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宇宙、東京、下北沢のマクドナルド 「ワレ想う故の90年代」vol.05

 先日、ひさしぶりに「下北沢」というワードが会話にあった。

 僕自身、久しくその地を訪れていなかったので、下北沢が頭にインプットされると同時に、いろいろな思い出が駆け巡った。どちからというとしょっちゅう行っていた街ではないけれど、所々で思い出はあった。でもやっぱり学生時代の思い出が多い場所だ。僕的ナンバーワンになるのはなんだろうと思い返してみると、すぐに答えは出た。

 あの日は、夏を前にした少し心が落ち着かない日だった。

 ライブハウスに行ってみたいという、ひとりの女性に恋をしていた。

 僕のいた学校は、結構地方から人が集まる学校で、学生内のトレンドなんかは常にバラバラだった。集団で追いかけるような流行はあまりなく、それぞれがそれぞれの好きなものを追わせてくれる、案外居心地のよい場所だった。でも、遠くからきた人間は東京という場所に多くの不安や期待を持っていて、道案内的な人間が時に必要となる。

 ライブに行ってみたいという彼女のためにと、僕は、できるだけ汚くない、できるだけうるさすぎない、できるだけかっこいいと思うバンドのライブを片っぱしから探していた。 

 もうずいぶんと前の話なので、実際に行ったライブハウスがどこだったか忘れてしまった。ただ、見たのはフィッシュマンズだったことだけは覚えている。当時フィッシュマンズを聴く人なんて身近には多くなかったし、そもそも学校でそんな話をすること自体稀だったので、ちょっとした虚栄心と、おれは少し違うんだぜ的な浅はかな考えから、彼女を誘った。特に異論はなくすんなりと話はまとまったが、場所が下北沢ということだけ、彼女は躊躇した。下北沢は、新宿から小田急線で向かうので、新宿や渋谷や原宿などより行き方は少し難しい。彼女は下北沢は行ったことないようだった。

 まだ今のように地下に潜っていない下北沢。おんぼろの階段を降りると、狭い道にひしめく建物の数々。楽器を背負ったバンドマンやサンダル姿の兄ちゃん、ルーズソックス姿の女子高生などなど、この地にまともな大人は見られなかった。

 夜7時過ぎ、僕らはライブハウスの端にあるスピーカーの近くを陣取って、ステージを眺めた。ミラーボールの煌めきと揺れる空気に酩酊するように僕らはステージを眺めた。ゆらゆらと、体を揺らし、ふと横を見ると、彼女の目はまっすぐを向いていて、照明を反射するように、まぶしかった。柏原譲の異様に高い位置にあるベース、ひょろっとした腕が左右し、鼓動を自在に操っている。茂木欣二のやさしいドラムのビート、たゆたう佐藤伸治の声。見たことのない音楽にただひたすら酔うしかなかった。

 あっという間にライブは終わり、僕らは物販でTシャツを買い、外へ出た

「マジックラブ、マジックラブ」

 フィッシュマンズの楽曲をうれしそうに口ずさむ彼女。この子と一緒にライブを見ている現実がどこか夢のようで、すばらしくて、ナイスチョイスだと自分をほめた。雲が流れる夜空は、いつもよりスピードがはやく、湿った風が僕たちを包んでいた。
 しかし、年端も行かない僕らには、夜の街で自由を謳歌することができなかった。ただただ街中を彷徨う。もう終電も近い時間帯。でも、お互いに帰ろうという話にはならなかった。土地勘もない僕らは、回り回って、本多劇場の前の階段に腰を下ろした。

 傍らに見える小田急線からは、もう電車の音がなくなっていた。

「もう電車ないね」

「なんかさ、フツーにローソンに買い物に来ただけに見えるね、うちら」

 目の前にぶら下げたフィッシュマンズの物販の袋はローソンのロゴをモチーフにしたデザインで、彼女が言うように、僕らは本当にただコンビニまできただけの冴えないカップルのようだった。

