[ちょっとしたエッセイ] 僕らは、ちいさな安心のために生きている
仕事柄、深夜にメールが届くことがしばしばある。内容にもよるが、すぐに返信してしまうことが多い。特に、フリーランスの仕事相手には、すぐ返信してあげた方がいい場合が多い。担当者として、一区切りの合図というものがあると、お互いに安心するからだ。
先日、深夜2時に届いた、とあるデザイナーから少し様子の変なメールが届いた。ひと通り依頼している制作物のデザインのことが書かれていたのだが、最後に「今日は星がきれいです」とだけ書かれていた。風呂上がりの暇にそのメールを見たので、とりあえず一言だけ返信しておこうと思い、パソコンを開いた。今一度、最後の一文を読んで、立ち上がり窓を開けて空を見た。すると、ぼんやりと月がいつも以上に大きく見えた。確かに星もその周りを明るく照らしているが、明らかに月の方が存在感は強かった。それを見て、僕はメールの返信をした。
「おつかれさまです。遅くまでありがとうございました。一旦デザインはこちらで引き取って確認しますので、本日はおやすみください。また追ってご連絡いたします。」とまで書いて送ろうと思ったが、星より月がきれいなので、こちらも最後に一文をつけて送ることにした。
「追伸。メールをいただき、外を見ると星もきれいですが、月の存在感に圧倒されました。見る視点が違っておもしろいですね」
すると、すぐに返信があった。
「言われて見ると月の方がきれいですね。私はきれいな星を見ると実家を思い出して、そろそろ地元に帰ろうかなとか思うことがあります」
これはこれでなんだかよからぬ方向へ行きそうな雰囲気が伝わってきたので、なんとか方向転換をする。
「夜遅くまでありがとうございました。週末は、こちらのことはご放念いただき、ゆっくり休んでくださいませ」
少しするとメールが届く。
「関係のない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。こんな夜中に誰かと会話なようなやり取りができてうれしかったです。〇〇さんもよい週末を!」
金曜の深夜のやりとり。僕は、パソコンを閉じて缶ビールを冷蔵庫から取り出した。ベランダに出て、ぼんやりと浮かぶ月を見る。月暈が周辺に明かりを伝播する。こんな明るい夜空を見たのは、久しぶりなような気がする。
先ほどまでのメールのやり取りを思い返しながら、僕自身もなんだかようやく今週の一区切りができたような気がした。この仕事をしていると、フリーランスの仕事をしている人に過度の期待、いや軽視してしまう傾向がある。会社員の土日は、休むことがある程度約束されているし、働くなら上長の許可が必要だ。なのに、自営業の方には、土日に働くことを期待してしまう。こういう差別が今も横行している現実がある。だから、自分が関わる人にはできるだけ、休みに仕事をさせることはしない努力をしている。仮に、仕事をさせてしまう事態があるときは、こちらもそれに寄り添うことが必要だと思っている。だから、仕事を頼んでいるこちらの身としては、ちゃんと終わりの合図を出すことが、お互いの安心につながるのだと思う。進行中の案件では、頼むことがないにしても、金曜日にはこちらから、何もないことを一報入れることが大切だ(あくま個人的なところなのだけど)。
気がついたら、缶ビールの底にはすくいようのない、ちょっとだけのビールがピチャピチャと残っていた。飲み口に口をつけて、どれだけ吸い込んでも、その残ったビールは口に入ってこない。ちょっともったいない気もしたが、諦めて、キッチンで缶をすすいだ。あのデザイナーさんは、もう仕事から解放されたかな? なんて思いながら、ベランダの月を見てみると、雲に隠れて、先ほどまでの明るさは、夜の闇へと消えていた。そろそろ潮時だと思い、僕はまだまだ冷える夜のために、布団に入った。
缶の底に取り残されたビールと同じように、いつも僕らは、ちょっとした「ちいさな安心」を見逃しているのかもしれない。それくらい忙しいし、面倒が嫌いだ。でも、少し時間をかけて、すくって上げることが、僕らの生きる安心へとつながるのかもしれないなと思う。