時間を道具的に使うことについて
最近Four Thousand Weeksという本を読んでいます。
最近日本語版が出ていて、せっかくなら原著で読もうと思い、英語の方を読んでいます。
人が80歳まで生きるとして、その人の人生は4000週間しかありませんよ、という内容です。
そこで出てくる話の中で、「時間を道具的に使う」というものがあります。
これは「今」という時間を「今」のために使うのではなく、将来のために使うということです。
将来のために働く
将来のために勉強する
これは一見ふつうのことのように感じられます。
今を犠牲にして未来のために努力する、というのは当たり前になっている人も多いのではと思います。
僕もその一人です。
空き時間があったら、勉強しないと
電車に乗ったらスマホなんて見てないで、本を読まないと
常に時間を有効に使わないと
そんな強迫観念にも似たような感情が、気づくと自分をつきまとっています。
将来のため
将来のため
将来のため
こんなことを基準に、日々のあらゆることを選択していたら人生つまらない
そう気づかせてもらえました。
でも実行に移そうとすると、これがなかなか難しいんですね。
以前こんな記事を堂々と書いたくせに、ふと気づくとまた未来思考になってしまっています。
「嫌われる勇気」を読んで、今をダンスするように生きよう
「仕事なんか生きがいにするな」を読んで、今を遊びながら生きよう
そんなふうに決意したにも関わらず、また忘れてしまう。
今を生きる、ということにも練習が必要なのかもしれません。
僕の場合、具体的には以下のことを実行しようと思います。
休みの日は仕事に関わることはしない
小説を読む
興味本位で語学をする
子供と遊ぶときはそのことだけに集中する
皆さんは「今」を生きれていますか?
そもそも「今」を生きれている人は、自分は「今」を生きれているのだろうか、なんて考えないのでしょうね。
目の前のことに没頭する
そんなふうに生きていきたいと思った今日この頃です。
おしまい