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[ちょっとした物語] 雨上がり、遠回りの夏

 外へ出ると、まだ日差しは強く、晴れと一言で表現するには、少し複雑さが織り混ざっている。1日も後半戦なのだから、夜の帳が降りる前に、日差しくらい抑えてくれればいいのにと、ため息が出た。
 少し、人通りから離れる頃、夕立ちが僕の行方を阻んだ。近くのシャッターの降りた商店の軒に逃げ込む。雨はザーッと勢いよく降り始めたが、空の奥には青空が見えた。少しすればきっと止むだろう。そう思い、ポケットからスマートフォンを取り出して、アプリで雨の動きを観察した。向こう20分くらいは雨が続きそうだ。やれやれと思いながら、空を見上げる。鬱蒼と広がる灰色の雲。空の奥に見える青空は、この雨を恵みと捉えよと言っているように見えた。再度、スマートフォンの画面を見ると、まもなく雨が止みそうながわかる。その後に待っているのは、あの青空かと思った。しかし、まだ目の前には、縦に降り続く雨。手持ち無沙汰を持て余していると、暖簾を分けるように雨の隙間から人が入ってきた。
「はぁはぁ」と、息が上がっているのか、ため息まじっているのかわからないが、表情は暗い。たぶん、急に振られて少し機嫌が悪いのだろう。
 
 これは、きっとスコールのようなものだ。日本にいるとあまり経験することはないが、東南アジアの地域では、午後の時間帯には1日に何度もスコールが降る。長くても10〜20分程度。みんな諦めて、軒先で談笑したり、屋台に入ってお茶をしたりする。日常に降り出す雨に対して、当然の出来事で、それにいちいち呆れることもない。息も落ち着いた彼は、スーツを身にまとい、手で肩らへんに受けた雨を払っている。軒の外を見ながら、小さくため息をつく。屋根に当たる雨粒の音が、ボツボツと聞こえた。目の前の雨は、ザーザーと降り続いているのに、屋根に当たる音はなぜ大粒のボツ、ボツという音なのだろう。赤いビニール仕立ての屋根は、日中の光が透けて見える。ふと、目を地面の方へ向けると長細い缶の灰皿が、やつれた姿で立っていた。灰に汚れたそのいくつもの穴に、いく本ほどのタバコが落とされていったのだろうか。
 すると、スーツ姿の男性は、こちらに向かって、会釈をして、「あの、タバコ吸ってもいいですか」と言った。僕は、笑顔でうなずいて、ポケットからマールボロの箱を取って見せる。安心したような顔をした彼は、胸のポケットからくしゃくしゃになったアメリカンスピリッツのソフトケースを取り出して、器用に1本取り出した。僕も、マールボロの箱から1本取り出すと、彼はライターをこちらに向けて、目を合わせる。僕は感謝の会釈をして、タバコを咥えて火に近づけた。ジジジっと赤く灯ると、彼は自分のタバコにも火をつけた。

「雨、止まないですね」お互いに、空を見ながら、ため息に似た息を空に向かって吐き出した。
「どうですかね。夕立ちだから、すぐ止むでしょうけど」
「お仕事の途中ですか」。僕が尋ねると、彼は首を振って、「仕事は早めに終わって帰る途中なんですよ」フーッと息を吐きながら言った。「じゃあ、何かこの後、用事でも?」と僕が尋ねると、彼はうなずいた。雨は弱まることを知らないように、さっきまでと同じように、勢いよく降り続いている。あたりも人の影はなくなり、みんなきっとこの雨に諦めていることだろう。
「今日、娘の誕生日なんですよ」そう言って、彼は手にぶら下げたおもちゃ屋の紙袋を持ち上げた。「あー、それは参りましたね」。彼は、また空を見上げた。紙袋は、雨で濡れてだらしなく波打っていた。
「タバコの匂いが嫌いなんで、午後は吸わないようにいつもしているんですけどね」。その言葉からは、少し諦めのような感情がにじんでいた。僕は少し同情した。「こう足止めされちゃ、あなたのためにも1服は大事ですよ。たぶん」。彼は笑ってうなずいた。遠くで救急車のサイレンが、雨のざわめきに混じって、聞こえてくる。時計を見ると17時半を回っている。この5月を超えると一気に日が延びる。少し前までは、暗くて、もう早く家に帰りたくなる時間帯だったはずだ。まだ昼の延長のように、いつまでも人の心を疲弊させる。
「少し、弱まってきたかな」横で彼は言った。僕が目の前の雨を見ると、そう先ほどとは変わっていないように見えたが、スマホで雨雲予報を見てみると、まもなく雨雲は過ぎ去るだろう。予報をよりやや遅れているが、確かに雨は過ぎ去る。
「メキシコの有名な言葉知ってますか?」と僕は尋ねた。すると彼はきょとんとした顔でこちらを見て、「いえ、知りません」と答える。片手でスマホでメッセージを送っている。
「きっとこの雨で足止めされていることは、ご家族はわかっていますよ」。彼は少し笑顔でメッセージを送る。
「そうですよね。でもせっかく会社早退してきたのに…」それは気の毒だ。サラリーマンの早退は、ある種の呪いのようなものだ。
「で、メキシコの有名な言葉って?」
「あ、『ヒーローは遅れてやってくる』って言葉がありまして、メキシコってプロレスが国技ってくらい人気なんですよ。それで、メインの試合なんかはヒーローとヒールみたいな対立があって、最初に出てくるヒール役が暴れ回るわけです。おいおい、とみんな目を覆って見ていると、そこにヒーローが遅れてやってきて、悪役を倒すという勧善懲悪の形が成立する。だから、メキシコではそう言うらしいです」
「ヒーローの形ですか。戦隊モノとかもそうですね」笑いながら、彼は頷く。
「とにかくちょっと遅れていった方が、よいこともありますよ」。僕は、ポケットからガムを取り出して彼に差し出した。
 気がつけば、空のもうすぐそこまで青空が出てきている。彼は、それを見て決心がついたように、じゃあと言って、まだ降る雨の中、青空の方向へ向かって走っていった。
 僕は、もうしばらく雨が止むまで待っていよう。ポケットからマールボロの箱を取り出して、1本取り出した。火をつけて、ひと吸いすると、雨がさーっと止んで、日が差した。ひんやりとした後に蒸し暑さが混じった空気が、地面か湧き上がってくる。季節は変わってきている。そう思いながら、吸い込んだタバコの煙を空に向かって、吐き出した。

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