60年代ごろの日本におけるフォークソングの扱い (中村とうよう論③)
③60年代ごろの日本におけるフォークソングの扱い
今回の論考は中村とうよう論ではあるが、やや脇道にそれて、60年代ごろの日本におけるフォークがどのような印象を持たれていたかについて考える。
日本のフォークの印象を、筆者の思いつくままに挙げるとするなら、反体制、長髪、ヒッピー、などがある。しかし60年代にフォークが日本に紹介されだしたころのイメージはやや異なっていたといえるだろう。
63年ごろからフォークは日本で流行しだすが、そのブームの最盛期は65年から66年ごろにかけてである。65年には、ビートルズやヴェンチャーズのような「エレキ」が大流行し、社会問題となる。日本においてフォークはこの「エレキ」と競合する形でブームとなったのである。
その後の反体制的な性格をもった関西フォークの流れなどの印象が強いためやや意外であるが、60年代中頃までの日本のフォークは「インテリ学生」向けの「スカッといかした」音楽であった。
『ポップス』65年10月号には、特集として「リヴァプールとフォークの対決!」が組まれている。
藤井によればフォークは、どちらかというと「インテリ」の若者に人気の音楽であったようだ。「一般にエリート意識に燃え、ビート族を蔑視する傾向さえ見える」とあり、フォークソングを好むということは、「エレキ」などを好む層との差別化という側面を含んでいたことが読み取れる。
https://music.apple.com/jp/album/elvis-presley/671019373
また、この時期に中村もフォークソングを好む若者に、やや媚びているといってもいいような文章を書いている。
フォークソングを好む若者たちを「ハイ・センスなヤング・メン」と表現し、フォーク・ソングは「スカッといかしたフンイキ」を持っていて、「健康な人間を育てあげる効き目があります」と、教育的意義さえほのめかしている。当時は、エレキが社会問題として大きく取りざたされた時代でもあり、各地の教育委員会などが小中学生にエレキ禁止令をだしていた。中村は、エレキとの差別化を図るためにこのような文章を書いたのではないかとも読める。
https://music.apple.com/jp/album/song-book/751686720
このロックとの差別化は、単に言説上でのみ行われたことではなく、レコードの販売戦略そのものの違いでもあった。田中のいうようにレコード会社は「貧乏少年少女向けにドーナツ盤でロックンロール」を、「富裕層のフォーク・ファンには高額のLPレコード」を売っっていったのである。(田中勝則『中村とうよう 音楽評論家の時代』二見書房、2017年、125頁)
中村とうようも1966年に、それまでのフォーク研究の集大成ともいえる『フォークソングのすべて』東亜音楽社を三橋一夫と三井徹との共著によって出版している。次回このやや学問的性格の強い書籍について紹介したい。
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