「こだわり」と「人付き合い」と「生産性」と
自分で自分を律することが一番尊いのかもしれないですけど、とは言え人間はみんな基本的に甘えん坊なので、やっぱりそうせるをえない環境(状況)に身を置いてしまう方が、結果的に楽ってこともあるんですよね。
「自分で意識的にそういう環境(状況)に飛び込める」という程度の律する心さえあれば、ある程度再現性のあるやり方でもあります。
ちょっと遅くなってしまったんですけど、7月の「心情振り返りnote」。
▼6月の振り返りnote
最初に6月の振り返りnoteについて振り返っておくと、6月(までの)自分の働き方、過ごし方を考えたときに、7月は上のnoteのタイトルの通り「プライドの使い方と捨て方」について意識する1ヶ月にしようと書きました。
日々このテーマについて考えるなかで、少しずつ「プライド」に対する解像度も上がってきたような気がします。
この前、大学4年生の友だちと話していて、その友だちが「自分はプライドが高い。それは自分で認識している。でもプライドがあるからこだわりも生まれると思っているから、自分はプライドを持ち続けたい」みたいな話をしてくれました。
その話、めっちゃ賛成です。
というか、この話は絶対的に正しいです。
プライドは、こだわりを生みます。
とは言え。
とは言え、ぼくが4月から社会人として働き始めるなかで感じているのは、悪く言えば、それって「自分勝手」なのだなということ。
会社は別にぼく(=会社員)の満足度を追求するために存在している訳ではないので、あくまでもその会社の優先順位が一番高くなっている意思決定がなされるべきです。
そうなったとき、平たく言うと、「コスト(=時間とか手間とか)」と「クオリティ」が天秤にかけられて、会社のための意思決定に対する、最適なバランスが探られます。
言い換えると、別にクオリティが高ければ高いほどいいってない場面も、往々にして存在するということです。
こうやって文章にすると当たり前すぎる話なのですが、自分が実際に会社のなかでひとりの会社員として働き始めて、ようやく体感することができました。
コストを(少なくともある程度は)無視して、自己満足でクオリティを追求するためには、簡単に言うともう独立するしかないんですよね。
まあ別に独立(起業)はひとつの手段でしかないので、これはあくまでも例えの話ですが、少なくとも「あらゆる場面においてプライドを持ち続ける」権利を得るためには、それ相応の信頼なりリスクなりコストなりを、自分の側から相手に対して提供することが大事なのだなと気づきました。
わかったつもりになっていた「仕事」に対する解像度が、少しずつ上がるのを感じる日々。
なんかちょっと険しい感じの文章になってしまいましたが、基盤にあるぼくの気持ちはとてもポジティブというか、「そうか、仕事ってこういうことなのか!」って感じですごく前向きです。
「プライドとの向き合い方」については、またもうちょっと考えを深めて、来月か再来月くらいのnoteで改めて書くかなーって気がしています。
あと、7月のちょっとした大きめの動きで言うと、田端大学の運営するオウンドメディアの、ライターとしての活動を始めました。
ちなみに、別にいまぼくが所属しているwevnal(ウェブナル)って会社を辞めたわけでは全くなく、引き続きwevnalでゴリゴリ働いていますし、むしろこれに関するきっかけは、wevnalの代表の磯山さんが「ライター募集してるから応募してみれば?」と勧めてくれたことでした。
ちょっと話が脱線しますけど、今回の件で、磯山さんはとても器の大きな方だなと改めて思ったし、その器の大きさっぷりを自分に対して披露してくれて、とてもありがたいなとも思いました。
閑話休題。
というわけで、2020年の7月を過ごすにあたって主要なテーマとして掲げていた「プライドとの向き合い方」と「人との出会い」については、こんな感じです。
前者はまだまだ考え中だし、後者も始まったばかりで本番はこれからって位置付けで、ようやく基盤が整ったって感じなので、ここからさらにスピードを上げていきます。
そして、これらを踏まえた上で、2020年の8月のテーマについて書く。
ここでようやくきょうのnoteの冒頭の文章が生きてくるのだけど、8月のテーマは「生産性」。
別に「プライドとの向き合い方」とか「人との出会い」とかから飛躍したわけでは全くなくて、むしろ全部つながっていて(つながると直感的に思っていて)、さっき途中で書いた『「プライドとの向き合い方」については、またもうちょっと考えを深めて、来月か再来月くらいのnoteで改めて書くかなーって気がしています。』も、いままだ点と点の感覚が強いんですけど、もうちょっとしたら「おー!そういうことか!」って線になる予定です。
なんで生産性なのかなーってことは、なんかうまく言葉にはできてないですけど(上述の文章の通り、できた瞬間にnoteに書く)、プライドの問題とか、人間関係とかについて考えていると、必然的に「生産性」の問題に行き着いたんですよね。
あ、どうやったら生産性を上げられるんだろうな。
あとは、というか、そもそも生産性ってなんなんだろとかも考える時間ができました。
そんなことを7月の中旬くらいから考えているとき、ちょうどタイムリーすぎるタイトルの記事に出会いまして。
もう答えはこれしかない!ってタイトルでした。
興味のある方は、クリックしてぜひ中身も読んでいただきたいのですが、一番大事なことはタイトルのまんまなので、特に中身は触れずに、話を進めます。
そう、生産性を上げたい、そもそも生産性を上げるためにはってことに対して解像度を上げるのは、もう「そういう環境(状況)に身を置くしか」ないんですよね。
自分で自分を律して改善できるのが一番美しいのかもしれないですけど、手取り早いのは、もうそうせざるを得ないようにすることです。
だから、田端大学のライターも含めて、7月の後半くらいから、ちょっとずつ「そうせざるを得ない」ような環境を、自ら構築している最中。
一旦できるところまで極端に振り切ってみて、やり方とかそもそもの話も含めて「生産性」に対する解像度を上げる1ヶ月にします。
コロナのこともあり、お盆も実家の兵庫に帰らずずっと働きます。
世間が休んでいる間も、働いて働いて働きまくって、超アツい1ヶ月にするぞー!