記事を書いている人がどういう人か今までを振り返ってみて
記事を書いている人がどういう人なのか、書いていきます
幼稚園時代
幼稚園時代は寡黙な子
泥遊びと図工が好き
楽器が弾けず
友達は少な目
給食の好き嫌い多過ぎ。よく泣いていた
小学生時代
小学校時代は活発な肥満児(MAX68kg)
図工と算数が好き
国語がわからない
漢字は得意
挙手して発言できない
黒板の内容は理解できるけど、
先生の話はあまり聞いてないし、頭に入ってこない
宿題はほとんど授業中にやってた。
話を聞くより自分で勝手にさっさとやっていく
テストは毎回ほぼ満点
掃除中はほうきを振り回し、ぞうきんを投げ、友達と遊び
廊下は走る子どもだった
当然、先生に見つかれば叱られていた。(笑)
授業中以外が大変活発な子供でした
休み時間はよくしゃべる、友達と取っ組み合い
外で遊ぶ、図書館で本を読む
友達は多いが、突然嫌われたり、突然仲良くなったり
波が激しい状態だった
(後に今かかっている病院の先生に、しゃべりすぎや、直ぐに手が出てしまう衝動性が原因かもしれないねと言われる。)
中学生時代
宿題の習慣がないから成績がた落ち
今までにとったことのないテストの結果。点数
愕然とした。親にも叱られた
塾にいれられて(いれてもらって)なんとかできるようになっていった
ただ、指導が厳しく、泣きながら無理やり通っていた…
塾に行っても
数学わからない
英語わからない
国語わかんない
ただし、
社会得意
理科得意
になって、何とか成績は保っていた。
中学3年生の時、勉強は独学に変更し
何とか、苦手な英語、数学、国語を平均点上まであげて
なんとか県内の自称進学校に進学
好きな科目は得意、嫌いな科目は苦手
両極端だった。なぜならやりたくないことはやりたくなかったから
苦手なこと、嫌いなことには集中力が皆無
部活は野球部だったが、膝を痛めたことに加え、
デブだったのでやめてしまった
友人関係は小学校時代と同じで、
突然嫌われ、突然友達になりを繰り返していた。
一体どういうことなんだろう??なぜなのだろうか?
今の自分でもよくわからない。
中学2年の時ダイエットに目覚め
体重が70kg から56kgまで痩せる
掃除中は相変わらず遊び、叱られていた
廊下も走りよく怒られた (笑)
高校時代
当時の夢は製薬会社の社員になること。
その為には旧帝大の薬学部に行かなければならないと信じて疑わない。
視野がとても狭かった
高校に入ってから勉強は頑張っていた
しかし、結果に結びつかない
数学はいまいち
英語いまいち
この2科目にはとても苦しむ
化学は得意に、物理は苦手
なぜ、成績が上がらないのだろう??当時は本当に悩んでいた。
今思えば、やり方がまずかったんだろう….
継続性がなさすぎた
人間関係は良好
ついにいじめらしいいじめもなくなり、とても楽しんでいたが
友人にはよく、
「お前おかしいよ、やばすぎ」
などと言われていた。
よくしゃべり、いじられキャラだったのでこれはこれでよかった
高校3年になり大学受験が迫る
成績は旧帝大にぎりぎり行けるかどうかだった
センター試験は学年1位になり、意気揚々と名古屋大学の工学部に出願
大学院で有機化学を学んで製薬会社に行くんや!!!!!!!
と、このときには考えていた。
しかし、受験に失敗
併願の同志社大学にも落ち
浪人決定。無念
浪人生時代
独学でやるという不必要なこだわりを見せ
成績が上がらず失敗
2浪目は河合塾に行き勉強に励むもまたもや失敗
無茶苦茶泣いていた思い出がある。
なぜ、うまくいかないんだと考えていた。
3浪目、薬の道は諦め文転。しかし、うまくいかず失敗
名古屋大学に落ちる。ただこの時はまだ妙なこだわりを持っている。
4浪目さすがに親も、自分も厳しい。志望校を下げればいいのに、下げることをしない。こだわりが爆発。結果、ギリギリいいところまで行くも、うまくいかず失敗。またもや落ちる
5浪目志望校を下げ、何とか滋賀大学に入学
最初からそうしろと今になれば思うが、こだわりが強すぎた。
行きたい大学に行きたかった。
ただ今思えば、要領悪すぎ、集中力なさすぎこれに気付くべきだった。当時は自分の怠けに理由があると考えていた。しかし、こんな状況になるのであれば、他の可能性を検討する必要があった。
だが、この時まだ発達障害という概念すら自分は知らない。
それゆえとんでもない、時間とお金を使ってしまった。
親には本当に申し訳ないことをしてしまった…
国立大学に行けたのが幸いではあった。
大学生時代
年齢を重ねてしまったので友人ができるか不安であったが、いろいろな人に声をかけまくっていたら勝手に友達が増えていた。
大学は特定のグループなどなく、主体性があればどうにでもなるというのが印象として残っている。
履修した講義はほとんど落とすことなく、3年前期までにほとんど取り終えていたと思う。
我ながらよく頑張っていたと思うし、いい友人にも恵まれた。
ただゼミの活動は厳しく、輪読の時間や、卒論制作作業はとても緊張した。
教授が優しくも、指導が厳しい人であり毎回緊張していた。
口頭で説明されるため、それもまた苦労した。話を聞いてもなかなかわからないのだ。そういった状況でもわかったふりをして何とか進め、完成させた。(結果は優だったのでよかった)
自動車免許を取ったのが4回生の時なのだが、大変苦労した。
曲がれないのである。ハンドルを切るとき、どこを見ていればよいのか全く分からなかった。
しかも、教官が怖いのなんのって。テンパって癇癪も起こしたりしてたいへんでした。
加えて運転教習中なぜか僕ずっとしゃべってました。なぜだか
わからないけど
学生生活の数倍くるしかった。
もう二度とやりたくないです。
就職活動は、年齢を重ねているので、いろいろな会社を片っ端から応募していました。ただでさえ、不利な状況でした。それゆえやるしかありませんでした。結果的に東証一部上場企業(現プライム)に入社することになりましたが、正直入社したい会社ではなかったです。しかし、そこだけしか内定がもらえなかったため、ここで頑張るぞという決意とともに入社を決めたのでした。
大学4回生の時は忙しすぎたためか、休める状況になく、おまけに不安が止まらなくなり、メンタルクリニックに初めて行った時でした。診察の結果、全般性不安障害といわれてしまったことを思い出します。これが僕と精神科、心療内科との出会いになります。当時は抗不安薬をがぶ飲みして日々を何とか乗り切っていたという状況でした。