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「きょう何してたんだっけ」の受容

「漢字練習帳の"勉強した感"ってヤバイですよね」って、小学生のときに通ってた塾の講師から言われた言葉、なぜだかいまでもこうして覚えてます。

「ヤバイですよね」って言うのは、つまり「漢字練習帳に漢字を書いていくことって、とても"勉強した感"を感じられるよね」ということです。


小学生の当時は、「たしかに」で止まってました。

ただ、いま時折思い出して感じるのは、これって、漢字練習帳の「時間と成果が比例関係にあること」「その成果は可視化されている」「そして成果に(高い)能力は求められない」という3つの特徴を、指しているんです。


ちょっと前に、「自分がなんの仕事をしているのかわからない(って周いかよく言われる)」というnoteを書きました。


まあそのタイトルとも関連する話ではあるのですが、最近、その日の自分の仕事を振り返ったときに「これをこれだけやった」っていうように、定量化・可視化しにくい仕事もちょこちょこあるなと思いました。

定量化できないこと自体は、それほど良いことではないと思うし、単に全く進捗がないだけの話なのかもしれないですが、一方で「本質的に意味があ流けど、まだ定量化・可視化する域にまでは達していない」ってことも、あり得ます。


本質的なものであればあるほど、重厚な施策であればあるほど、「効果が出てくる・実感する」という意味でのブレイクスルーポイントを迎えるまで、時間がかかるケースだって、往々にしてあります。

だから逆に言えば、その日とかその週とか、それくらいの(短い)時間でブレイクスルーを迎える施策は、逆にそれだけ大きく飛躍する可能性が小さいってことも、あり得るのです。


と言いつつも、やっぱりその日1日の自分を振り返ったときに「きょう仕事したぞ感」は、欲しいです。

「あれ、おれってきょう1日何してたんだっけ?」って感覚は、めっちゃ不安。

極論ですけど、めっちゃ考えたのに、何もアイデアが浮かばないままその日1日が終わってしまったら、何かその人の頭にあるもの以外の進捗は、「無」なのです。


ただ、それ以上にもっと大変なのは、「本質的には意味があるけど、ブレイクスルーまで時間と労力がかかるから、いまは我慢の時期だ!」って感覚ではなくて、その「何してたんだっけ?」が、マジでなんもしてないときです。

つまり、本質的な施策で、時間がかかるから、目先の「実感」がないのではなくて、ただただ的外れなことをやっているから、「何してたんだっけ?」と思うことです。


でもこれって、もう構造的に致し方ない部分もあるんですけど、その答え合わせができるのって(=本質的に意味があるものなのか。的外れなものなのか)、時間軸的にすごい先なんですよね。

この状況、一言で言うなら暗中模索。

もしくは、五里霧中。


全く的外れなものである可能性も甘受しながら、常に本質を志向して、小刻みに道を微調整する感覚。

この手探りなプロセスそのものが、とても価値があるなあと、最近、その日の自分を振り返るなかで、感じます。

もちろん、一番良いのはちゃんと本質に向かって全速力で向かって、一刻も早くブレイクスルーを迎えることですが。


この暗中模索、五里霧中という行為、状態、もちろん一人で内省することはとても大事なのですけど、それだけじゃなくて、ちゃんと周囲からの客観的なフィードバックや助けを乞うことも、同じくらい大事です。

という自戒の念。


漢字練習帳を真っ黒にすることも、ひとつの貴重な能力ではあると思います。

とは言え、その漢字練習帳から新たな漢字が生まれるかと言えば、絶対に生まれないじゃないですか。

そこの「飛躍」の可能性を大きく秘めているのは、やはり暗中模索であり、五里霧中の繰り返しなのだよなあと思います。

「きょう何してたんだっけ」にストレスと受容両方で受け止める、性質と器量を。

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藤本 健太郎
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