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「先見の明」がありすぎると邪魔になるとき

ただただあたらしいもの。奇抜なもの。アバンギャルドなもの。そういったものに、人々は反応しません。ほどよく少し先を行くものに、人々は惹かれるんです。

先週から感想を書き続けている魔法をかける編集では、本のタイトルの通り、著者の藤本さんは『編集とは魔法である』と定義して話が進みます。

ただ、編集という名の魔法は『その効果が絶大なだけに、使うのがとっても難しい』のです。

どういったところが難しいのかというと、『人々のほんの少し前を歩いていなければ使えない』という点。

この『めっちゃ先』でも『けっこう先』でもなく、『ほんの少し先』という加減が藤本さんいわく、とても難しい。

今日のnoteの冒頭でも引用させてもらったように、ぼくたちが反応するもの、惹かれるものはただ先を行っていればいるほどいいわけではなく、『程よい先さ加減』のものなのです。


例えば、起業家の方がインタビューで失敗談を語るときに『10年くらい前にこんなサービスをやっていたんだけど、全然人が集まらなくても辞めっちゃったんだよ。でもいま流行ってるあのサービスって、ウチが当時やってたものと一緒じゃんって。ちょっと早すぎたんだなあ笑』と自虐的になっているシーンをぼくはよく見かけます。

それで、こういった記事に遭遇するたび、ぼくはその文面から言葉通りの反省とともに『自分は世間の先を行き過ぎたんだなあ』と自慢するようなニュアンスを感じるときもあるんですね。

ただ、上の藤本さんの話を踏まえて、目的が『たくさんの人に興味を持ってもらって世の中を動かす』なら、先を行き過ぎたことは自慢の種にならないことは明白で、むしろ世の空気感を捉えきれなかったと反省するべきです。


実際、本中でも藤本さんが編集者として作っていた『Re:S』という雑誌では、2007年に『地方がいい』という特集をしていました。

でも、『地方がいい』なんて特集をして世の中が『確かに!』となるのは本当にここ2~3年の話で、やっぱり2007年当時は読者の反応もイマイチだったようです。

そしてこのことについて、藤本さんは『これは決して先見の明自慢ではなくて、ただの失敗例なんですね』と振り返っています。


ということで、今日は『ちょうど世の中の半歩先を行くことの難しさと大事さ』についてでした。

ただ、最後に一応付け足しておくと、これはあくまでも『目的に応じて』という話で、その目的が『時代の最先端をいくサービスを作ってアーリーアダプター層に刺すこと』とか『とにかくフルスイングしてみて自分のいま持っている力量を確かめたい』とかっていう場合は、思いっきり突っ走ったほうがいいです。

たくさんの人に興味を持ってもらって実際に動いてもらいたいと思ったときには、半歩先くらいがちょうどいい塩梅という話でした!

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藤本 健太郎 / 編集者
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