何の専門性も持ってないし、何者でもないけど、Twitterのフォロワーが増えてもいいよね?
最近、ぼくのTwitterのフォロワーが地味に増えている。
地味と言っても、この1ヶ月で50人くらい(たぶん)という、マジで地味なやつだけど。
ちょっとまえに、「Twitterのフォロワーの増やし方!」みたいなハウツーがめちゃくちゃ流行った。
「SNSのフォロワーは目的じゃなくて手段」なんてド正論を横目で見ながら、「でもそれはフォロワー数の多いひとが言うから説得力があるのであって、ぼくが言っても負け犬の遠吠えにしかならないなあ」と、黙って見過ごしていた。
いまでも「SNSのフォロワーは目的じゃな(以下省略)」の考え方のベースに変わりはないけど、最近は少し「とは言うものの、まずはフォロワーが増えんことには、その議論の土俵にすら上がれないなあ」と思い、すこしTwitterに費やす時間を増やしている。
と言っても、やってることは「考えてることを140字にまとめる」だけで、いままでの「考える→noteにまとめる」やり方から「考える→Twitterに書く→noteにまとめる」と、すこし工程を変えただけだ。
noteの内容に興味をもってくれたひとが、Twtterをフォローしてくれればいいかなあなんて呑気なことを考えていたが、Twitterで興味をもってもらわないとnoteを読んでもらえないよなという、動線の前提が間違っていたことを自覚し、まずは「試食」のような気持ちで、ぼくの考えをTwitterで触れてもらおうとしている。
いままでは、何者でもなく、かつ何の専門性も持っていないぼくのことをフォローしてもらうのが申し訳なさすぎて、積極的にTwitterに向き合えないでした。というか、逃げていた。
「何者かになりさえすれば、何らかの専門性を持てば、ぼくだって発信力を持てるようになる」という、「可能性」を持っておきたかったからだ。
でも、何者かにはなりたければなればいいし、専門性を持ちたいなら持てばいい。その話と、発信力は全く別の話。
むしろ、何者でもなく、何の専門性も持っていないぼくの考え方やものの見方に興味を持ってくれるなんて、それはとてもありがたいことではないのか?という考え方に変えるようにした。
ここらへんは、けっこう最所さんのこのつぶやきの影響もおおきかった。
それにもしも、そんなぼくの発信内容に興味を持ってくれるひとがすこしでもいるのなら、そこで得た信用から生まれる、「何者」かや「専門性」への道筋もあるんじゃないだろうか。
ちなみに、ここらへんの仕組みは、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』という本に、くわしく書かれている。
参考(ぼくが書いた感想note):『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』
Twitterでたまに気の利いたことをつぶやいても、フォロワーがまったく増えず、「プロフィールのクリック数」だけが増えていくたびに「ああ、何者でない、何の専門性も持っていないプロフィールで申し訳ないな」と思っていた。
でも、違ったんだなと。
そのひとは、ぼくに興味を持ってくれて、プロフィールまでわざわざ見に来てくれたんだと。
そのときはたまたまフォローしなかったけど、そういった現象を何回も積み重ねていけば、「お、このひとのツイート、何回もタイムラインに流れてくるな。ほかのツイートも気になるな」と、フォローしてくれるかもしれない。
思い返せば、ぼく自身がそうだった。
1回リツイートで流れてきてそのまま勢いでフォローすることもあるけれど、どちかといえば、1回流れてきてプロフィールを見に行って、そのときは「へー、こんなひとがいるんだ」くらいで帰って、それを何回も繰り返すうちに「このひと、普段はどんなことを言ってるんだろ」と気になって、それでようやく「フォローする」ボタンを押す閾値を超える。
つまり、「プロフィールのクリック数」は「プロフィールの失望数」ではなくて、「将来のフォロワー(かもしれない)数」なんだと。
何の専門性も持ってないし、何者でもないけど、Twitterのフォロワーが増えてもいいよね?
★まだこんな思考のフレームワークみたいな内容しか発信しかできないけど、それは逆に読んだひと全員の役に立つってことだ!
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