ワイルド教育
「ニンジャー!ヤー!」
小さな金髪のニンジャが容赦なく木の棒を振り回しながら突っ込んでくる。流石に反撃するわけにもいかず防戦一方。しかし、キアヌは冷酷なまでの殺気を僕に向けて、縦横無尽に足元への攻撃を繰り出してくる。全ての攻撃を防ぎきることは不可能。結局、僕は一方的にしたたか打ち据えられる。そんな哀れな僕の姿を尻目に、柵の向こうの羊やアルパカ、アヒルたちはいつも通りの知らんぷりを決め込んでいる。(まーた人間は意味もなく戦ったりして、本当にバカな生き物だなぁ)とでも言いたげに、のほほんと平和を享受している。
キアヌのお気に入りの遊びは忍者ごっこだった。暇さえあれば「ニンジャー」と8歳児なりの精一杯の低い声で叫びながら襲いかかってくるのだ。
しかし、今日はいつも以上にひどくやられている。…なんとかしなければ。さりげなく良い武器を横目で見つけ、苦し紛れに後退しているふりをしながら、なんとかそこへ辿り着き、起死回生とばかりに素早く持ち変える。するとキアヌが剣を下ろし絶叫する。
「その棒は長すぎるからずるい!こっちを使って!」
キアヌは短く腐りかけて、いかにも柔らかそうな棒を拾い、僕に突き出してくる。「ハイッ!」それを渋々受け取った瞬間、また猛攻を受け、僕の命運は尽きた。哀れ腐った木の棒は、無惨にも砕け散る。
「やった!ぼくの勝ちね!」
キアヌは肩で息をしながら、一見嬉しそうだが目は笑っていない。その本気の目を見た瞬間、何か心の琴線に触れるものがあった。これだけ反撃も封じられ、理不尽にやられて、痣だらけになり、勝利など論外であるにも関わらず、尚も負けを認めたくない感情が湧き上がってくる。
「はっはっは!それはどうかな!」
と言った瞬間、キアヌはぞわっと殺気立ち、めちゃくちゃに打ち込んでくる。やはり僕になす術はなく、全身に痛みが走り、無情にも痣が増えてゆく。
「まいった!わかった!降参だ!」
可笑しくなってきて、笑いながら芝生に倒れ込むと、キアヌも呼吸を荒げて横に突っ伏した。
空が広い。青い空に浮かぶ雲が、ゆっくりと形を変えながら流されてゆく。穏やかな風が、木の葉をサラサラと揺らし、汗をかいた額をひやりと撫でてゆく。
不意にキアヌがむくりと起き上がる。
「次は松明ごっこやろう!」
キアヌに促されて立ち上がり、後を着いていく。しばらく歩き、納屋の前で立ち止まる。
「今から松明の作り方を教えるね!」
キアヌの指示通りに、長い頑丈そうな木の棒を見つけ、納屋の中に持ちかえる。キアヌから新聞紙を渡され、それを細長く折りたたみ、棒の先端に限界まで硬く巻きつけて、針金でぐるぐる巻きに固定する。キアヌの指示で何かをするのは慣れたものだ。
「よし!あとは灯油だ!」
そう言ってキアヌが灯油の容器を持ち上げると、ガランと軽い音がする。容器は空のようだ。
「うーん。お父さんに灯油のストックがあるか聞くしかないね」
そう言うと、キアヌは外に出てバギーにまたがる。僕はその後ろに乗り込んで、農道を疾走する。家の敷地から離れてしばらく走ると、広い畑が見えてくる。近づくと、その畑の奥の方にトラクターがゆっくり動いている。
「いた!」キアヌはバギーを止めて飛び降り、耕されたばかりでフカフカの畑を歩いて行く。真正面から近づく僕らに気がついて、お父さんはトラクターを止めてエンジンを切る。高い運転席の扉を開き、梯子のように降りてくる。お父さんは大柄でスキンヘッド。40代だろう。造船エンジニアをやりながら、牧場を運営している。大きく包み込まれるような、力強くも優しい表情が印象的だ。こちらに歩きながら大声で訪ねてくる。
「どうした?何かあったか?」
キアヌも大声で返す。
「倉庫の灯油が切れてるんだ!新しいのはどこ?」
お父さんがどんどん近づいてきて、微笑みながらキアヌの目をじっと見て尋ねる。
「何に使うんだ」
キアヌはまっすぐに答える。
「松明に使うんだよ」
「そうか」
