ニーチェのパースペクティブ理論。考えに柔軟性を手に入れる
パースペクティブの意味は「視点・見通し」を表しています。また、「考え方」という意味でも使われます。さらに、パースペクティブは「遠近法」という意味も持ちます。遠近法は実際の目で見る世界と同じように見せるための技法であり、近くのものを大きく、遠くのものを小さく描く方法を指します。
この言葉はいろいろな場面で使われています
ビジネス分野
芸術
哲学、学問 など
この言葉は、視点や見方を表現する言葉として広く使われており、それぞれの分野で異なった意味を持っています。ビジネスシーンや学問分野でのパースペクティブは、新たな視点や広い視野を持つことにつながり、より違ったものが見えてくるかもしれません
ここからは僕が影響を受けた哲学分野においてのパースペクティブについて書いていきます
学校生活を思い浮かべてみてください。先生がこちらに向かって授業、講義をしているとき場面です。
客観的に示すこと、説明することを繰り返し口にされるのを聞いたことはないでしょうか??
学校では「物事を客観的な視点で考えなさい」と教えます。
つまり、自分の視点を離れて、「誰もがそう考えるように考えろ」というわけです。
最初は具体的なことだけを考えていても徐々に客観性を伴ったことが説明が重要視されていきます。誰もがそう考えるであろう普遍性、一般性が重要になっていくわけです。
哲学者ニーチェは、すべての認識は「パースペクティブ」に基づくと言います。
これは非常に大事な考え方です。
世界は認識する者の視点により成り立っている
ニーチェは言います。
『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけであると』
人問は目や月や鼻などの感覚器官を使って世界を認識しています。
感覚刺激が脳内でイメージに転換され、さらに言語に転換される。それが概念になり、世界が発生し自分の前に出現するわけです。
つまり、客観的な世界など、最初から存在しない。
世界とは、それぞれの認識器官が生み出す種の虚構であるというわけです。
人それぞれがどのようにイメージング、意味づけするはあくまで主観的なものです
客観的な歴史というのもウソです。
それは歴史の中を生きている自分の視点ではなく、その外部に視点がある。
そこにあるのは神の視点です。
ニーチェはそうした歴史観も否定しました。
僕は、様々な書籍を通してニーチェの思想を知ろうとしてきました。あくまで趣味の域を超えませんが、ただ知りたかったのです。そしてその中でこのパースペクティブという考え方が僕の世界を広げてくれました。
人としてこうしなければならない、、、
こういった場面ではこうしなければならない、、、、
現実の世界には様々なしなければならない、こう考えるのが当然というのがたくさんあります。
僕はうつ病の時まさにこの「しなければならない」という考えに頭の中がいっぱいでした。その考えに縛られるうちに自分の人生ではなく、だれか他人のために命を燃やし続ける感覚があったわけです。その考えに柔軟性を与えてくれたのがこの思想でした。
ニーチェの書く文章はこちらの心を掻き立てるものがあるので、学んだ当時はかなり心を動かされました。自分の当たり目をいい意味で壊してくれたのです。
ぜひ興味を持ったら調べてみてください、関連書籍を読んでみてください
エキサイティングな体験ができると思います