不規則な職務条件の下で【海外就職への道34】

こんにちは。マニラからお届けします。
今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できない中での多忙な仕事により、適応障害と診断されてしまったことについてお話しします。

***

ストレス耐性は弱いと思っていたものの、適応障害と診断されたことはとてもショックでした。医師からは、フィリピンに行ければ治ると思うから今は辛抱、と言われ、弱めの精神安定剤を処方された程度で、今すぐにできる対処法はありませんでした。

翌日、日本側の上司に現状を報告しました。実は、これだけ長く働いても自分の勤務実績では何ヶ月間か残業ゼロが続いていました。この数ヶ月前にフィリピン側の上司から、残業ゼロとして記録を付けるように言われており、無批判に従ったからです。当然上司には僕の勤務状態が見えていなく、その予兆すら気づかない状態でした。

思えば、入社以降の勤務状態はとても不規則でした。僕は日本側の契約社員で、上司も日本側の社員。しかし、業務はフィリピン側のグループに入り、フィリピン側の上司に指示を受けながらフィリピン側のメンバーと共に行います。勤務実績は、フィリピン側は口頭での報告のみで、実績の提出はないし、監督責任もありません。つまり、フィリピン側の上司に何を指示されようが、日本側にいる以上、日本側のルールに則る必要がありました。

心療内科の医師からは、この点について指摘され、初めてこれが異常であることに気づきました。職務上の上司と業務上の上司が異なる話は、よくある事例として知ってはいたものの、それはあくまで同一法人内での話。日本側とフィリピン側は法人が異なるため、この時の勤務内容は法人を超えた先の上司からの指示を受けた状態でした。以前いた会社で、請負元企業が請負先社員に直接指示を与えてはいけない、という規則を固く守るように言われており、それが今回も当てはまっていたことに今まで全く気づきませんでした。

大きな問題になる前に、上司からフィリピン側に現状を伝えてもらい、業務内容の抜本的な改善をすることになりました。そもそもフィリピン側に、そういった困難を押し付ける習慣があったので、その点は日本側から注意をしてもらうことになりました。

***

その日を境に業務量の大幅削減が行われました。この時、自分の中で何か緊張の糸が切れた感覚があり、現状を変えたい気持ちが強く芽生えました。未申請の残業分に関して、日本側の上司からは無かったことにされたものの、自らHRに持ち寄って勤務実績を全て正確に報告し、差額分の残業代を申請しました。今まで毎日出勤時と退勤時にプロジェクトの勤怠システムを使っており、日々その時刻に自分宛にメールが届くようになっていたので、十分な証拠として使うことができました。後から知りましたが、その勤怠システムは1年も前に無効になっていたそうですが、今回そのような目的で使うことが出来たので、続けていて良かったと思いました。

***

そして状況が改善された頃、ひとつの連絡が入ります。

この続きはまた明日。では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?