 ほどなくして、いつまでもここに座っているわけにもいかないので、移動することにした。僕はこういうシテュエーションについてあまりにも経験がなく、なんとなしに、このままホテルにでも行って…などという下心で何かを期待をしていたが、たむろした挙句、行った先は駅前のマクドナルドだった。赤く煌々と光る看板を見て、少しがっかりした。意思もなくしていればそうなるのは必然だ。

「ねえ、なんで私なんかを誘ったの?」

 コーヒーを飲みながら彼女は言った。なんでと言われて、単純に好きだからとは言いづらかった手前、こういったライブに誘う人がいなかったからだと答えた。

「そうなんだ。ライブっていいね。楽しかったよ」

 彼女はそう言ったが、少しだけ残念そうな表情をしているように見えた。でも僕は目を見て話すことができなかった。
 今好きなバンド、よく聴く曲、好きな雑誌や小説などお互いに言い合いながら、時間が過ぎていく。家族の話になった時、ようやく彼女の本当の姿が少し見えた。
 九州から上京してきたことから始まり、友だちが少ないこと、そして、一番虚を突かれたのは、差別の歴史があることだった。在日三世という彼女は、朝鮮学校にいた頃から少なからず行きづらい人生を歩んできていた。月曜日の朝が、一番悲しい日だと語る彼女は、毎週のように制服を汚されて生きてきたようだった。時には、カッターなどでスカートを切られたという話には、言い表すことのできない感情が湧いてきた。

「別にもういいんだけど、なんだかんだ、今もそういう自分のアイデンティティーが差別されているんじゃないかってどこかで思ってて」

 深夜3時のマクドナルド。人もまばらであった。彼女を支えている人が、この世にどれくらいいるのだろうか。横に座る彼女は、ため息をつきながら、僕の肩によりかかった。

「うそだよ」

 そう言ってこちらを見て笑った。たぶん嘘ではない。

「でも、結局のところ、もとを辿れば同じ兄弟だよ、僕ら」

 咄嗟に出た僕の言葉は、明らかに短絡的でなんの慰めにもならない。

「そうなら、尚更。兄弟はケンカの歴史だよ。カインとアベル的な」

 至って普通に彼女は答えた。

「カインとアベル的な?」

 そう言う僕の言葉に、彼女はこう続けた。

「そう、ラブとヘイト的な」

 その意味を理解するのは、少々時を経てからである。僕なんかよりよっぽど世の中を知っていて、僕なんかよりよっぽど大人だった。広い宇宙の片隅で、僕がこの目でグッと捕まえようとしても、誰もが知らん顔をして、毎日、毎夜、ただただ過ぎ去っていくだけだ。
 僕の日常に、なにかを運んできた彼女は、まさしくいかれたBabyで、いつだって思い出すのは君の笑顔だった。

「じゃあね」

 下北沢の階段で、別れた午前5時。僕らは手を振って別れた。
 電車を待つホームで、もっと彼女に気の利いた言葉を伝えてあげられたのかもしれないと、少し後悔した。でも、果たしてそれを彼女を望んでいたのだろうかということも同時によぎった。
 ちょっとだけ差別とはなんだろうと考えた。単純に嫌いな人間なら僕にもいる。ただそれは個に対する感情だ。差別のそれとは違うんだと思った。これまでの人生で僕自身差別を受けたことはない、はず。ただ、ひとつだけ、その時に思い出したことがひとつあった。幼い頃に通っていた教会で、韓国人の親子が、いつも手を合わせ祈っていた姿だった。その脳裏に映る姿が少しだけ彼女とリンクした。

 なんとなく暮らしてきて、これからもなんとなしに生きていくはずだったのに、大事なことがあると教えてくれた。これは天からの贈りものだ。大好きだったあの子と過ごした夜、想像を越えて僕は彼女の強さにただただ見惚れてしまった。

 あの夜、あの下北沢は、まさしく魔法の夜だった。

 令和の現在、彼女は中国で翻訳の仕事をしていて、2児の母らしい。僕からしたら異国と映る場所でも、彼女にとっては広義にただの生活圏なのだ。強く生きている。


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