自由意思は無いけど「私」は自由である
最近は「人間に自由意思はない」という話をしているので、もしかすると、「虚しさ」を感じて「無気力」になってしまった方もいるかもしれません。
しかしそれは、大きな勘違いです。
自我の視点のあなたは、自由に人生を生きる事ができるのです。
僕が言う「自由意思はない」というのは、「個としての私が幻想で、全ては一つだから」「全ては全体の現れである」という「一元論」がスタート地点となっています。
しかし、自我は「私という主体と客体がいる」という、二元の幻想世界で生きているので、「自分という個の存在が、自由に人生を生きている」と感じて生きています。
つまり、いくら頭で、「自由意志はない」と知ったとしても、それは、自我の視点からは見抜けないので、「私」という幻想の個人の視点では、人生を自由に生きる事ができると言えます。
実際は人生は全て全自動で、肉体も勝手に動いているのですが、脳の機能により、自我は、「自分で思考をして、自分で選んで、自由に行動をしている」ように感じるからです。
だから、自我の「私」の視点では、あなたは、何を考えるのも自由だし、何を選ぶのも、どう行動するのかも自由なのです。
ただし、ここで一つ大事なのは、「思考や感情も自動で起きてきている」という真実です。
あなたの人生の選択肢や未来は、自分で選んでいるように思えますが、実際は、自動で起きてきた思考や感情や行動の中の出来事に過ぎないのです。
もし、あなたに自由意志があって、何でも人生で好きに選べるとしたら、自分の未来に対して、全ての可能性から好きに選べるはずです。
しかし、実際はあなたに選べるものは、既に決まっていたのです。
あなたはの将来の夢に、
きっと、そんな思考や感情は出てきてないと思います。
もちろん、出てきてもおかしくはいですし、世界のどこかには、そんな人もいます。
しかし、多くの人は、「思考にすら出てこない」「興味すら持てない」「選択肢にすら現れなかった」のではないでしょうか。
なぜなら、あなたの人生プログラムにおいて、全く関係が無い事は、思考や選択肢にすら出てこないからです。
仮に自由意志があったとしても、自由意志(やるか・やらないか)を発動させる条件にすら浮かんでこないのです。
逆に、あなたの人生に必要な事に関しては、なんか知らんけど、「ソレ」に興味を持つ出来事が起きて、なんか知らんけど、「ソレ」に向かう思考や感情や行動が、自然に現れてくるんです。
自我は「ソレ」に関する全てを「自分でやった」と思い込んでいますが、実は自分の意思とは関係なく、全自動で起きていただけなのです。
仮にもし、本当に思考と感情を自由意志で、自由に選べるのなら、あなたが、「私は明日から、金持ちになる為に、ビジネスや投資に興味を持つぞ!」と選択して、本気で興味を持てさえすれば、お金持ちになれるかもしれません。
しかし、いくら頭で「◯◯に興味を持とう!」と思っても、興味を持てない事は、興味を持てないのです。仮に一時的に本を読んで勉強したとしても、興味の持てない事は、頭に入ってこないでしょう。
あなたが、何に興味を持つかは、人生のプログラムで全て決まっているのです。
あなたが、「何に?どれぐらい?どこまで?いつまで?」興味を持ってるか?は全てあなたの自由意思とは無関係に決まっているのです。
その上で、自我の視点のあなたは、人生という二元の幻想ゲームの中で、自分の興味や感性に従って、自由に好きに生きていけるのですよ^^
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