビット・ボウイと一緒に)、自分でつくった『戦メリ』すらも…そういう言葉や情緒が主体のものは音楽ではなく、演歌だと、汗かきすぎの感情表現だとして嫌っていた(「首を振って歌う」つって『合唱部』とかも、当時どこかで馬鹿にしてた)

そんなシンセサイザーを自在に操る若き知性が、表情や口の動きにまで神経を行き届かせてボソボソと喋るところや、「笑うと顔が崩れる…」とか(冗談交じりにせよ)言ってまで、ポーカーフェイスな美貌をキープしようとしてたところとか…

坂本龍一さんが、なんでわたしのヒーローだったのか?あらためて考えてみると、そんな繊細さにフラジャイルというのか、弱さのつよさを感じとり、そこに惹かれてしまったんだと、今あらためて気づける。

そう、そのわりに聞く話は「野獣」だとか「通った後には草も生えない」みたいなことだったり(フォークロアだけどね)、でもまさに「文質彬彬」な人だったんでしょう(そしてその、煙草スパスパやってる映像や、後で無茶苦茶やってたと述懐することになる様子は、やはり当時から気がかりだった)

でもとにかく、
世界的な音楽家という以前に、
わたしの興味はずうっと、
坂本龍一そのものであって。

言葉や音楽、時間、人間について、ものごころつく以前から考え続けてきた思想家だった、から。

「そうだね。例えば日本で言うならー僕はそういうアカデミックなところがあるんだけどー加藤周一とか会って話を聞いたら、面白い話をいっぱいしてくれると思うんだ。ほんとの教養人だよね。ドビュッシーに会ってもさ、話すこと何もないと思うよ」

(村上龍+坂本龍一『EV.Cafe' 超進化論』講談社)より引用

ここから始まった📚️



村上龍さんとの対談は、30歳をちょい過ぎたころのもの。

実在した坂本龍一には矢野顕子さんのライブ(バンマスだった)と、あとは「さようなら原発」代々木公園での集会と、「安保法制反対」の国会前(拡声器の声だけ)でニアミスしただけだった。

なので、雑誌ベースで追ってた一ファンとして、トリッキーな視点になるのを恐れず書いてみるけど(雑誌ってタイムマシーンみたいで面白いよね)

坂本 : (ウコンを)お酒と一緒に飲んじゃうわけだ。
高橋  : そうそう。覚えておいてね。健康と言えば、細野サンだよね。一番身体が丈夫だもの。
細野 : ブッ!
坂本 : いや、そう思うよ、ボクも。前から気になっていたんだけどね。


細野 : 六年くらい前かなぁ。教授と本屋でばったり会ってさ。その時、教授、こんなにたくさん本を抱えていたんだよね。全部、身体と健康の本(笑)。「今、サバイバルを研究してるんだ」って言っててさ。

YMO健康放談「老人エレクトロニカ」
細野晴臣(56歳)坂本龍一(51歳)高橋幸宏(51歳)
『SWITCH』の「健康」特集(2004年 1月号)より引用

老人?細野さんですら、
今のわたしより年下なんですが。


幸宏クン、最近は、みのもんた、見てる?


予言が当たってしまった


つい昨日のことのようで
(20年くらい前だけど)


『SWITCH』の「健康」特集(2004年 1月号)が一番象徴的だったけど、この後の『ソトコト』2005年から2006年あたりに Lifestyles Of Health And Sustainability(ロハス: 健康的で持続可能なライフスタイル)を標榜する雑誌にも教授はよく登場していて…


本当に頑張ってた


東洋医学に舵を切ったのよくわかる


わたしもここで書いたりしましたが、『別冊宝島』(宝島社)が「気」(気功)をテーマにいくつかのムックを出したのがきっかけになったのか、一部で「野口整体」が注目されるようになり、創始者、野口晴哉(当時は変換されなかったな~)『風邪の効用』がちくま文庫から出されるようになったりした。

わたしも興味を持ち、特に三枝誠さんの『気の相性学』という本に刮目したわけなんですが(いかにテンションを上げていくか?が言わばその頃のテーマだったので)その三枝誠さんが大貫妙子さんと同級生で、大貫さんが三枝さんを、坂本教授に紹介したという話を、しばらくしてから知ったりして。