お父さんが注意深くキアヌの目を覗き込んで言った。
「いいか。灯油はあっちの倉庫に中にある。だけど近くにガソリンもある。絶対にガソリンは使うんじゃないぞ。タンクが違うからな。どのタンクか覚えてるかい」
微笑んではいるが、口調は真剣だ。
「赤くて大きいタンクだよ!」キアヌが答えると、お父さんは頷いて、僕の方を向いて語りかける。
「昔、キアヌがハリウッド映画に憧れてな、ハリウッド映画ごっこをやったんだ。農道にガソリンを数十メートルまいて、火のついたライターを投げ込んだんだよ。よくあるだろ?炎が走って行って向こうで車とかが爆発するやつさ。その時には農道の向こうに古いバイクを置いたんだけどな。そうしたら…、ボンッ!大爆発だ!火が走っていくどころか、いきなり火の海だよ。やっぱり映画はフィクションなんだな!さすがのこいつも俺の後ろに隠れてたよ!なぁ、キアヌ!あんなにやりたがってたのに恐かったのか?はっはっは!」
お父さんは、またすぐに真面目な顔になって続ける。
「キアヌ、ガソリンの恐さは知ってるよな。絶対に間違うなよ。ケント、ちゃんと見てやってくれよ。頼んだぞ」彼は僕に聞かせるためにさりげなくキアヌに灯油のボトルの特徴を答えさせたのだろう。
キアヌはそれを感じ取ったのか、遮るように「わかってるよ」と言うと、畑の近くの倉庫に向かう。
倉庫の中に入り、キアヌは言われた通りのタンクを引っ張り出し、灯油をボウルのような容器に少し出して松明を浸す。
「はい!じゃあ火をつけて!」
若干緊張しながら、キアヌが持っている松明の先端にライターの火を近づける。キアヌの向こうでは、いつの間にかお父さんが見守っている。松明に火が緩やかに燃え移る。
「できたー!ニンジャー!」
火のついた松明を僕に打ち込むようなふりをする。
「それだけは勘弁してくれ!」
僕とキアヌは大笑い。
いつの間にか日が傾いて、あたりは薄暗くなってきた。そこに揺らめく松明の火とそれに照らされて浮かび上がるあどけない顔。無邪気に松明を振り回すキアヌの向こうには、お父さんが優しく微笑んでいる。なぜキアヌが8歳にして、これほどまでに堂々と責任感を持って振る舞えるのかが分かった気がする。
このお父さんは息子に対して、一人前の男として接していた。キアヌにとって圧倒的な『信頼』と『愛情』を感じられる環境だった。家族の一員として信頼され、期待されて、実際に重要な仕事を教えられて任される。家族も本当に必要な仕事を任せるからこそ、それを担うキアヌに本当に感謝する。子供扱いをして何か仕事をでっち上げて、内容に関係なく褒めるのとはまったく違う。そのリアルな責任と感謝によって、彼は家族の役に立つことに喜びとやりがいを感じているのだ。
彼はここで一人前として信頼されて、『大きな自由』とそれに伴う『大きな責任』を与えられていた。だからこそ、彼は自分のやるべき仕事は進んで当たり前のようにこなした。その上で自由を謳歌し、面白い事を見つけては本気で遊んだ。
キアヌは川でも草むらでも、動物の糞があろうと、怪我をしようと、ほとんど靴を履かない。恐ろしくワイルドで、とてもしっかりしていた。
そんな先輩に教わりながら仕事をして、色々な遊びをする日々の中で常識を破壊され、枠を広げられ、多くのことを学ぶことができた。
そして、僕がいつか父親になった時には、子供にどう接するべきか。初めて本気で考えたのだった。
安全は大切だ。しかし、安全も過ぎれば危険から学ぶ機会を失い、危険を冒して何かを成し遂げる自由と責任を負うこともできず、一人前の人間として現実世界とまっすぐに対峙することが出来なくなってしまう。覚悟して信頼すること。いつかその時には、大きな試練になりそうだ。
そしてまずは、自分で自分をどう育てるか。
旅は始まったばかりなのだ。
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