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再び見えた光【海外就職への道35】

こんにちは。マニラからお届けします。
今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できない中での多忙な仕事により、適応障害と診断されてしまったことについてお話しします。

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2020年11月、日々の激務から心身ともに疲れ切ってしまい、心療内科で適応障害と診断されてしまいました。自分の中で現状を変えたい気持ちが強くなり、すぐに日本側の上司やフィリピン側に掛け合い、業務量を大幅に減らしてもらいました。勤務時間は7時から夕方4時の8時間を守ることになり、次第に状況は良くなっていきました。結局、仕事は休めなかったものの、病院へは3回の通院で終わり、薬の服用も終わりました。原因はこれだけではなかったので、まだ完全には復活していなかったものの、なんとか今までの元気を取り戻せるレベルにはなっていきました。

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そんなタイミングで、再びフィリピンへの渡航の話が持ち上がりました。今度は、今までとは違い、あらかじめいくつか書類を用意され、具体的なスケジュールなども提示されました。予定の渡航日は1月上旬。年明け早々にフィリピンに渡航するスケジュールで準備を進めることになりました。徐々に世界中で飛行機が飛び始めていたものの、フィリピンのような島国に入国するには隔離が必須となっていたため、隔離のための期間を設けることになりました。

いよいよ身の回りの準備を始まることにします。まずは荷物の整理から始めました。1年以上滞在した実家の部屋には既に荷物が溢れかえっていました。僕がこの家を出た後、この部屋を妹に譲ることが決まっていたため、自分の荷物は数箱の段ボールに収まる程度にする必要がありました。幸い、沖縄に2ヶ月滞在していたことで、何が必要で何が必要でないのか区別がつくようになっており、最近使っていなかったような物から思い出の品まで、夢中で捨てていきました。特に書籍が多くあり、メルカリなどで売りに出しつつ、売れないようなものはゴミ袋へ出していき、毎週末、時間を見つけては物を減らす作業に入っていました。

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渡航に関する書類の申請など、今回は全てオンラインでできることになり、とても便利な時代になったと感じました。大使館へも行かず、役所へも行かず、スキャンこそあれ、全てパソコンひとつで完結するため、とても簡単に行うことができました。フィリピン側の人事とも何度かミーティングを交わしていき、特に僕の仕事がまだ忙しかった頃は、深夜11時からミーティングをセットしてもらうなど、いろいろとお世話になりながら、手続きを進めていきました。

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徐々に冬の寒さを感じていきながら、年明けの渡航に向けて動き出していきます。長かった自宅待機もやっと終わりの光が見えてきました。

この続きはまた明日。では。

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