そういう経緯だから分かること、も、ある。

でもそれは「おまじない」に過ぎなか
った、とも思う。


『シンラ』(1996年12月号)
三枝誠さん
岡島瑞徳さん
(野口晴哉さんの弟子)
永倉万治さん
(暴飲暴食したらしい)


野口晴哉さんは確か 65歳だったか。
弟子の岡島瑞徳さんは 61歳で。
永倉万治さんは(脳溢血の末に)52歳で。

長く生きるため、じゃないのは分かってる。

それでも。

誤解を恐れずに言うんだけれど、
おまじないだ。

強靭な理性の人が、おまじないの人、に、なっていった。

最期には人生、人間というコードを共有していき、病気に苦しみながらだけど、それを快感に換えて死んでったのではないかな。

『坂本龍一と中国の時間』(劉争+片岡大右『群像』2024年 3月号)を読めたことで、坂本さんの、東洋思想との関わりや、加藤周一さんのことにも興味が出てきた(40年の時を経て!)有り難いことです。

本当はそういうのや井筒俊彦やらといった、膨大な書物を読み込んだ上でなきゃ、坂本龍一を語ることなんてできないのかもだけど。

坂本龍一さんが残した音楽や本(言葉)は、
これからゆっくり追っていく、けども。



日記には、これまで健康に無頓着だったことへの反省も明かされていた。

「手遅れだということ。死刑宣告だ。しかし何を見てもこれが最後だと思えて悲しい。バカなものをしたもんだ。恥ずかしさと勇気のなさが命取りになった。俺の人生、終わった」。

また、インタビューでは「それまで健康とか身体とか、ほとんど考えたことがない、野獣のように生きてきたんです。万に一つも疑ってなかった。それを後悔はしましたよ、もちろん。自信過剰になってたなって。だから子供なんかに言うんだけど、何かおかしいなと思ったらすぐ診察に行かないとダメですよね」とも語っていた。

健康に無頓着だったことへの反省も記されていました。

坂本龍一さん 晩年の日記公開「死刑宣告だ」「安楽死を選ぶか」健康への後悔、生への葛藤も

Sponichi  Annex  2024/4/8 16:09
(最終更新 4/8 17:49)より引用



坂本さんご自身が言ってるけど、深刻な病気にかぎって(残念ながら)「発症しないと気づけないシステム」と言わざるを得ないと思っていて。わたしのように糖尿病だったら寛解することができもするが、ガンだと難しいことになったりする。

「健康とか考えずに野獣のように生きてた」要は無茶してたってことだろうけど(多忙に決まってるし)、そのなかでもいろいろあるとは思う、が、例えばわたしはタバコを直感したりする。でもそうだとして、そんなの発症しないと気づけない。絶対に。

その証拠に、スモーカーであるわたしの弟や友人が、これを読んだとしてもピンとこないし絶対に止めない。それはわたしが「添加物」と言われてもピンとこないのと同じ。それぞれの正常性バイアスが、強力にあって。そしてまたこの直感も、全然あてにはならないものである。そういうことなんだと思う。

坂本龍一はわたしにとって、
理性の神様、そして自意識の神様だった。

たしか時間は存在しないって言っていた。
「順番」という物語にも、抗ったと想像する。

苦しみながらも、喜びを味わいながらも、
計画的に「人生」を脱構築した。
そして最後まで「音」を創った。

Ryuichi Sakamoto
12


認識できない
「音」だった。



最後に人間は、難しいことなど言えなくなる。
自意識から解放される瞬間。
坂本龍一さんの、人間宣言とみた。
うつくしいというほか、ない。

坂本龍一さん、関係者の皆様、
本当にありがとうございました。

大好きだった曲で終わります。



追記です。

「うるせえ(笑)。俺は141まで生きるから」

チバユウスケさんの記事も見つけてしまった(切なすぎる😢)


「でも人生なんて、誰にも決めらんないからさ」


「でもさ…なんか子供とか猫とか、見ちゃうしさ」
『音楽と人』2020年11月号


また最後まで読んでいただき、
心より感謝申し上げます。

季節の変わり目でしょうか、
皆様くれぐれもご自愛ください。

いいなと思ったら応援しよう!