本当の私は「無」だった。全てが全自動

「自分探し、自己探求、スピリチュアル」こういったものを突き詰めると、最終的には、自分は「無」だったと気づきます。

「無」以外にも、「真我、在る、全体、空、無限」など色んな呼ばれ方がされる場合があるけど、全部同じ事だと思う。


ある時に僕は気づきました。思考は自分ではないと。自分の意思とは無関係に自動的に浮かび上がってきているだけだと。

ある時に僕は気づきました。行動も自動的に起きてきていると。先に体が動いて、後から意識が気づいて「自分の意思で行動した」と勘違いしているだけだと。

ある時に僕は気づきました。引き寄せの法則やスピリチュアルなども、全て、「個」がいるとう幻想の中のストーリーのお話だと。


本当は、人生は全てが全自動で、原因と結果も無く、ただ起きる事だけが起きている。

原因と結果は、人間が頭で理解できる範囲の一部分だけを切り取って、落とし所を決めているだけ。

ただ、「個」としての「私」の視点では、それが理解できないから、「私の力で引き寄せた」などという解釈を後ずけでしている。


この世界には3種類の人間がいます。

①自分の力で人生をコントロールできていると勘違いをしている人。(本当はただ、全体の流れと、個としての願望がたまたま一致しただけで、本人は自分でコントールできていると勘違いしている)

②自分の力で人生をコントロールしようとして、できなくて、苦しんでいる人。

③「個」としての「私」は幻想で、人生は全て全自動で、コントロールできないと見抜いた人。


正解・不正解は無く、どの段階の人も完璧な今を生きていて、あなたの意思とは関係なく、必要な事は必ず起きてくるようになっています。

これまでも、これからも、全てが全自動^^

夢の中で、物語の主人公として生きるのもアリだし、夢を夢だと見抜いて、気楽に楽しむのもアリ。

どっちにしろ、全てが全自動で、目覚めても、目覚めなくても、それぞれの楽しみ方があるだけ。


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