「無い物ねだり」との向き合い方
「無い物ねだり」「隣の芝は青い」
自分の持っていないものを欲しがることは誰しもがあるでしょう。他人の所有物、地位、名誉に憧れる感情はごくごく普通のものだと思います。
けれど、それを憧れに留めず、自分なりに手に入れていきたい気持ちもあるでしょう。人は皆、誰かに憧れ、そして何かを獲得した姿になろうとすることが一つモチベーションになるものです。
もちろん強奪してはいけません。対象物にもよるけれど、この「自分なり」という着地点が案外難しかったりすると思います。
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僕は生まれも育ちも東京都世田谷区です。
どうやら生まれた病院は、当時母方の祖父母が住んでいた神奈川県大和市らしいけれど、退院してすぐに東京の自宅に住んだため、これはほぼ東京と言っていいと思っています。むしろ敢えて病院のことなど言ったところで、意味がないと思っています。
世田谷は、今や日本の市町村の中でも上位層に位置する「ブランディングに成功した自治体」と言えるでしょう。人々の間で、都心に近い閑静な高級住宅街のイメージがつき、誰しもが「金持ち」と口をそろえます。
実際僕は中流階級の家庭で育ったから、世田谷という超限定的なヒエラルキーの中では下層に位置しています。ただ、そんなことはどう伝えたところで人々には響きません。
とはいえ、自宅から渋谷までドアtoドアで30分という、とても便利な場所で20年以上を過ごしました。
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傍から見たら「憧れの世田谷暮らし」(なお本人はそういった傲りは微塵もない)で育った僕にも劣等感はあります。
東京で生まれ育ったため、地方出身の人の気持ちがわからないということです。
僕は「帰省」に対するとてつもない憧れがあります。
大学生になってから、休みのタイミングで地元に帰る友達を羨ましいと思っていました。僕は実家で生活していて、単純に同じ歳ながら一人暮らしをして、一人で生きていけている人に憧れていたし、「地元」という概念そのものにも憧れました。
東京、そして世田谷は僕にとっての「地元」ではあるけれど、地方出身の人が言う「地元」に比べると、どこか薄くて味気ないものに見えます。
また、僕は中学受験をして、都心の私立中学校に通い始めたため、今では地元の友達なんてほぼいません。
だから、一般的に言われるような「地元」を持っていません。
それが長らくひとつの大きな劣等感として、僕の心の中に存在していました。
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僕は今ジョージアという国にいます。7月に来たため、もう4ヶ月は経過しました。ここに来る前は、1月から半年間フィリピンにいました。
ずっと抱えていた劣等感を、僕は今「海外滞在」という形で補おうとしています。地方出身の人たちが言う「上京」を、僕は「海外移住」に置き換え、行動に起こしました。
海外で生活している僕にとっての「地元」は、紛れもなく東京です。海外にいることで、世田谷という限定的な地域を見るのではなく、東京という広い地域を「地元」と考えられるようになりました。そして、そこにはかつて自分が抱いていた「地元」への憧れを体現できる世界がありました。
今ではもう、かつてのもやもやした感情はありません。
冒頭で挙げたように「無い物ねだり」を「自分なり」の着地点で収めることで、ひとつ自分の立場に納得できるし、自尊心は上がっていくと思います。
この考え方は最初から全てをわかっていたわけではなく、今振り返るとそうだった、という結果論です。でも、そういった葛藤や行動を経て、よりなりたい自分になれているなら、それはとても良いことだと思います。
僕が全てを満足した時が、再び日本で生活する時なのかもしれません。まだまだ海外生活は続いていきます。
僕のことは以下の記事で紹介しています。
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それでは、また明日お会いしましょう!
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