noteだっていつかは廃れるんだろうけど、そのイメージが全く沸かない
noteの勢いが止まらない。
先日は日経との提携を発表した。
イケてる起業家やクリエイターが「文章書きたいんだけど、どこで書こうかな?」とつぶやけば、リプライには「note!!」の嵐が来るほどには、調子がいい。(zozo前澤さんとかゆうこすさんとか)
僕もその好調ぶりに便乗して、はてなの更新を一旦ストップし、最近はnoteでずっと書いている。
でも思う。
いつかはnoteも、「オワコン」と言われる日が来るのだろうなと。
盛者必衰。しかも、これだけ変化の早い時代は特に。
ただ、ぼくにはそのイメージが全く沸かない。このままずっと、noteがイケてる人が使うブログサービスである気がしてならない。
勘違いしないでほしいが、これはnoteにゴマをする記事じゃない。
むしろぼくは、マイナスの意味で「イメージが沸かない」と言っている。
マイナスは、ぼくが悪いという意味で、要はいま流行っているサービスが廃れるイメージを持てないと、いつまでも「いかにプレイヤーとして勝ち残るか」という発想しかできなくなってしまう。
ルールや土俵(=プラットフォーム)は他者に委ねたままで、他者のものさしで、戦い続けないければならない。
いま一例としてnoteを挙げたが、もう少し生活に浸透したところでいうと、いわゆる「GAFA」だ。
Google、Amazon、Facebook、Appleの頭文字をとっている。
ぼくには彼らも、衰退する気が全くしないのだ。(FacebookやAppleは最近あまりいいニュースを聞かないが、その存在感は圧倒的)
だからいつまでも、土俵の上の戦士気分で、物事を考えてしまう。
そこでいかに上に上り詰めるのかを考えるのだが、本当に強いのは、その仕組み自体を作った人たちだ。
だから、より大きなインパクトや利潤、不毛な競争の回避を求めるなら、土俵を作る側に回った方がいい。
その分、時間やお金、構築して循環させるまでの大変さが比にならないだろうけど。
用はそこは、トレードオフなのだ。
だから、様々な変数を考慮して、このフィールドでは既存の土俵に乗っかって、プレイヤーとして戦うことを選択したのならいい。
ただ、いまのぼくにはそれがプレイヤー1択の頭にしかなってないのだ。
これだと、すごく想像力の幅が狭くなってしまう。
盛者必衰を、より念頭に置いた上での戦略設計。あとは実際に、GAFAのどれかがあと5年以内位に廃れて、実感をわかせてほしい。
いまのこの環境が、永遠に続くわけではない。